何処の管理人かは忘れたがよしおとかいうあの駄犬
あのレベルのリーダーは腐る程在る
そこで如何に己の責任を理解しているかで差が付く
マジレスすると、リーダーとはどうあるべきか?を語る時に大いに例に出されるのが項羽と劉邦。
家柄、自信、強さ、教養、家来を引っ張っていく力、どれをとっても項羽が上だった。しかし項羽の元からは優秀な人材が去り、農民上がりの飲んだくれで大した才能も自信もなさそうで無教養、不作法な劉邦の元に集まり、劉邦が天下を取った。
何故か。項羽は才能と自信にあふれていたから、自分が一番だと思い、他人の意見を聞かなかった。意見を聞き入れてもらえない部下は働きがいがなかった。項羽は実力を持っていたから戦に勝てば自分が最大の功労者だと思った。劉邦は自分が不才であることを知っていたから部下の意見を聞き、手柄を素直に認めた。
国士無双と呼ばれた韓信に、劉邦が「余はどれくらいの兵を率いることができると思うか」と尋ねた時、韓信は「十万くらい」と答え、「では韓信、そなたはどれくらい率いることができるか」と劉邦が尋ねると、韓信は「多ければ多いほど良い、まず百万は大丈夫」と答えた。
そこで劉邦が「余は十万の兵しか率いられず、そなたが百万の兵を率いるなら、そなたはなぜ余に従っているのか」と尋ねたところ、韓信は、「私は兵に将たる器で、大王(劉邦)は将に将たる器」だと答えた。天下を取る者は、自らリーダーであることよりも、リーダーの上に立つ才が必要だということだ。
劉邦は天下を取ったのち、その理由をこう言った。「余は作戦立案では張良に及ばず、内政では蕭何に及ばず、戦では韓信に及ばない。しかしこれらの人傑を使いこなしたから天下を取った。項羽は范増(項羽の参謀)ひとりをも使いこなすことができなかったから敗れた」
結局のところ、劉邦は優秀な人材に活躍の場を与え、功績を十分に評価し、人の上に立つ人材に慕われたから天下人になった。つまり帝王の器は、自分で仕切ることではなく、仕切る人間に慕われることにある。具体的に劉邦の長所をあげるなら、素直で太っ腹だったことだが、そういう人が誰でも大成できるわけじゃない。劉邦の場合は理屈で説明できないような、摩訶不思議としか表現できない人間的魅力があった。(皇帝になったあと被害妄想にとりつかれた劉邦は別)
劉邦と正反対に、天才かつ唯我独尊で天下を取ったのは秦の始皇帝だが、実際のところ始皇帝は天下統一の総仕上げをしただけで、内容はほとんど曾祖父の昭襄王のときに出来上がっていたので、始皇帝より劉邦が上だと思う。
特別ソイツらを尊敬しているわけではないが 慕われることが重要なのは確かだな。されどそこに至る迄が甚だ惜しい
己単身で仕切るからこそ仕切られる側の有象無象に慕われるというもの
意見を聞くこともそれを実行することもないが、外敵からの干渉は決死でこれを死守する
それだけの関係だ。乃公の掲示板はそれ故にどこそこの有象無象の掲示板より遥かに優れている
そうだね。
私は第三帝国が好きなんだけれども、
どの国にも優秀な軍師がいるもんだよ。
ヒトラーは第一次で軍曹をしただけだったので
他の軍師のほうが戦争について聡明だったはずだけど
感情に任せるような所があったから、スターリングラードでも
負けてしまったよ。
軍師の力を最大限に出すという点において優秀な頂点がいると
大成するんじゃないかな?
若干訳あって匿名さんと被るが申し訳ない
このスレは俺がニュースを見て感じた事を言うスレです
ここは議論板だからジャンジャン横槍入れてok!
