俺が知る限りだと十人十色で、特にこれというものはない。
ただ相手をおちょくりたいだけの人。
明らかな暴論をいかに正論っぽく見せるか高難度チャレンジがしたい人。
理屈を突き詰めたい人。
何でもいいから、とにかく書き殴りたいという欲求を満たしたい人。
やってることは同じ喧嘩なのに目的がこうも違うのかと思わされることは珍しくないし、何ならそれが水掛け論の要因になることさえある。
>>2
目的が噛み合わないとお互いのやり取りで満足するのは難しい気がする
でもナチュラルさんの出した例は不思議と皆楽しんでそうな人間が多そうな気がするな。ポジティブさを感じる書き方だからなのか?
それとも全部自己満足の範疇で、相手の発言の質や方向性にあまり左右されなさそうなのが理由かな?
ミクロに見ると具体的な目的は違うんだけど
マクロ的に見ると「自分の表現を出したい」ことは一貫している気がする
喧嘩において意識すべきは喧嘩相手じゃない方がいいのかな
変に相手に付き合っちゃうと超どうでもいいゴールに誘導されるし
まあこれは当たり前か
自己満足が全員に共通しているのは言うまでもなくそうだとしても意識する対象は客体であった方がいいんじゃねえの?とは思うが
ポジティブな思想や言動で殻にこもるならポジティブな結果を生みそうだけど(坊さんとかそんなイメージ)、
喧嘩って思想も言動も大半がネガティブに起因するから、その状態で殻にこもっちまったら全てが汚染されて狂人ルートになる気しかしねえ
このネガティブの殻の代表例って俺ん中では京アニの青葉なんだけど絶対ああはなりたくねえもん俺
だからその回避策として意識する対象を自己以外(客体)に置くのがいいんじゃね?って思う
まあ厳密に言えば自己でもいいんだけど、それは努めて冷静に自身を客観視した場合のみ可
俺個人の話で言えば喧嘩のときに意識する対象は客観視した自分とただ喧嘩を見てる第三者の二点を設けてるな
『こんなことを言ってる奴がいたら俺はどう思うか?』『こんなことを言ってる奴がいたら一般人はどう思うか?』、ざっくり言えばこの二点
俺は喧嘩的文章をしたためるとき、この二点の確認+誤字脱字の確認=推敲を必ず行うけど、これやんねえと恐ろしくて書き込めねえわ・・・
まあそれはともかく、意識すべき相手は喧嘩相手じゃない方がいい=意識すべきは自分だけだ、みたいな話を安易に思ってるんならそれは良くないと思うね
どんな形でも自他は常にあるべきだろう、ヒトとして生きるのなら
>>5で新しく出てきた客体って視点がかなり大事だと思う
意識した方がいいとかしない方がいいとかの裏表レベルの二元論(っていうの?)だけでは足らなくて
他人の目を意識しすぎる事によって自己満足行為に一貫性を保てない現象っていうのが、常に否定的な視点から見られてる喧嘩界だと特に強いように思う
>>2の言う通りのレパートリーの中でだけでもそれぞれ評価のされやすさは違って
自己顕示欲や他人に評価されることの嬉しさはモチベーションに影響しやすいから
自分の本当にやりたいスタイルや姿を同調圧力に屈して合わせてしまう感じ
特に喧嘩をしようと思う奴って人より優れていたいとか評価されたいって感情が主になる気がするし
>>5の言葉を借りると、他人や界隈からの評価やネガティブイメージによって籠る殻をイメチェンしちゃう感じかな
実はネガティブ性ってのは客観的な視点からも無意識ながらに取り入れちゃうリスクがあると思う
喧嘩相手への意識を薄める方がいいっていう俺の考えは、相手を挫く事にとらわれ過ぎると自己表現から逸脱しかねない気がしたから
これは俺もそうだし見てきた喧嘩のあるあるでもあるんだけど、始めは本当に興味のあった議題から、どうしても勝ちたいって気持ちが先行しすぎて揚げ足取りに関する応酬ばかりになっちゃうとか、かなりもったいない話のタネの咲かせ方だと思うんだ
勿論相手が強かったり自分にはない発想を持っていたりしたら相手に依存しても楽しい試合運びは出来るんだけど、それを期待しての受け身をとるとかなり分の悪い精神的ギャンブルになるから
まあ全体的にはそんな賛同出来る話でもねえけど一貫性を保てない現象に対するネガティブなイメージだけは共感出来る
自他は常にあるべきだなんだと語っておいてなんだが俺は喧嘩の場に於いては基本的に俺以外の人間の視座をカケラも信用してねえから、
