お前ら当てはまるかー?
自己肯定感って最近流行ってる言葉なんだけど、確かにこの概念はあながちバカにできない
◆自己肯定感が低い人
悲観的
失敗を引きずる
失敗すると心が折れてしまう
努力のモチベーションは「自己否定」
努力が苦痛で続かず、目標を実現できない
他者に対して不寛容←お前らやん...w
もめ事や言い争いを起こしやすい←お前らやん....w
心に壁をつくり、他人と打ち解けられない
他人の目を気にし、主体性がない
無理をしている
そもそもさ、自己肯定感が重要視されている理由がわからないんだよね。
自己肯定感がなくても生きていくことはできるし、自分がしたいと思っていることができることがある。
だからさ、自己肯定感っていうものにこだわらずに、自分のしたいことをして幸福をつかむ。
こっちのほうが簡単だし、合理的だと思わない?
自己肯定感について投げ出されたのは、それが大事であるっていうアンチテーゼがあるからだろうけどさ、
でも、実際さ自己肯定感っていうのは不要だって考えたければそういうふうに考えることだってできるわけだし、
仮に命が捨てても良いっていうことであれば、それはそうではないっていうことになるわけだろ?
ならまず最初に自分が生きていくことが一番大切であり、自己肯定感は二の次、三の次っていうことになるわけで、
そういうことをわきまえない上で「自己肯定感は大事だ」っていうのは目的と手段が入れ替わっている、
って感じるんだよな。こういう考え方は論理的思考っていうんだろうけど、これに反駁できる?
反駁できないのであれば、無理にしろとは言わないけど、とりあえず俺の言っていることが今の時点では一番正しいよな
あとさ、「他者に対して不寛容」「争い事を起こしやすい」ってのをお前らやんって言ってるけどさ、
それっていうのはさこういう掲示板っていう限られた範囲内においてっていうことだから、実情とちょっと違うよね
そういうところちゃんと切り分けたほうがいいよ先輩
第一、一言もお前らが自己肯定感低いとは結論つけてないけど
お前らやん=お前らがこの項目に当てはまってるから自己肯定感低い ってわけじゃないし、一応当てはまってるからそういう性質があり、そういう性質を持ってるからこそ喧嘩という行為をしてる構図があるってことも否めなくね
そういう性質持った時点で自己肯定感低いんだよな
心理というのは、心の中のこと
そんってのは心の中にその性質があるって事なんだから、性質があるかないかどちらかの選択が喧嘩する側の心情として合ってるかはどちらでもいいとして、どちらの心情にせよ、そういう性質ってのは見えないもんなんだから、コメント1でお前らやんって指摘した性質(事項)をお前らは持ってるか その判断をお前らの判断に任せてるってのがスタンスなんだけど
そして、自己肯定感低いの判断もおまえらに任せるってのもスタンスとしてあるんだけど
なんかカッコつけて「先輩」とか言ってってけど、なんか求めてもねえ趣旨とはコメント2もして困るし、切り分けた方がいいよとかいう上から目線で物申してるとこわりーけど、おれのスタンスないし立場を理解してねえ時点で「したほうがいいよ」とかいうお前上から目線する立場出来ねえだろ
上から目線ってのは、相手の行為を理解した上でしていいもの
おれがどんな意図を持ってコメント1のお前らやんという指摘をしてるか分かってねえのに、こういう意図なんだなと勝手に悟って「こういう行為に切り替えた方がいいよ」って上から目線して空ぶってるし、ダサいんだよな
先輩とかいうワードで後輩から先輩に挑戦状みたいな感じも出ちゃってるのに、それで勝手に悟った気になって空振りしてんのもキモイ
カッコつけすぎて実は前のめりになってることに気づかず、中身は相手の意図無視して自分の都合のいいように話進めてる良い例がお前
お前ら上から目線で言う立場じゃなく上から目線で教えられる立場だろはやく喧嘩教えてくださいって言えアホ
>>4
第一、一言もお前らが自己肯定感低いとは結論つけてないけど
>いや、逆になんで俺がお前が「自己肯定感が低い」って言っている前提で反駁したものであるかのようにお前が捉えているんだよw
それはおかしいんじゃねえの。俺は別に自己肯定感が低いっていう前提でここにいる人達について言っているのかってことは言っていないし、