[トモダチ作戦]
東京 24日 ロイター] - 東京電力ホールディングス(9501.T)は24日、2011年3月の福島第1原発事故発生後の米軍による被災地支援活動、いわゆる「トモダチ作戦」に従事したという米国居住の157人が、放射能被ばくによる被害を受けたとして、50億ドル(約5450億円)の基金の創設や損害賠償を求めて米国の裁判所に提訴したと発表した。
これを見て皆さんはどう思っただろうか
「米軍に被爆者がいるなんて可哀想!」と思う人が大半だろう
しかし書かれている事を鵜呑みにしてはいけない
この一文には都合が悪い事が隠されている
まず第一に被爆したアメリカ人の全てが空母レーガンの乗組員だと言う事だ
この空母レーガンは海上で移動中に放射能を検知し、海水を汲み上げ放射能を流すように処置したと言う事実がある
ではなぜ空母レーガンの乗組員達は被爆したのだろうか
その理由は簡単、海水も放射能で汚染されていたからだ
要は放射能を流すために放射能に汚水された海水を流したのだ
これじゃあ意味がない事だって誰でも分かるはずだ
それなのに米国はその処置が有効としそれ以外の処置をしなかった
それならば明らかに米国の責任になるはずだ
それなのになぜ東電は約5440億円をも払わなければならないのか……
全くもって理解ができないのだ
確かに愚問だったな。
知識がないからこそ、うすっぺらい議論が出来ると思っていたのだが。
逆に知識がないからこそ反論するきにもならんわな。
「あなたのうなじ/ブラは男性の劣情を誘うから禁止」って悪質なセクハラ理由だったんだけど
これ、男子が劣情を抱くからじゃなくて、教師の性犯罪防止のための間違いでは?
それはないね。
女がこんなに強いんだすぐひっくり返るよ。
ただブラジャーはいいと思う
中学でそんなんに惹かれる変態ばっかやないやろ
規則が問題だと言った第一意見者が、その学校に通っている女子生徒だったから
その問題の話が広がってニュースにもなったんだけど
女子生徒側が抱え込んでることは、男子ということには限らないんじゃないかと
内容も>>1の主張もそんなに変わらんな
「押し付け」とは言ってるが重要なのは「内容」
「勝手に押し付けられた」とかそんなのは話題にしなくていい
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合唱が衰退したのってポップス合唱の存在が原因だと思っている
ポップス合唱が合唱曲みたいなツラをしているせいで基本ソプラノがいればいいみたいな感じになり合唱の楽しさが全くわかってもらえない
校内コンクールはポップス合唱ではなく千原信長松下あたりの作曲家の初級レベルの曲を進めるべきなのになぁ…
というかもうポップス合唱は要らないしNコンの中学の部は砂丘あたりに軌道を戻してほしい
人間という種の根本が変わらない限り常に「劣等種」は「置かれる」
全てを平らに均すのは容易ではないな。
>>13「遺伝子操作がそれを可能にする」と、聞き覚えがあるようなないようなCMが流れる日が遠くなければいいが、
>>15まさに例として挙げた
>法の意味を理解出来ない人間
これが劣等種。逆にこの例では、法を理解出来る人間(いわゆる一般人)は劣等種ではない
>>16
法の意味を理解”できない”人間であって、”していない”人間ではないということでよろしいですか?