他人の評価によってルート取りって歪みそうだよね〜みたいな話は正直共感出来ねえんだよなあ
まあ言ってること自体はよく分かるよ
一般的な思考であればそうなるだろうとは勿論思うし、俺より喧嘩巧者である人間からの評であれば他ならぬ俺自身もそうなるかもしれないとも思うが、
でもそれが喧嘩師として正しいとは思わんしそんな状況に出くわしたこともねえから、申し訳ねえけど共感だけは出来そうにねえや
自己表現から逸脱しかねないってのもよく分からん
喧嘩に対する感性は千差万別だよねって話があったと思うけどまあ勿論それはそうで、
それが違うにも関わらず自らの価値観を前提に物事を進めるのはとっても愚かだよねって思う
であるなら、それを理解した上で喧嘩という形のコミニュケーションを取る場合は互いの価値観を揃える必要性があって、それを>>2に則して言うなら
「おちょくりたいだけの奴にはおちょくりあうステージで自己表現を」
「暴論を正論っぽく見せる奴には暴論を正論っぽく見せあうステージで自己表現を」 …的なこと
そして、それを踏まえた上でステージに立って自分なりの色を見せていこうぜ?って感じが互いにフェアな落としどころで、
今そっちが言ったような 『挫くことにとらわれすぎると自己表現から逸脱しかねない』 って言い分は、
相手の心を挫くことに集中する奴には心を挫きあうステージで自己表現をすれば逸脱しなくね?って思っちゃうわ
そもそもその考えの前提は 〝建設的であったり生産的であるほど優〟 みてえなプログラミングがなされてね?
そいつらにとっては 〝揚げ足は取れれば取れるほど優〟〝どんな形でもマウントが取れれば優〟 みてえなプログラミングかもしんなくね?
それをもったいないって思うのはエゴじゃね?
いやまあぶっちゃけ思うのは別にいいんだけど、まるでそれが劣かのような含みがあるのは普通にエゴじゃね?
ていうか俺自身が喧嘩に於いては相手に価値観合わせる思想だから尚更 『ん?』 ってなるわ
言論を押し付けがましくするのは全然アリだと思うけど、感性を押し付けがましくするのはナンセンスだと思いま〜す
意識すべきは何かって、そんなもん自分はそもそもここに何をしき来てるのかっていう目的以外なくね。
その過程や手段として相手を意識しないとか、客体を意識するとか、そんなもんは千差万別あるよな。
価値観は人それぞれ違えど、己の快のために行動するようにプログラミングされてることだけは例外なく皆そうなのだから、ソイツがそのプロセスを既に洗練させているなら他人が「こうした方がいい」「それは正しくない」とか、とやかく言っても本人には響かんでしょうね。
俺とか正にそういうタイプだ。
俺は相手がどういうスタンスであれ、相手に価値観を合わせる気は毛頭ない。
押し付けているつもりはないが、それをエゴだ何だ批判されても知ったことじゃない。
それを常に意識して行動しているから不快なこともないし、終始心穏やかだよ。
喧嘩は簡単になる程に難しい
論争は難しくなる程に難しい
でも喧嘩の方が難しいな
罵り合戦は程度を下げれば長文で論文になるからな
論争は綺麗だが喧嘩はドロドロと汚い
因果応報とか人格攻撃が発生する喧嘩は神の本当の姿である
わたしは大まかには相手とのコミュニケーションを楽しんでるかな。
だから常に相手を意識してるね。
相手とのコミュニケーションの中で自分の意見を伝わるようにっていうのはもちろんのこと。
自分がそのとき読んでて「しっくりくるな〜!」って思える表現がしたいっていうのはある。
そしてわたしの場合、あくまでも相手とのコミュニケーションが主目的なので〜。
シスコさんのいう、「興味のある議題」っていうのはひとつの方向性にすぎないと思ってるんだ。
言うなれば、「とりあえずこの道行きませんか〜!」みたいな。
わたしとあなたの想いが伝われば余は満足なり〜!て感じ。
一見すれば自分よりも相手に意識を割いてますって話だが実際はそんなことないのかもしれないってのがコッソリ出てるよな
オビディの文をつら〜っと読んでて
>自分がそのとき読んでて「しっくりくるな〜!」って思える表現がしたいっていうのはある。
ここに対して 「共感出来るなあ…分かるよウンウン」 ってなったんだけども、
この一文に於いては別に相手が必要なわけじゃなくね?
