>>76
お主が「議論をしなければならない」や、「例外の定義をハッキリさせなければならない」と言った段階では、それらの責務は生まれてないということを認めた上での立論ということでよろしいかな?
とはいえお主、主張がぐるぐると循環しているだけではないか。
「非正当なジャッジを下されて面白いということは考えられない」というのがお主の結論のようじゃな。以降お主はこれを繰り返しておるだけじゃ。
正当なジャッジがなされた方が面白いに決まっている。なので正当なジャッジがなされないことが面白いというのは考えられない
当然じゃが、この論理は間違っておるぞ。正当なジャッジがなされた方が面白いからといって、非正当なジャッジが下されたときに面白くないとは言い切れないからのう。
そして、例外の定義をハッキリさせなければならないなどと言うておったお主じゃが、例外の具体例に、先ほどの結論を置いてしまっておる。これでは何もハッキリしないじゃろうて。
お主の主張をまとめるぞ。
結論(主張)・・・人たんは、真剣勝負の場において非正当なジャッジを下されてイライラと同時に面白さを感じることはあり得ると言ったが、そんなことはあり得ない
説明・・・真剣勝負の場において非正当なジャッジを下されてイライラすることはあっても面白いと思うことは考えられない。
なぜなら、真剣勝負の場において、正当なジャッジを下された方が面白いに決まっている。なので非正当なジャッジが下されて面白いというのは考えられない。
例外の定義・・・非正当なジャッジを下されてイライラしながら、面白いと思うことはあり得ない。
お主の主張は結論ありきで、頭の先からケツ(結)までずうっと同じことを言うておるだけなのじゃよ。そして、説明にある論理のおかしさは先ほど説明した通りじゃ。
さぁて、ワシはろくに主張せず、このままお主の論理の誤りや不十分な点を指摘するだけで済ませてやり過ごしても良かったんじゃがのう……。このような終わり方では退屈じゃろうから、ワシの方でも主張をしてやるとするか。
【笑い】というものは、緊張と緩和から生まれるものじゃ。お主にも経験があるじゃろう?怒っていて笑えないタイミングである(緊張状態)ほど、ちょっとのハプニング(緊張が緩和された状態)で面白く感じてしまうことが。
これは何も真剣勝負の場だからといって通じなくなる現象ではない。非正当なジャッジを下されて苛立っている。しかし、その内容があまりにも滑稽で、稚拙で、つい面白くなってしまう。こんなことは緊張と緩和の理屈から考えても、私達の経験則からしても、あり得る話なのじゃ。
今は便利な世の中じゃ。「誤審 笑える」などのワードで検索してみると、その感覚を少しは理解できるやもしれぬぞ。