>>43
そう思われるならそうなんでしょう。
話は変わりますが、異常者は常に正常者の安心材料になっている側面があると思います。喧嘩サイトで喧嘩をしてない利用者は今もかつても多くいます。彼らの行動原理は何なのでしょうか?なぜ彼らはここを覗きに来てしまうのでしょうか?例えばあなたの場合はどうですか?
>>41
不思議だなぁ
もしかすると「社会性」という言葉に振り回されすぎかもしれない
ちょっと身近なもので例を挙げてみる
「クラスの人気者」、これって多数派?少数派?
俺のいう「喧嘩界で評価されていた人たち」も
「社会性」という点で見れば「クラスの人気者」とそう変わらない
だから「多数派/少数派」という次元で表と裏を分けるのはあんま適切とはいえない
「自分が評価されるような居場所を作り上げ〜」ってのも順序が逆だ
かっこいいやつがモテるのと同じ原理で
空気の読めるやつが評価されていた
それが自然の状態だった
ところがあるときから喧嘩という営みをゲームのようなものだと考えるやつらが増え始めた
そいつらにとって喧嘩には一定のルールが存在していて
その基準に従えば勝ち負けは一つに定まると
でもよく考えてみると、価値観は人によりけりなんだから一定のルールに収めようとするのも変な話で
「喧嘩師ランキング」なんか見るとだいぶ無理があるよね
そもそも勝負ってのは一つしかない共有不可能なものを取り合う行為だ
一方は正しさを、もう一方はおもしろさを、というとき勝負は成立しない
俺が正しいんだ、いや俺が正しい、なんていう風に互いの目指すところが矛盾するとき、ようやく勝負の条件の一つが整う
にもかかわらず、多種多様な価値観を持つ人たちはランキングのもとに、狭苦しい枠組みの中に押し込められる
口を開けば俺が勝ったやら俺の方が強いやらで不毛なやりとりが繰り広げられることになる
ランキングなんてものが流行ってる時点で腐ってるんだよ
>>45貴方って結局いくつぐらいなの?
犯罪までのとこも教えてほしいな
異常者は常になのかな?恐怖の的とかにもならん?
遠巻きの異常者、近場の異常者でも捉え方は違いそうだけど
ここに覗きに来るのは昔通った小学校とか見てノスタルジックになるとか
今どんなヤツいるとか色々あるんじゃない
自分の場合はこうやってたまに話題があって誰かと話せたらいいくらいだね
>>46
歴史の解釈は無限の可能性がありますからご自由になさればよいと思いますが、私の認識とは異なるようです。
喧嘩界隈は自然と発生したわけではなく、誰かによって作られたコミュニティサイトの集合体でしょう。学校や会社のように既に文化と歴史が積み重なっている場所では自らの承認欲求を満たせない者たちが集まって、それを満たせる場所を作ったのではないですか?当時のインターネットは空き地のようなもので、それができるだけの余地がありました。後から見れば彼らはもはや「クラスの人気者」と本質的には変わりありませんが、彼らは自身がそうなるように主体的に作り上げたのです。
その構造は今でも変わっていなくて、この場所でなら自分も評価される、と考える者たちが集まっているのではないでしょうか?それを根底からぶち壊し、新しい軸を打ち立てるほどの行動力とエネルギーがある人はまだ出ていません。ただ、既に利用者は創造者から消費者になってしまったと私は考えているので、今後そのような地盤変動が起こる可能性は極めて低いでしょう。
単に自分の主張を表明するだけではなく、それを他者に承認されることに意味があるからランキングが乱立されてしまう。その欲求がある限り、不毛な争いは一生続くでしょうし、それこそがこの界隈の有り様ではないでしょうか?そこに意味を感じない者たちは訪れることもないでしょうし、今いる者たちも別の何かを見つければ自然と去っていくでしょう。
おいおいおいおい
この気持ち悪い口調とやたら他人の個人情報をほじり出す悪癖に見覚えあるぞ
まさかお前ドコモ名無し?
背筋がぞくっとしたわ
あ、>>1じゃなくて>>47の名無しな
SONYという別人格でもまだ活動してんのな
https://jeison.biz/casphy/bbs/search.php?mode=thread&cate=kenka2&search=SONY&type=name
>>48
「空気が読める」ってのは特別な属性なんだよ。すべてのコミュニティで求められる性質だ。
なぜならその空気を醸成してるのはコミュニティの参加者の希望や要求だからだ
空気を読むというのはその思いを汲み取って応えることなんだから、周囲は「空気を読んだ人」を快く迎え入れる。
それに対して例えば逆に「強い」ってのは周囲の希望や要求とは必ずしも合致しない。
弱くあってほしい、そういう需要だってあるはずだ。
異常者が安心材料どうのこうのって話もそれと通じるところがある
もしその「空気」を作り上げた、ってことが言いたいなら
一体どうやったらそんなことができるのかぜひとも知りたいよね
単に気の合う連中で固まっただけじやなく
昔は人口の流入もそれなりにあったみたいだから
その都度ある程度の換気も起こるはず。
例えばPC勢と携帯勢が対抗しあって混ざり合っても、依然として高評価を維持しつづけた喧嘩師はいたけど、
これは空気に適応した、ってことじゃなくて、空気を作り上げた、ってことになるのかな?
