唯物論的なスタンスで死や魂を単なる物理現象として捉えるのは構わないんだけど
それなら「死後の世界」についても物理的にアプローチすればええんでないの?
というか、弁えてる識者であればあるほど
そういうスピリチュアルなテーマについては「あるかもね」と肯定的になるもんだと思うんだが
例えば、痛みとか恐怖ってのは脳の電気信号なわけだけど
自殺の名所で幽霊見ちゃったとか言ってる人は
死んだ人がいまわの際に残した電気信号を受け取っちゃう周波数の脳を持ってるのかもしれない、とか
いくらでも合理的な可能性を模索できるよな
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
>>439
>唯物論的なスタンスで死や魂を単なる物理現象として捉えるのは構わないんだけど
>それなら「死後の世界」についても物理的にアプローチすればええんでないの?
「死後の世界」を物理的にアプローチだと?物理的にアプローチできるならそこも「この世」だろうw
なぜわざわざ「死後の世界」という表現を持ち出す?
たしかに生命工学においてプラズマは命の源だ。受精の瞬間に卵子の膜が発光し、エネルギーの振動が安定して生物となる。そして生命や霊もプラズマ現象と定義するなど、スピチュアルな対象を物理学的な言葉に換言することなら可能だろう。
したがって俺は、他者視点から見た霊魂の存在は「あるかもね」というスタンスだ。
だが今は霊魂ではなく、「死後の世界」に関する話だ。
霊魂は物理的にアプローチ可能かもしれんが、「物理的にアプローチする」というのはあくまで生きている者の視点であり、「死後の世界」というのは死んだ者の視点の話だ。
そして「死んだ者の視点」などというものが存在するのかというのが、俺の疑問だ。
そもそも、どこからが「死」なのか、「死後」の定義が分からない俺からすれば、なぜ霊魂になった時点を「死後」と表現するのか、そこからが疑問だが。
また、たとえ霊になった後も意識が続いていたとしても、そこが自殺の名所など、自分のいる場所がこの世であるなら、それは「死後の世界」ではなく今までと同じ世界だ。
死後の世界を肯定するなら、まずは死の定義を明確にし、生物と呼ばれる物が別世界と繋がっていること、死ねばその別世界に行けることを証明し、生物と無生物の境界を明確にすべきだろう。
勘違いしないでほしいのは、俺は死後の世界の存在を全否定しているわけではない。死んだことがない以上、ないとは言い切れない。
だが「ないと考えるのが自然だろう」というのが俺の主張だ。
何でコピペかと思ったかって、ポエムじみてて何言ってるか分からんからだよ。書いてる本人も自分が何を言ってるか分かってなくて、なんかそれっぽい雰囲気だけで喋ってんじゃねーのって印象持っちゃう。
「プラズマ」ってなんやねんw
「エネルギーの振動」ってなんやねんw
>443
>「プラズマ」ってなんやねんw
>「エネルギーの振動」ってなんやねんw
どうでも良いところをいちいちツッコむなよ。
エネルギーは波なのだから振動しているのは当たり前だろう。
なぜこの世に素粒子が存在しているか知っているか?
