この板だけはサイトポリシー適用外です。
掲示板の機能不全に陥るもの以外は何をしてもOKです!
※法律は守りましょう。
問題のある喧嘩板は以前より運営人から煙たがられる板だった…
今回、コテハン組が新喧嘩板に異動し名無し組等の荒らしが殺伐板に残党する様になり閲覧者数が二分化してしまった…
名無しによるスレ乱立等の妨害行為が失くなるからスッキリした…などと二分化を素直にコテハン組は喜んでいてもいいのかな?
単にこれは運営人が喧嘩板の需要の無さを理由にいずれは喧嘩板も殺伐板も閉鎖するというシナリオ通りに事態が進められている、と捉えるべきじゃないのかな?
コテハン組の代表者と名無し残党の代表者は危機感を持って喧嘩板について話し合うべきだと思うぞ
運営人にやたら物言いつけるコテハンはもう少し控えるべき
名無しはスレチなスレ乱立は控えるべき
これを守れば新喧嘩板でまたやり直せるんじゃないか?
殺伐板を閉鎖させてまた元の一つの板に戻ろうじゃないか?
両者のいがみ合いは、運営人の思う壺にハマってしまうだけだぞ…
無法と自由は違うんだよな…
お前ら目を覚ませ!
今の喧嘩板はとてもひどいです。
弱い人が無理していばって強い人がいなくなろうとしていると思います。
強い人がいなくなって弱い人だらけになったらいけないと思います。
こんな時代、これからの未来のここのために今の喧嘩師達にはどんなものが求められるでしょうか。
僕は考えました。
今から考えたことを書きます。
みんなも考えてみてください。
>>5
僕は理想について話しています。
それに関して言えば暴言だけでは喧嘩ではないにします。
あなたは暴言だけを望みますか?またここでしたほうがよい喧嘩だと認識しますか?
暴言の飛ばし合い それは戦場でやけくそになってへっぽこ向いて手榴弾を投げる兵士のようだ。
はたまた力業でごり押しする滅茶苦茶な狂戦士のようだ。
然しこれらはしっかり戦争をしている。しっかり戦士として戦っている。それは戦いが多種多様であることを示している。
何れにせよそれはさぞ美しいだろう。私はとても大好きだ。それに弱いのを解っていて喧嘩することもだ。私はそれが大好きだ。
当たらないくじを何度も引くように 当たらない機銃を連発するように 最早「依存」だ。そうすることが私の趣味だ。
弱い者がいれば強い者もいる。それをこの身を以て実感する特権をここにいる誰しもが必然的に持っている。ならばその否定は無意味だ。私は戦いが弱い者を好む。威張る者は例外だが。
強者に魅力はない。
強者は自分が毒杯を空にするまでその過ちに気づかない。そして他者を見下す能力の発達が目立つ。 私は好きじゃない。
傲慢な輩は好きじゃない。戦いに傲慢は必要ないと思うね、勝って当たり前の戦いをするくらいならば私はわざと負けるだろう。
私はここの誰にも勝つことが出来ないだろうから、この態度は傲慢というものではない。諦めと呼んだ方が似合うだろう。
私はそれでもボロ舟に乗りながら船底に穴が開いた小型戦艦同士の最後の抵抗に近い喧嘩を好むのだ。