逆に俺が言っていたのは、その自己肯定感が低い人にあらわれうる性質について、それが当てはまっているとは一概に言えないんじゃねってことであり
自己肯定感が低いっていうことはあてはまらないんじゃないのって言っているわけじゃねえから、そこちゃんと履き違えないでもらえる?w頭悪いなw
俺が言っているのはあくまでも要素の話であって、その対象の話ではないっていうことで抽象化思考力オワコンだね^^;
>そういう性質持った時点で自己肯定感低いんだよな
別にそうとも言えないだろwあくまでも性質は性質であって、性質の集合体である性格とは別物だろ。例えば反社会的な人と人を操る人っていうのがいたとして、で、前者が反社会性人格障害である場合確かに人を操るっていう性質が加味されるのだけど、しかし実際的になって考えてみると、人を操る人の中にも反社会性人格障害ではない人もいるわけであって、だからこそ性質っていうのは部分集合的な意味合いを持っているわけであって、で、その部分集合が包んでいるのは、その上位概念にあたるもの全てではないっていうことだわ。この場合でいう上位概念っていうのは反社会性人格障害であって、で、これが例えであるので、この場合においては『他社に対して不寛容」とか「人ともめごとを起こす」っていうことだよな。で、それが部分集合であり、上位概念として「自己肯定感が低い」っていうのとは必ずしも包摂関係にないだろってことを言っている。要は必要条件とか十分条件的なことだよな?お前頭悪いな^^;
コメント1でお前らやんって指摘した性質(事項)をお前らは持ってるか その判断をお前らの判断に任せてるってのがスタンスなんだけど
>うん、ならそれでいいじゃん。そもそも性質を持っているかどうかっていうのを、その対象となっている側に委ねるっていうのは別にそれはそれでいいんじゃねえのって話をしているんだけど。別に俺はこいつらが自己肯定感が低いとか言っているわけでもないし、あるいはお前の発言を受けて、「あっ、こいつらが自己肯定感が低い」って認定されているんだなって思っているわけでもないのだから、お前がこいつらに対して「自己肯定感が低い、ってのは委ねる」って言っているのであれば、それはそれで、「うん、だから何?」ってことであり、俺の意見に対しての反駁には成りえていないでしょwお前大丈夫か?別に俺は一切自己肯定感が低くないよね?とか言っていないわけだが、お前が単に委ねているであろうということもお見通しの上で、で、それの発言をしたわけ。お前発言を理解できていないのかな?三下なのかな?認知能力がよわよわなのかな?
日本人って民族的に諸外国と比べて自己肯定感が低い傾向にあるらしいね。知らんけど。
そういえば、能ある鷹は爪を隠すってことわざをよく使う人多いよな。
>>2
極端なこと言うけど、自己肯定感の低い人間ってその自分のしたいことすらなかったりするんだよな。
他人がしてるから自分もそうしなきゃいけないって思い込んでるだけだったりする。
例えば、他人がお金持ちを幸せだと思ってるから自分もいい大学に入ろうと必死に努力する……的なね。
しかもその努力も自分に合ったものじゃなくて、一日中ぶっ続けで計算し続けたり、漢字書き続けるみたいなただしんどい思いをするのを美学としてたりする。
そんなしんどい思いをして一流企業に入って年収5億円たたき出したとしてもなんか虚しかったりする……。
それでうつになって一転、自殺したり引きこもりニートになったりすることもある。
仮にそういう状態にはなってなくても、楽に幸せになってる人間が許せなくなったり、自分の常識を他人に押し付けたくなったりするワケだよ。
逆にそういう、常識を押しつけがちな人間とか周りに多かったりするよね。
そういう人を自己肯定感が低い人の特徴と照らし合わせて、こういう人とは関わってもいいことがないから関わらないようにしていこうねみたいに警句してたりもするのも見たことがある。
まあ要するに、今話題なのは、フツーにそういう生きにくさを自己肯定感のせいにして解消していこうって風潮なんじゃないんスカね。
少なくとも、「生きていくことより自己肯定感が大事!」みたいに語ってるものを見たことがないぞ。
「自分は生きていてもいいんだ!」あるいは「自分は生きるに値する人間だ!」みたいな認識も一種の自己肯定感なわけだが・・・