葉っぱ天国で規制された男の独り言4

41葉っぱ天国で規制された男
2021-07-08 03:28:44
ID:3gT2kRqM

人類外への拡張
以上、ここまで上述してきた平等主義は、あくまでも「人類」の範疇に限定されたものだが、この範疇を超えて、人類外の他の動物・生物をも含む範囲にまで拡張された平等主義も存在する。
近代以前
人類外の他の動物・生物をも含む平等主義の嚆矢として挙げることができるのは、ジャイナ教・仏教といったインド系の古典宗教である。これらの宗教では、「業」(カルマ)と「輪廻」(サンサーラ)によって、魂が人間と他の動物の間を行き交うという考え方に立脚しているので、人間と他の動物の間に明確な差異を認めず、他の動物・生物の生命もまた、人類のそれと同様に尊重されるべきだと考える。したがって、これらの宗教では、他の動物・生物の生命を意図的に奪うこと(殺生)や、肉食は、戒律によって基本的に禁じられている。

近代以降
近代におけるこの種の他の動物・生物を含んだ「拡張平等主義」は、西洋の人権(自然権)思想の論理必然的な拡張・敷衍という側面と、上記したインドの思想・宗教・文化の影響という側面の2つが混じり合いつつ、「菜食主義」(ベジタリアニズム、ヴィーガニズム)や「動物愛護運動」(動物権運動)といった形で表出されている。
(なお、これらは、「環境保護活動」や「ペット産業」等とは、その本来の動機も目的も異なるが、「他の動物・生物を愛でる」という実践的な振る舞いとしては、似通う・重複する面も少なくない。逆に言えば、実践的な振る舞いにおいて、いくら似通った・重複した面があったとしても、これらの間には、その動機・目的において、明確かつ決定的な差異がある。)

批判
こうした他の動物・生物を含んだ「拡張平等主義」に対する批判としては、
1. 闘牛・スポーツハンティング・毛皮といった伝統との衝突に際しての、守旧派からの「伝統破壊」批判
2.「現実に他の動物・生物を「食料」や「実験材料」にすることで、人類はその営みを維持し、発展させてきたのだから、それらの生命をある程度は尊重するとしても、完全に平等に扱うのは無理だ」とする現実主義的観点からの批判
3.「他の動物・生物は、「弱肉強食」の自然界において、常に殺し合いをしているのだから、人類がその一部の生命を尊重・保護したところで意味が無い、ただの人間側の自己満足に過ぎない」といった自然的観点からの批判
4. 主にベジタリアンに対して、「なぜ動物は食べては駄目で、植物はいいのか、区別が恣意的じゃないか、植物差別ではないか」といった、原理主義的観点からの批判
等が挙げられる。

なお、「動物愛護」(動物権)側は、上記の2との間では、
・「その動物が、死に際して苦痛・恐怖を感じないこと」
という基準を設けて、現実的な「落とし所」とすることが多く、上記の4に対しては、
・「植物には、痛覚が無いから」
という論理で応じることが多い。
このように、「動物愛護」(動物権)側の論理では、(人間の側が想像し得る限りでの)「痛覚・苦痛の有無」がとても大きな判断基準となる。

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