それは強者の言うことであり、弱者には通用しない、と歪んだ考えを持って歩くのだが、誰も幸せにはしないので隠している。でも捨てられない考えなので持ち歩いているから、思わぬ形で披露してしまったらごめんなさい。
酷く臆病であるから、劣等感は捨てられない。成功者や順風満帆な人、わたしから見て自由な人、数や名声で勝てそうもない人の同情や意志は、あまり共感を得ず、「それはおまえだから言えることであって、わたしはそちら側には入れないし窮屈だ」と跳ね返す。偉人や遠い存在の人が発する言葉はおみくじの神の声を同じで、感銘を受けて行動するかはまた別のお話。
臆病者と自分を罵って逃げている愚か者だ。
「気持ち悪い」って一蹴されると、どうも思ってないわたしへの刺激が強すぎて、逆に動揺する。わたしの持っていた価値観は「気持ち悪い」のたった一言で、脳内では「え!そうなの!」と大混乱だ
家で母は批判をするときは、まっすぐで辛辣だ。穏やかな団欒を見事に破壊する、なんの悪びれもない。その批判に「そうは思わないけどな」って言えるようになったのはつい最近で、それまでは驚嘆して物も言えない。嫌いではなかったものに、母の「嫌い」は常に心に響くものだった。
マツコが「ゲイウケする顔」って言ってるのを、馬鹿の一つ覚えみたいに、街中でいい男見つけたらただひたすらに「ゲイウケする顔だ!」って思うようになってしまった
わたしがまだ若いからだろうか
死んだらこの世界とは関わりがなくなる、もちろん直接的にはという考えで。間接的には(人はひとりでは生きていけない説から考えて)たくさんの物や人が、少なからずとも処理するまでは残っているはずだ。思入れのあるもの、羞恥のもの、まあそれなりに気にするかもしれないけれど、やっぱり死んだ後の話だ。わたしはそこにはいないから、やっぱり関係ない話で、生前、死後のことを気にするのであれば、立つ鳥跡を濁さず、のようなのが理想であり、墓や葬式、その他諸々正直自分のことだが、関係ないと割り切ってしまいたいと、かなり自分勝手なことを思ったりする。そう、死後のことなんて人に迷惑のかからない程度に済ませてしまえば全ておしまい。ここは生きている人の世界なのだから、死んだ人間に執着するのはなんとも悲しい話でしょう。
わたしが死ぬ準備をするのならば、やはりひとつだけ。立つ鳥跡を濁さず、だ。
わたしが知らなかったことを素直に驚いてると「常識だと思ってたんだけど」なんて言うんだぜ、お前の常識を押し付けんなそういうところだいっきらい
ここなら誰にも見つからないと思って吐ける安心感が薄暗くて陰湿、でも気分は最悪だから続けるね。
ほんとにわたしにとってあれはとてもストレスになる存在なんだな、って思う。半年居なくなることが喜ばしくて仕方ないし、そう思う自分がドロドロしていて、もうこの感情を拭いたくても拭えないほどべっとりとしているから、はやく、わたしの安寧のために居なくなってほしいとさえ願い出した次第である。ほんとに悩ましい。わたしがわたしでなくなるような気がする、あれのせいで汚れていると叫びたい、全然違うから心が晴れない。それなら、どうか、わたしに関わらないで欲しかった。比べられる苦痛と、必要以上の関わりによる違う人からの干渉、情報漏れ、わたしのプライバシーは?なぜ期待がかけられているの?どうして静かにしているわたしを縮こませるの?死なせてはくれないし、消えさせてはくれない。もう抱く感情全てがどす黒くて汚い。
安寧安息安心を求めてるのに、なぜ?どうして?汚い!汚い!自分が汚い!って思う。その汚れをわたしじゃなくあれのせいにしようとしてるわたしがほんとうに汚らしい。
関係を全部打ち切るとか、そんなこと全然出来ないし、わたしも過干渉しすぎた感はある。わたしが話さなくてもいいことを、話してしまったこともある。心開けるほどあれを許してないのに、開いてしまったこと、過干渉、すべて一緒なところ、味方じゃないところ、それが一番いけない。あれは味方じゃないところ。
わたしの悪癖がどうして出てきたかわからない。でもわたしの悪癖が目立つたびにあれが敵でしかない、味方でない、話したくない、味方にしたくない、服従と同じだ、そうだよ、優劣判断しか出来ないわたしがあれを優と認めたときから、わたしはあれに屈しないように、と服従したくないとかそういうことばかり考えてきた。比べられるその必然的ステージ、死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい、ああ、消えたい、泡のような、海の水となって存在と意識を捨ててしまいたい。
わたしのイメージが悪くなるばかり、みたいな今までになかった価値観の悪い天秤を持つようになってしまったんだ、泣きたい、どうしてこんなにも汚れた人間になってしまったのか、最悪だ!ああ、もう心の奥まで汚れている!除菌しなきゃいけない!死にたい!自分は悪だ!汚れている!汚い!汚い!汚い!汚い!どうしよう、浄化しなくちゃいけない!悪い個体として残らないうちに自分で浄化しなくては!