ビッグバン時の宇宙空間には高エネルギーの光子が大量に発生していて量子場を振動させていた。宇宙の膨張とともにその振動は希薄化され、今では真空と見なさるまでになったがな。
だがスピノル場というものだけは、振動されても量子効果によって定在波が生じ、場の振動エネルギーが特定の値になる共鳴状態を形成する。つまり内部に振動エネルギーを保持する。
このエネルギーの塊こそが、電子やクォークといった素粒子だ。
やがてヒッグス場が顕在化すると、素粒子は光速で真っ直ぐに進むことができなくなり、速度が落ち、運動エネルギーが低下することで質量を持った状態となる。
アインシュタインが特殊相対性理論の帰結として発表したE=mc^2という数式は、「質量を持つ物体は必ずエネルギーを持っている」という意味で、質量とエネルギーの等価性を表している。
質量をもつ物質も元々は目に見えないエネルギーだったが、波の振動の仕方が変化することで物質になり得たというわけだ。
そしてプラズマとは、プラスとマイナスの電荷が均一に存在する状態だ。これもまたエネルギーの振動の安定だ。
言うまでもなく人体も常に電気を発生させている。活動電位の発生によって神経線維が賦活し、伝導する。
しかし細胞内の電位は、細胞外よりも約70mV低く保たれている。そこで刺激を与えることで、細胞外からは+に帯電したナトリウムが流入し、その後速やかに細胞外に汲み出されてしまい、細胞内は再び負に帯電していく。
このようにして神経線維が賦活するが、普段は細胞内の電位が一定に保たれているという点で、人体はプラズマで成り立っている。
それは生命をプラズマと説明しても良いだろう。
うぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあ
どうでもいい話をペラペラ語ってるから伝わりづらいんだよ。そこが余計に「あ~、コイツ多分どっかからコピペして知ったかぶってるだけなんだろうなぁ~」って気にさせるんだ。
プラズマを語るのに素粒子が存在している理由云々のくだり必要か?
>エネルギーは波なのだから振動しているのは当たり前だろう。
何エネルギーですか?
で、安定しているというのはつまりどういう状態のことを指すんですか?
この2つを踏まえた上で、そのプラズマにおけるエネルギーの振動の安定化ってつまりどういうことなのか教えて貰っていいですか?
生命が誕生する瞬間のエネルギーの振動の安定化というものについても、この2つを踏まえた上で説明してもらいたいです。
うぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあうぼあ
>>441
>「死後の世界」を物理的にアプローチだと?物理的にアプローチできるならそこも「この世」だろうw
>なぜわざわざ「死後の世界」という表現を持ち出す?
>死後の世界を肯定するなら、まずは死の定義を明確にし、生物と呼ばれる物が別世界と繋がっていること、死ねばその別世界に行けることを証明し、生物と無生物の境界を明確にすべきだろう
間違ってるとは言わないけど、なんでそんな受け身なんだ?
唯物論者の立場に立つにしても、生前と死後を物理的な境界線で別けるとか色々やりようはあるじゃん
「死後の世界は物質世界に内包されてる」と仮定したうえで推論を進めることもできるでしょ
「現代科学ではこのようなことが判明している」
「それらの法則を遵守したうえで死後の世界があると仮定するなら、こういう性質を指すのではなかろうか」
・・・みたいなアプローチはできるよね
>>452
>なんでそんな受け身なんだ?
こちらが受け身なのは当たり前だ。死という概念を持ち出したのも、別世界を想定しているのも、「死後の世界」の存在を肯定する側なのだからな。
もし死後の世界も物質世界と因果的に繋がっているなら(死後の世界を因果的に説明できるなら)、死後の世界と物質世界は同一と見なしても問題ない。わざわざ生物にのみ適用される「死」という概念を持ち出さなくとも説明できる世界、ということになる。
「死は幻想ではない」、「「死」や「死後の世界」と表現する理由が便宜上だけではない」と言うのなら、それが物質世界のみでは絶対説明できない現象であることを示せば良い。ダークマターも現代科学では説明できないが、それは解明されていないだけだ。そうではなく、解明の余地もないことを証明すべきだと言っている。
もっとも、俺はその不可能性に違和感を覚えているわけだが。
逆に「必要性がないことの説明」は必要性がない。自然科学は物理的世界の因果的閉鎖性を支持しているからな。
雨粒が落ちることの説明に天使の存在など必要ない。重力の存在で十分だ。そして「なぜ天使が必要ないのか」という説明も必要ない。
だから俺は受け身で構わない。
>生前と死後を物理的な境界線で別けるとか色々やりようはあるじゃん
>「死後の世界は物質世界に内包されてる」と仮定したうえで推論を進めることもできるでしょ
よく分からんが、それは要するに「高血圧とは血圧が140以上/90以上」と定義するようなものか?物質世界だけで説明できる境界線と捉えて良いのか?