まあ突き詰めて言うと必要といえば必要なんだろうけど、なんつーか、誰でもよくね?w普通にw
だって精神と状況のセッティングが上手くいくのであればマジでBOTでもいいもんな、相手w
もう本当のこと言っちゃえよ
本当は相手とのコミュニケーションなんてど〜〜〜でもよくて、(上っ面の)コミュニケーションの中で生まれる自分のイイ感じな文章に快感を覚えてるだけなんだろ?
本当はこれでもかってくらい汚い言葉で相手を罵って虫ケラのように扱いたいんだろ?
俺には分かる、お前の性根は生粋の喧嘩師だ
その人当たりの良い振る舞いに惑わされた愚かな民草から 『喧嘩向いてないよ』 とか言われてきたんだろうけどさ、
お前程喧嘩に向いてる奴は居ねえだろ、いい加減脱げよそのペルソナ
>>17
アンタは相変わらずやね。
喧嘩に向いてたとしても実力が伴わないんじゃ悲劇しか生まないのよ。
本当、ツラい余。
ああそうなの、じゃあ向いてないんじゃね? 喧嘩師辞めたら? なんでもいいよ
会話出来そうなのお前しか居なかったから適当におだてて>>1が来るまでの場繋ぎにしようとしてただけなんだよね、だからマジでどうでもいいや
>>1来ねえよなあこの感じ、まああと数日だけ見とくけど・・・
>>20
ソレはスマンな。
ふつうにシスコ氏に遠慮しちゃったわ。
面白そうなスレだからシスコ氏にはマジで戻ってきてほしいね。
どうやら>>1はログアウトしたようだから俺も帰ろうかなと思ったけど、
せっかくの機会だからもう少しだけオビディの内側を覗いてからにしようと思う、次の主役はお前だ
>>16
おだてるために構文しただけで内容にほとんど寄り添ってねえから>>17は無視しといてくれ
で、相手との交流がメインで〝円滑な流れ〟〝イイ感じの構文〟がサブクエストってのがそこに書いてある内容だと思うんだけど、
それって交流そのものを楽しんでるわけ?なぁ〜んかあんまりピンと来ねえわ
相手と交流した結果として新しい知見を得られたとか、結果相手の人となりが知れたとかさ、
交流そのものではなく交流から得られる何かにHAPPYを感じるってことならまあ分かるけど、そこら辺ってどうなってんの?
ていうかそれって内容が喧嘩であるべき理由とか相手が喧嘩師相手であるべき理由があったりすんの?
一見して思うのが 『それってここじゃなく適当な雑談サイトでやった方がよくね?』 って感じなんだけど、
なのにここでやるってなんか、サブクエの「イイ感じの構文」がかなりウェイト占めてね?って思うんだよなあ
俺の思い過ごしならいいんだけど、ど〜も>>16には書かれてねえ喧嘩に対する秘めたる思いみてえなのが潜んでる気するわ
もしそういうのあるなら是非教えてくんね?よろしくお願いします
相手が人だから面白いんだろ
自分の最高の文章で相手が完膚無きまでに叩きのめされることがな
BOTには努まらない
>一見して思うのが 『それってここじゃなく適当な雑談サイトでやった方がよくね?』 って感じなんだけど、
これ同意
喧嘩サイトって結局身内の雑談のが多くね
まあ最初は喧嘩的な要素になんかしら火をつけられた奴が来たんだろうけど結局ほとんどの人間は雑談のが楽しいて思ってんじゃね
>>26
細かいこと言うといろいろある。
其れこそ、ナチュラル氏のいうような「ただ相手をおちょくりたい」とか「何でもいいから、とにかく書き殴りたいという欲求を満たしたい」みたいなのも要素として含んでるし、
>>29のいうような「自分の最高の文章で相手が完膚無きまでに叩きのめしたい」っていうのだってある。
でもコレらって、わたしの中では、その時の気分だったり、そのスレのノリだったりで変わるモノなんよね。
そんな複数要素が絡む中、「"変わらないモノ"って何かな?」って考えたとき、"会話する楽しみ"っていうのに至った。
「大まかに」って付けたのはそういう意味がある。
だからまあ……
"何らかの情報が得たい"っていうのはその通りなんだけど。
でも、結果的に得られたから楽しいって訳でもないんだよな。
うーん、なんて言うんだろうなあ。
例えば、ゲームってあるじゃない?