>>18法律の「条文」の意味
曖昧な記載が多いが、一応その解釈の仕方について国会が定めていたりする場合もあり、
その解釈に従って理解をするという行為が出来ないことは「社会秩序の維持を目的とした法を遵守出来ない」可能性にも繋がる
それを「理解していない」人間については、少なくともここでは考慮しない
まず医療の分野で遺伝病の治療のために遺伝子操作することに異論はない。
ただ>>15でナチュラルが言うとおりに、人の優劣はどうやって決めるのか、加えて誰が判断するのかという難問がある。
法律の話が出てきているが、法律の条文を読めない、理解できないという意味であれば、知能の低い人間はその道徳性によらず一律劣等種になってしまう。また、法律を守ることのできない人間を劣等種とするなら、更正可能性を潰すことになる。劣等種というのはレッテルとして機能するから、いったんドロップアウトした人間の社会復帰を阻害することになる。
ここでのテーマはヒトへの遺伝子操作の是非だが、もしも犯罪者が遺伝的(先天的)に「決められている」と考えていたらそれは19世紀の発想だ。また、特定の遺伝子の持ち主に犯罪者の「出現率が高い」ということはあり得るが、それを消すことは人類の進化の可能性も消すことと表裏一体だ。たとえば、特定の対象に異常なこだわりを持ったりする性格特性は、悪く転べば犯罪につながることがあると同時に、良く転べば人類の発展に寄与する発明や芸術につながることもある。
私は身体的な病気の治療を目的とした遺伝子操作は否定しないが、それが遵法精神に関わる部分、つまり脳に関わる遺伝子であるなら反対だ。
現代科学で脳は何も分かっていない。つまり脳に係る遺伝子を操作することによって、目的以外のどんな副作用が発生するか分からない。たとえば知能を上げることができたとして、代わりに何が犠牲になるか予測できない。脳をいじるなら、それらが解明されてから、つまり、はるか未来になって初めて検討されるテーマということになる。したがって私は、現代で実行することには反対でも、将来に向けた研究までタブー視しない。
また、社会に要請される人間像は時代によってコロコロ変わる。70年あまり前の戦時中にもしもそんな技術が存在したら、現代の価値観とは全く異なる人間が量産されただろう。その人たちは、価値観が転換した現代社会では生きづらいだろう。その時代その時代の価値観で作られた人間は、時代の変化とともに、「人為的に作られた不幸な人間」になる可能性がある。もっと短期的に見ればその時その時の単純な流行にも左右される。いわゆるキラキラネームをつけるような感覚で、親のマイブームで遺伝子を操作された子供は将来どんな人生を送るのか。
もうひとつ遺伝子操作の危険性について触れておく。
遺伝子を操作するなら、それはその時の社会において「望ましい」とされる方向に操作されることになる(誰も望ましくない人間をわざわざ作ろうとしない)。すると、作られた人間は、どれも似たような人間になってしまう。一言で言うと「遺伝的多様性」が損なわれてしまう。遺伝的多様性は種の存続のために必要不可欠なものだ。たとえば、ある特定の部族はエボラ出血熱への耐性があるらしい。いかに超科学をもって遺伝子を操作しても、人間の世代交代の回転速度は数十年であるのに対し、ウィルスは次々と変異を重ねて人間の遺伝的弱点を突いてくる。兵器なみかそれ以上の強毒性、強感染性のウィルスが発生したとき、遺伝子操作も、医療の研究も追いつかない危険がある。このとき、たとえ人類の99%が死滅しても1%の生存可能性を残してくれるのが遺伝的多様性だ。
これは人類ではなく地球生命体の歴史に関することだが、特定の環境に過剰適応した種族は大繁栄のあと大絶滅するパターンがある。特定の環境に適応しすぎると、環境変化に追いついていけなくなる。その結果、未発達な種族が生存し、次の世代の主人公へと進化していく。ヒトの遺伝子を操作することは、まさに環境への過剰適応を従来の絶滅種にさえ考えられなかったスピードで推進していくことになる。
先天的な臓器の奇形などを治療する目的で限られた遺伝子を操作するなら良いが、「より望ましい優秀な人類を作る」ために操作することは人類にとって自殺行為になりかねない。