あれは敵である。
わたしがわたしとして保つためにあなたとの関わりを消したい
なかったことにしたい
新天地の心細さをあなたに預けるんじゃなかった
わたしがわたしである証明を
卒業後に自覚したあの存在とわたしを
失くさないように保つことが、あなたとの関係よりも大事なことだから、
はやく、あなたと疎遠になりたいわ
全部全部あたしが悪くて
あたしを悪者にしてるのもあたし
だからね、とっても消えてなくなりたい
死にたい
信用とか信頼を大事にして生きていくのが辛い
もう誰とも関わらないで生きていけたらどんなに楽か
関わらないじゃなくても、当たり障りのない、深く関わらないような薄っぺらい人間関係ですぐ忘れてしまいたい
人に縋るんじゃなくて
いつ裏切られてもいいようにするんだ
焼却炉の中でうずくまったまま灰になって消えてしまいたい
わたしという存在を意味消失したい
極楽浄土なんていらない
わたしの魂はわたしのものだし独立したものであるから、わたしが望むような形で解けて消えるのが一番いいんだ
ロッズみたいに死骸は解けてなくなって風化に時間のかからない身体だったらどんなに良かっただろうか
消えてしまいたいよ
かの尊き一等星が
およそ1世紀半前くらいに失った我らを
この地に続く血統が
かの尊き一等星を
あまりに美しげに生きるものだから
嫉妬した吸血鬼が
愛おしいとこぼしても許してほしい
/星
まず、わたしは忘れていた。
わたしが過去これまでに旅行について成功したことが一度もないじゃないか。
卒業旅行だって、わたしと友人、わたし個人、ああ全部失敗している。ああ、人生をやり直したいと思ってしまった。過去のわたしに顔向け出来ない。過去を否定すればここにいるわたしを否定することになる。しかし、過去は失敗した。わたしはそれを学ばずに失敗を繰り返し思い出した。
そう、すべては過去の失敗を繰り返して学ばなかったわたしが悪いという結論である。
そこから生み出される改善点は酷く最低だと自覚する。関わりを良い方向へと改善するのではなく、わたしが上手く立ち回って問題を共有しないことだと考えた。それが出来るかどうかわからないが、1人で解決した方が何倍も煩わしいことがないだろう。文句を言う人は最初からなかったことにするのだ。(それだ)
酷く偏っていて最低で最悪の改善方法だと自覚して自己嫌悪してエゴにて思考が固まっていくことを、自覚しよう。キャパシティのオーバーなんだ、これ以上責めることは出来ない、自分を救うための思考転換だ。
まず第1にお金だ。
それを頼れば問題になる。やめよう。そこを頼らなければ引っかかることはない。
それからわたしの悪癖、相談と計画の公表。これは隠し通せることは通せ。ダメなら迂回は残されていない。完璧なプレゼンで臨まなければ、わたしの嫌いな問題が起こる。
そして旅行だ。お金は頼らず、家の留守は父に、一人暮らしで言う必要のない日数と距離であれば黙秘を突き通すこと。家族だからといって気を許して話して仕舞えば、わたしの嫌いな問題が起こるのは、経験済みである。
誰かと協力するとき。自ら率先して決め事と相談事は日にちを設けて決めること。後回しにしてわたしのせいにされるのは嫌だ。水面下でわたしだけが用意していなかった、みたいな状況になるのはもう嫌だ。マイペースごときではない、本気が足りない。そういう決め事や協力事項には明確にして役割を担うことで自分に責任を持たせろ。わたしにはスムーズに考えることなく物事が進むなんてことはあり得ない。最初から明らかにしておけ、協力は責任の分散と役割を担うことが大切だ(ほんとうに最悪な人間になることを誓った)(悪魔に魂を売ったかのような考え方だ)(最低だ)