俺が言っているのは、血圧が一定の数値以上だろうが以下だろうが、それが血圧であることに変わりはないだろうということだが。
それにさっきも言ったが、そうやって境界線を設けるのも生きている者の視点でしかない。生前の状態と死後の状態の境界線を恣意的に決定して区別することは可能だろうが、死んだ者からすれば生きている者が決めた境界線なんざ知ったことではない。
>現代科学ではこのようなことが判明している
>それらの法則を遵守したうえで死後の世界があると仮定するなら、こういう性質を指すのではなかろうか
それも死という概念を明確化しないことには何とも言えないな。
「このようなこと」「こういう性質」を語れる間は死んでいないのかもしれない。その時点をも死の範疇と定義するならそれまでだが。
「死んだならばこうなる」などと謎の原因を述べるのは勝手だが、それなら死を明確に定義しなければならない。明確に定義できないなら仮説止まりだし、もし定義できたとしてもそれを物理的な表現で記述できるなら、死は架空であり死後の世界も架空だ。
俺のポジションを履き違えていないか?
おれは唯物論者の立場として死を説明したいわけではない。「死後の世界」の存在否定の材料として「死」が幻想であることを主張している。
>>453
とは言うけど、唯物論的なスタンスを「能動的に」選んでるわけであって。
科学的結論の正しさを担保してるのは科学自身なんだから
「死後の世界」という問題提起について科学的アプローチを試みる意味はあると思うんだけど。
何なら「実は俺たちは全員既に死んでおり、この物質世界は死後の世界だ」と仮定しても
科学的には何の不整合も生じないわけで。
>生前の状態と死後の状態の境界線を恣意的に決定して区別することは可能
と言うなら妥当な境界線を模索してみればいいし
>死という概念を明確化しないことには何とも言えない
と言うなら明確化を試みればいいわけで
そのへんを省いて受け身になってるのがコピペを疑われる一因になってる気がするぜ?
>それは要するに「高血圧とは血圧が140以上/90以上」と定義するようなものか?
>物質世界だけで説明できる境界線と捉えて良いのか?
この場合「少なくとも物質世界においては成り立っている」というのが最低条件だろうね。
>もし定義できたとしてもそれを物理的な表現で記述できるなら、死は架空であり死後の世界も架空だ
これも同様に、架空とする説明を添えたほうが付け焼刃のコピペ感を否定することにつながると思うよ。
で、例えば「雨粒が落ちる」のうち物質なのは「雨粒」であって
「落ちる」ってのは現象に対してつけられた名前・実体を伴わない概念なわけじゃん。
物質を介して間接的に観測できる現象や性質を「存在する」として扱うなら
死後の世界が存在するという仮説を立てる余地も十二分にあると思うわけよ。
死後の世界や輪廻転生を信じてるが故に起こった出来事なんて歴史上にごまんとあるしな。
コピペで何が悪いんですか?
自分の言いたいことを既に言っている人がいるのを発見したら、
それを紹介する方が早いし、専門家の意見なら、それにある程度の
信頼性も付与させることができるじゃないですか
>455
>とは言うけど、唯物論的なスタンスを「能動的に」選んでるわけであって
唯心論的とかに比べれば能動的になるまでもなく、むしろ自然なスタンスだと思うんだがな。
存在するかどうかも分からないものをいちいち仮定する方が気持ち悪いし、能動的にならないと成せない立場だろう。
教科書に載ってる物理法則と同じように、生物の心や魂に関する物理法則もビッグバンと同時に生まれたはずだ。
それが生物にだけ適用されると考えるのもおかしい。生物が本当に特別な存在なら、なぜ生物も一般的な物理法則の影響を受けるのか。なぜタバコや酒や薬剤やゲームによる中毒、サブリミナル効果に簡単に影響されるのか。
説得力がまるでない。
>科学的結論の正しさを担保してるのは科学自身なんだから
まるで科学も宗教の一種だとでも言いたげだが、宗教的な正しさと科学的な正しさではワケが違うぞ。
宗教においては神の言ったことが絶対であり、人間の行動規範となっている。正しさを担保するための実証は瀆神行為と見なされる。そして集団の共通意識が失われると信仰の対象もすぐに変わってしまう虚構でしかない。
しかし科学的な結論の正しさというのは、仮説の実証によりなされ、進歩する。人間がそれを反対したくとも現実的にそうなのだから受け入れるしかない。
別に俺は科学至上主義者ではないし、好き好んで科学を信じているわけではないが、今のところ科学以上に信頼できるものがない。いや、俺だけじゃないだろうけど。
>「死後の世界」という問題提起について科学的アプローチを試みる意味はあると思うんだけど。
科学的アプローチを施すにしても形而上学の問題であるうちはどうしようもないだろ。
>何なら「実は俺たちは全員既に死んでおり、この物質世界は死後の世界だ」と仮定しても科学的には何の不整合も生じないわけで。
無意味な言葉遊びだ。
実証できない時点では何とでも言える。
>この場合「少なくとも物質世界においては成り立っている」というのが最低条件だろうね。
つまりどういうこと?