左翼、平和主義者及びそれに準ずる者が口を揃えて主張する「平等」「平和」とは
つまり等しく武力を持たないことによる平和の実現を期待しての「平和」
血を流したくなければ戦わなければいい、現実から目を背ければいい。それはとても簡単だし楽だし何より「考える」必要がない
だがそれは[s50]ゴミムシの糞にも劣る生温い理想論、敵わない夢に過ぎない[/s]
当然平和主義者であろうと、[s50]現実[/s]を見てきた筈だ、
我が日本国のすぐ近く…その半島には、会話も成立しなければ常識も通用しない愚鈍なミサイル国家が、
愚劣極まりない道端のゲロに匹敵する[s50]悪臭[/s]を放ちながら存在し続けている
あのような国の現実を目の当たりにして何故か日本には[s99]平和憲法[/s]があるから何もされないで済むなどと
どこからともなく沸いてきた邪悪な妄想に囚われてしまっているのだ、平和主義者達は
改憲で戦争になるかもしれない?確かにそうならないと100%断言することはしない。少なくとも私は
だが、この情勢において平和を訴えていれば戦争にならないなどという考え方は笑止千万するにも価しない。[s50]無価値・荒唐無稽[/s]の極みである
そもそも平和のもとに生きる権利を訴える[s41]愚鈍[/s]で[s39]都合のいい[/s]飼い犬達は己の立場を理解していない
[s50]権利[/s]
それは自分達の手で手に入れたのか?民主主義も、人権も、そうだが、
それらのものを自分達で手に入れたのだと言えるのか?その苦労の証を今すぐにでも提示出来るか?
自由や民主主義を我が物顔で訴えたくば自分達で血を流して勝ち取るのが道理
弱肉強食の世界でいつまでも親に守ってもらえる赤子の気分でいるなら、
理不尽な目に遭遇しても文句は言えない。そのことを弁えないのが[s99]左翼が左翼たる所以だ[/s]
核武装が如何に重要な事項であるかについて記そう
アメリカは核を持たない国に軍事介入を行った国だ
だが、その国よりはるかに危険度が高い北朝鮮には全く手を出せないでいる
勿論、北朝鮮の傲慢さ故、醜悪極まりない言葉の応酬が続いてはいるが、
だからと言って、本気で武力衝突を起こすことなどまずない
何故か?
大国と小国という関係ではあるが、[s99]核[/s] の存在はそのような関係など無視してしまえるほどに強烈なものだ
実際攻撃を受けた際に首都に向けて核反撃を行ってしまえば、アメリカだろうが北朝鮮だろうがひとたまりもないのは自明だ
>>10
無知で申し訳ないんですが
>アメリカは核を持たない国に軍事介入を行った国だ
これはどこの国の事ですか?
>>11それは中東シリア。核を持たなかったがために、アメリカによるミサイル攻撃を受けた国であり北朝鮮とは違う運命を辿った国である
北とかいう中国の番犬はもはやダミーに過ぎない。
中国はアジアを統一せんとしている。今の内に未来の最強国インドとの
交流を交わし専守防衛から解き放たれるべきだと思っている。
ベニート・ムッソリーニ「戦争があるから平和があるのだ!」
とどこかの演説でいっていた。
意識とは何なのかっていう解釈にもよるけど、魂だとか自由意志だとかそういう不明瞭な部分を割愛してメカニズムだけに注目するなら、意識を持ったコンピューターを作ることは将来的に不可能ではないと思う
「意識」と書くと複雑で壮大で人知の及ばない神の領域、みたいなイメージが先行しがちだけど、実はもっとシンプルなんだ
例えば諸々の原因で喜怒哀楽の「怒」を失った人とかは現に実在しているわけだけど、じゃあ「その人には意識がないことになるの?」というとそういうわけでもないのと同じで
意識を備えているとは、必ずしも喜怒哀楽の感情や感覚をパーフェクトに備わっている必要なんてないんだよ
意識の有無を分かりやすく表現すると「知覚して判断する主体が存在している」ことがすなわち意識アリの状態なんだ
人間の脳機能をそっくりそのままコンピューターで再現するのは途方もない作業だけど
再現する対象を「意識」に限定するなら、脳みそみたいな高度な情報処理機能を搭載する必要って実はないです