いつも心にあるのは、自分がいつ死んでもいいように物事を考えること、周りの物を考えること。1番気持ち悪いのはわたしが死んでからの影響が出てしまうこと。ほんとうに気持ちが悪い。だから、わたしは存在ごと、記憶ごと全て消えればいいのにと考えるのだ。
わたしのこの悪癖についての見解。(多少他人のせいにすることで気持ちを和らげたい最低な考えのもと記す)
心配性の母のせいにする。中途半端な秘密主義で迷惑をかけているが、そもそも相談することにより、失われるものが多いと考えたから黙秘・隠蔽することを考える。しかしこれが完璧でない、または公表せざるをえない状況下になると、これは悪癖となってわたしに染みついた。相談しないのは、心配させるからではなく、面倒であり、その上失うことが多いと考えたからだ。同様にそれを信頼できていない人間に使い、そのまま相手と何か目的を果たすということが今回のようなトラブルが起こるのである。
誰にでもやるわけではないよな、と心の中で思いながらも、相談と計画の後回し癖は治らなくなっていた。最悪だ。
わたしはまだ若いんだ!!!!!
あとから見返して歳をとったわたしがあの頃は若かったなと思うようなことを言ってやる!!!!!
理不尽だ!責任なんてなかったことにできてしまう!穏便なんてくそくらえだ!ちがう!改善を求めてるんだよ!誰も悪くない、事故だった、不慮だった、仕方なかった、だから?だからこの先このようなことがないように?どうするの?改善!より良くしてほしい!それを求めてる!
劣悪と妥協だ。
そして不安と歪み。
入り込める、よく観察してよく考えたら悪くなれる。誰もそれに気づかず、誰もが気づかないフリをして日々安寧という腐った沼地で窒息してやがる。これを求めていたんじゃない。豊かとか安定とか安寧とかわたしが求めていたのはそれではない。
しかし、こう言葉を羅列し冷静になって考えるとこうだ。他人の出来事だったらこうも思うまい。傍観者であればいい子のフリをするのだ。わたしは何も考えてないからわかりませんと部外者を装うのだ!実質関係ないないことだから!特に親しい間柄の出来事でもない、赤の他人、顔も名前も知らない理不尽は、わたしには関係ないと!声高らかに言えてしまう!
しかも傍観者のくせに被害者面をするのだ!
わたし結婚しないな!てかしない!な!出来る気もしない!なんだか誰かを慈しみ愛することは出来たとしても見返りを求めないことや信じることが出来ない。信じることが出来ない。しかも束縛と関係の安定はきっとバランスを保てないままドロドロに身を任せてしまって裏切られたときに何もなかったってことが目に見えている。信頼関係ならば友人で十分だ。当たり障りなく良き関係を築いている。満足だ。
だからそれ以上の関係を求めない。
子供が欲しいとも思わないから、地雷は親と周りとの環境の変化に、少々ズレを感じることが、未来の懸念。
まだ若いからそう思うのかもしれないけど、若いわたしをわたしは殺さないで素直に生み出すことにした。若いわたしはこの時この瞬間こう思ってましたと、書き出すところがほしい。
認知や受容はきっとまだまだな世の中だと思うけど、そういう考え方だってあるよね、くらいでいいんだ。
きっとエゴイストは協調なんて根からないのかもしれない。
そもそも生娘脳には、愛は重すぎる!