将棋とか遊戯王とかまあいろいろさ。
ゲームって大前提として勝ち負けを目的とするモノだし、プレイヤーは勝つためにいろいろ工夫する訳だけど
わたしは別に勝つことが楽しいんじゃなくて、ソレ自体が楽しくてやってるんだよね。
だから将棋は面白いけど、五目並べは面白くないな……みたいなコトもある。
で、将棋なんかも振り飛車使わずに、居飛車ヤグラ組もうとしたり、急戦したりいろいろやってみるのが楽しかったりする。
無論コレらを使うのは、相手の出方しだいだったりもするよね。
ソレと同じ感じかな〜。
この辺ちょっとふんわりしてるから、ちゃんと伝わるかは微妙だけど。
まあたしかにコミュニケーションを楽しむっていうのは雑談サイトにも通じることなんだけどさ。
でも雑談サイトってなんか、まあ偏見でもあるんだけど、内容にこだわるばかりで、見た目ってあんまり意識しないじゃない?
要するに、コトバを伝える手段としか見ていないってコトだね。
そりゃまあ雑談がメインだから当然といえば当然だよな。
その一方、喧嘩板って、コトバを記号的に使う傾向もあるというか。
そもそも読ませる気のない表現もアリにしちゃうというか。
けっこう文章自体が暴力的だったりするよね。
もはや読めない方がバカだとすることにすら可能にしちゃうし。
世間ではこういうのも含めて「荒らし!」と片付けてしまいがちだけどさ。
こういう場だと不思議と「なんでこの人はそんなことしたんだろう……」って内容を一旦考えさせられる。
海星華氏なんかの発言も、普通だったらスルーされるだろうけど、ココだからこそ好意的に捉えられたりするんじゃないかな。って、わたしはそう考えてる。
その話の内容も、フツーの雑談サイトや議論サイトでは忌避されるようなことが平然と行われるどころか、むしろそれが好ましいとされたりするじゃん。
いわゆる罵倒表現、揚げ足取りや詭弁、「屁理屈」「相手の話を聞かない」なんかの技術も喧嘩師の間では逆に評価されることもあったりするよね。
そういうのもあって、そもそも論として、「他人と違うことをしてやろう」「なんかふつうとは違うことをしてやろう」っていう発想の人が、雑談サイトより圧倒的に多いように感じてるんだ。
だからそこから生まれる話ってやっぱりけっこうぶっ飛んでたり、そもそも話の書き方がぶっ飛んでたりすることも少なくない。
今はこうやって過疎ってるけど、2008年くらいのログとか見ると、ホント多種多様な喧嘩師がいたんだな〜って思うよ。
そして今でもその血脈は多少受け継がれてる気がしてて、ふつうにtwitterの身内とかリア友とかと話すより、こっちで話す方が圧倒的に発見が多いし面白いもん。
皆フツウのコト全然しないしあんまり言わないからね。
なんなら発見できてない部分の方が多いかもしれない。←笑
とどのつまり、そういうコトバを記号的に使う、というのも含めて個性だと思ってて。
喧嘩師ってそういう意味でかなり個性の塊みたいな人たちだよねってわたしは思うんですよ。
そして、その個性というのをわたしなりに噛み砕いて再現しようとすると「いい感じの文章」ってことになる。
なので、「いい感じの文章」に重きを置いてるのは合ってるよ。
ちなみに言うタイミングがなかったけど、「いい感じの文章」をゲームに例えればコンボとか将棋の囲いみたいなモンかな。
ソレを考えるっていうのも面白いなって思う。
とりあえずこんな感じかな〜。
オビディはこんなくだらないことばかり訊いてくる佐藤とかいうかまってちゃんのゴミ相手にもちゃんと対応してて優しいね。流石やわ。
イイね
普通に日本語を扱えている、違和感のない詳説が出来ている、対話のテンポも損なっていない、実にイイ文章だ
他の奴らはオビディを見習うべきだと心底思うよ
>>32
俺の思い過ごしじゃなかったようでなによりではあるが、どうせならもうちょっと分かりやすく匂わせといてくれよ
>>16から>>32のような思惑があると察するのは大多数が出来ねえだろw
恐らく俺の指摘でテーマが絞られ、それについて一考した結果書けた内容なんだろうとは思うが、
もう少しヒント落としとかねえと喧嘩的には整合性のない後付けで処理される箇所多いぞ、それ
で、まあ全体的には特に返す言葉ねえかなあ
共感出来る部分もあるし、際立って違和感を覚える内容もねえし
ただもうちょっと掘り下げられそうな部分があるから今度はそこについて聞いてみようと思う
単刀直入に聞くが、お前にとっての荒らしってどっからなん?