それに同じ人だからといってずっと同じ心理状態を保ってるわけでもないから
空気ってのは本来かなり流動的だと思んだよね
それに反して、空気を無理矢理にでも一定の性質に保つってことは
自然法則に逆らうような超常的な力が働いたと思われるから
仮説としてとても受け入れられるもんじゃないね
俺は喧嘩界隈の起源まで知ってるわけじゃないけど
自然発生的に生まれた、っていうのは十分考えられると思うよ
だって、本来喧嘩って自然と起こるもんじゃん
特にネットの赤の他人と匿名で交流が取れる場所においては
暴力を振るわれる危険も相手を気遣う義理もないわけだから
攻撃的な発言が飛び交いやすいし喧嘩にもなりやすい
そうなると相手を言い負かした成功体験から
常習的に喧嘩を吹っかけるやつも出てくるでしょ
いわゆる喧嘩師ってやつだけど、そんなのが一人誕生すると、今度は周囲に刺激を与え始めるわけだから、
もともとのネットの性質も手伝って、そいつを中心にした喧嘩師集団(+野次馬連中)ができあがる
これが喧嘩界隈の初期段階であり、喧嘩板とかはそいつらの拠点として後から作られたもんだと思うよ
>>53
とても受動的な方なんですね。
周囲の希望や要求に応えなければならないという強迫観念のようなものを感じます。相手の希望や要求に応えるということと承認を得るということは本来は別のはずですが、そこを混同して悩んでいる方が多くいます。日本人は特にその傾向が強いかもしれません。
空気を読まなくても他者から評価されたり、承認されることは可能ですし、力さえあれば、空気を作り出すことも作り変えることも可能です。現実社会の場合は、あまりに既存の存在が大きすぎるがゆえにそう簡単にはできませんが、インターネットならもう少し簡単にできます。空気というのは人間が生み出したものであって、自然法則ではないからですね。
もしかしたらあなたの仰るように、彼らはコミュニティの空気を敏感に感じ取って、評価されるような立ち回りをうまく演じ続けたのかもしれませんが、あなたみたいな繊細な方はこの界隈にはあまりいないと思いますよ。
誰かによって作られた既存のコミュニティに参加するばかりではなく、新しいコミュニティを自分で作ってみると何か分かるかもしれません。最も身近なところで可能なのは自分の恋人や家族を持つということでしょう。空気をどのようにして作り上げていくかということについて、私がここでつまらぬ講釈を垂れるよりも、如実に経験できるはずです。
>>54
空気を作ることができないっていうのは言い過ぎだったね。正確じゃなかった。
言い直すついでに話を整理しよう
俺が言いたかったのはつまりこうだ
人間の心の動きというのは川の流れのようなもので
誰かが小石を投げたら水面が波立ち
雨が降って増水、勢いを増したり
水中で魚が泳いで渦ができたり
そういった細かな事象が重なることで
複雑怪奇な動きを見せる
ミクロなレベルにおいてはいくら知能の発達した人間といえども自由自在には操れない
それに対して、君が言いたいのは多分こうだ
川の流れを完全に制御することはできない
でも陸地を掘ったり埋めたりして進行方向をおおまかに変えることはできる
この意見には同意する
例えば説得する、煽る、論破する……そうやって喧嘩で相手の心を動かし、方向付けることは決して珍しくない
自分自身の経験を振り返ってみると、他人の考えに触れて、ハッと気づかされることも多かった
思い切って普段と違う行動をとったところ、自分に対する周囲の見方が変わり、別の役割が求められるようになることもある
こう考えていくと、確かに君の言うような「動かし方」はできる
ただし一対一ではなくある程度人数が揃ったコミュニティが相手となると、例えばクラスのリーダーみたいな立場になってくると思うね
>説得する、煽る、論破する……そうやって喧嘩で相手の心を動かし、方向付けることは決して珍しくない
喧嘩認識論とでもいうのかな
面白いんじゃねえの?
>>56
その上で申し上げると、少なくともこの界隈においては、そのような繊細な流れを理解されている方は少数派で、皆さんはもっと動物的な欲求に基づいて行動していると思うのです。その欲望のうねりみたいなものがこの界隈における空気感や価値観の根源にあるという点では、今も昔も大きく変わりはないのではないでしょうか?記録を辿ればどこかに起源があって、原初となる誰かがいたというだけです。
それが誰であるかという点に必然性はなく、偶然その時代と環境が彼らの欲求を満たす場所として合致していただけに過ぎない、というのが私の見解です。
>>5
>陰謀論を信じれば、社会の欺瞞から解放され、媚びを売る必要がなくなります
それは社会の欺瞞から解放されるために、そことはまた別の社会に媚びているだけではありませんか。