結婚とはそもそも人生で一度しかしないはずの契約だし、浮気なぞ裏切りでしかなく、契約破棄はやっぱり悲しいと思うんだ。けど、世の中ひと通りにあらず、八百万の神がいるように、結婚から離婚にいたる経緯はやはり人それぞれに違いない。
一方わたしの場合である。
悪魔との契約を交わすものだ。おまえの信頼を引き換えにわたしの信頼をあげよう、わたしの問題もおまえの問題もすべて共有しよう、わたしの血統や背負うものをおまえに捧げよう、おまえのその真心をわたしは貪欲に追い求めよう、血の契り、悪魔の盃を交わす……とまで行きそうな、なんとも禍々しいのが大の好物だ。朝からステーキ、豚骨ラーメン!みたいな胃もたれじゃ済まないような重さが好きだ。浮気なんてしようものならおまえのエクスカリバーを二度とたたなくしてやるぞ!(既出)とほざきたい。その大前提で、わたしはおまえを裏切らない自信が、どこからともなくあるように、結局は保証のない自信と勢いと、楽観主義が結果に必ず浮き彫りされる。わたしはそういう人間だから、こんな凝り固まった思考をほぐさない限り、いっちょやってみっか!みたいなノリにはなれないんだ(いや、いい意味でやはりそのノリと楽観主義は決定する勇気を後押ししてくれる大事な友である)
じゃあ何?ここに書いてあることすべて謝って懺悔して生きろっていいたいの?!嫌だ!これはわたしだ!間違いを犯し愚かで卑怯なわたしそのものだ!なぜこのわたしを否定し、存在を消してこのわたしに対して罪だと宣告せねばならないのだ!!!!
これはわたしだ。
わたしから出てくるこの言葉だけはわたしのものだ。そして消えないように銘記しているんだ。心に刻みつけ、わたしだけがわたしを受け入れ、肯定し、通り過ぎるための道だ。わたしはこの薄汚いゲロみたいなわたしを肯定しなくちゃいけない。だから他人が入ってくることは絶対に許さない。なぜわたし以外の何者かに踏み荒らされなくちゃいけないんだ。
懺悔であり日記であり掃き溜めであり歴史である。どうやっても抜け出せない主観で、グルグルと回ってる。
消えたいなんて思っていいのはその瞬間だけにしろ。もうこの場所で刻みつけていることを自覚しろ。これはわたしだと認めろ。日常を描いて打ちつけているんじゃない。わたしの心と言葉を打ちつけているんだぞ!
いつも綺麗だった。色褪せてない、言葉が美しく清廉で透きとおってみえる、風の音というワンフレーズに、わたしを捕らえてしまうほど、わたしにとってあなたは美しく気高くみえたの。
恋文は誰にも見えないところで焼かれるのが筋だわ。
気づいた。優劣で考えてしまうのはあなたがいたからだと。居なくなって開放されたこの期間でそんなこと考えなかったし、自分の出来ることは何か、見極めながら、動いて、出来ることに徹してきた。いや出来た。気づけた。劣等感を感じながら死に恥を晒して生きているようなもので消えてしまいたいと日々考えていた頃より、随分と真っ直ぐに生きていけるようになった。なあんだ、その思考はあたしのせいじゃあ、なかったのね。そう、やっと思えた。開放された。もちろん今だって近くにいるだけで不快だけれども、それでももう関係ないんだから、あちらはわたしなんてこれっぽっちも気にしていないんだから、わたしも強く前を向きなさい。そう思える。
劣等にならなくていいんだ。