お前のその話を読んでると、まるで 「どんなユーザーにも良いところはあるよね!」 みてえな語り口に見えるんだけど、
もしそうなら俺にはちょっと理解が出来ねえんだよな
たとえば>>29とかは書いてある内容に〝BOT〟とあるから恐らく>>17に対するリアクションで、
内容も>>17宛としても問題のない内容になってるから俺は>>17宛なんだろうって判断してるんだけどさ、
俺目線では>>29の内容って結構ズレてんだよね
>>17で抜き出した一文ではあくまで 「自分が満足したい」 という内容しか書かれてなくて、そこに 「人間の相手が必要」 なんて条件は設けられてねえんだよな
だからそこでは、たとえBOTだろうと 「BOT相手でも喧嘩的文章を書ける精神や思考して構文出来る状況」 があれば可能じゃんっていう揚げ足取りが俺の言ってることであって、
それに対して>>29みたいに言われても 『いやだから相手が必要なんて書かれてねえけど・・』 って感じなわけ
この時点で俺はもう話す気が失せちゃう
コイツに良いところなんてねえだろって判断しちゃう
そもそもお前本人じゃねえのに誰目線で言ってんだよ?って思うし
話が難解になってきてからズレるんならまあ仕方ねえかとは思うけど、しょっぱなからズレたままエントリーしてこられるとめっちゃ萎えるんだよね
だからそういう風なズッコケ登場くんは俺にとって対話の足切り対象で荒らしと相違ねえから基本的にシカトしちゃうんだけどさ、お前ってそういうのねえの?
てか>>13とかも一考の余地有りって本気で思ってたりすんの?
ちょっとものは試しに一考してみてくれない?俺もう考える気にすらなんないわ
何のためのキャラ付けなん?とは思うけど・・
PS.
将棋知らんわ
喧嘩してるなら調べるけど今その気全くないから調べる気無いです、許せ
他の場所だと荒らしと切って捨てられるからやらない言葉の突飛的な解釈・使用を合法的に実験的にできる場所ってのを言語化してるのが特にスッキリ!って感じ
これは指摘でもなんでもなくて手慰みで思ったことを吐露するだけだからあんまり気にしなくていいんだけど、>>16を読むと、
・相手との交流が主だった目的でありそれを楽しんでいる
・内容自体にこだわりはない
・その中で自分が満足いくような修辞的技法がうみ出せればいいなと思っている
という内容になってんだよね
これを掻い摘んで言えば「相手との交流がメインの目的」「イイ感じの文章が書けたかどうかはサブの目的」ってのが>>16に於ける話の全体像だと思うんだけどさ
次に>>32を読むと全然違ってきてて、
・サブ目的は状況によって変わる
・結果ではなく過程が楽しい
・ゲーム(交流)自体が楽しくてやってる
・将棋(Aの内容)は面白いけど五目並べ(Bの内容)は面白くないということもある
・雑談サイトは修辞的技法にこだわっていない
・喧嘩サイトは修辞的技法にこだわっている
・私は喧嘩師の備える修辞的技法や知恵に羨望を覚える
みたいなことになってるわけ
部分的には確かに>>16と一貫した内容になってるとは思うんだけど、大半が>>16とズレてて、
>将棋(Aの内容)は面白いけど五目並べ(Bの内容)は面白くないということもある
とかは普通に 『えっそれさっきと言ってること逆じゃね?』 って思うし、
>雑談サイトは修辞的技法にこだわっていない
以降の話の流れとかは 『話の熱量とかからして修辞的技法うみ出すのがメインの目的じゃん』 って思っちゃう
「内容はなんであろうと交流出来てれば満足って話だったけど内容によっちゃ楽しくないわ〜」
「相手との交流がメインの目的って話だったけど本心では修辞的技法を生み出すのがメインの目的なんです〜」
みてえな感じで、こっちからすると話が一転しちゃってんだよな
とはいえ俺は>>16の内容が本心だなんてハナから思ってなかったし、そもそもオビディという人物像を浮き彫りにするためにインタビューしてるだけの立場
後出しの情報が出てくれば適宜それを踏まえてアップデートするだけだからまあ話が一転してようが七転八倒してようが大して興味ねえんだけども、
出来る限りは発言の一貫性を保った方がいいと思うわ 喧嘩師の基礎だしそれ