生死の境界線は他の世界でも成り立つってことか?
>と言うなら妥当な境界線を模索してみればいいし
>と言うなら明確化を試みればいいわけで
そうか。
ならナメック星も存在するかもしれないから探してみるか。海底にドッペルゲンガーがいるかもしれないから探しに行ってみるか。地球は滅べばまた再生するかもしれないから滅ぼしてみよう。
…と、不自然な仮説を実証しようとするとキリがない。死後の世界の存在などさらに不自然だ。
>架空とする説明を添えたほうが付け焼刃のコピペ感を否定することにつながると思うよ。
>物質を介して間接的に観測できる現象や性質を「存在する」として扱うなら
>死後の世界が存在するという仮説を立てる余地も十二分にあると思うわけよ。
俺自身、現象や性質を「存在する」として扱った覚えはないが、もしそう扱うならば確かに死後の世界も存在するだろうな。
論理法則、数や円などの数学的対象、善や美、信用などの抽象的な概念、赤い、冷たいなどの性質。これらの概念は実体としては存在しないが、かといって「ない」わけでもない。
もちろん「丸い三角形」など自己矛盾を孕む概念はないが、「三角形」はある。
こういった人間の想像の産物は、プラトンが提唱したイデアにおいては存在するとされている。当然、死後の世界もそこに含まれると俺は考える。
しかし俺が言っている「存在」は現実界に存在するものであり、想像の産物を省いている。イデア界に存在するものなど所詮は人間中心の概念ばかりだからだ。
「落ちる」や「死ぬ」という単語だって人間が便宜上使用しているだけで、それ自体が存在するわけではない。
「死後の世界」などという生物中心の概念も同じだと考える方が自然じゃないか?存在しないとは言い切れないが、99.9%存在しないと俺は思う。
>死後の世界や輪廻転生を信じてるが故に起こった出来事なんて歴史上にごまんとあるしな。
そんな出来事は知らないな。宗教戦争とかの話か?
だとしてもそれはあくまで人間の脳を介して起きた出来事であり、それらの存在が直接自然界に作用したことはないんじゃないか?それを「存在する」としてしまうのが人間至上主義の不自然なところだ。
そもそもそういった出来事の発端も、自然界と人間の脳の相互作用によるものだとは言えないだろうか。環境が欲望は信仰心を生み、それらが行動を生み、行動が出来事を起こし、出来事がまた環境を変え欲望を生み…歴史はその繰り返しだろう。
>>459
>唯心論的とかに比べれば能動的になるまでもなく、むしろ自然なスタンスだと思うんだがな
「間違ってるとは言わないけど」と前置きした通り、あくまで感覚的には同意だよ。
俺も無意識のうちに科学を信じ、科学に助けられて生きてるからな。
ただ、その「自然さ」とか「仮設の実証」とかが何に担保されてるのかというと
結局は科学自身によるトートロジーじみた定理付けなわけじゃん。
そこは弁えておく必要があると思うわけ。
「科学的に正しい手順で仮説が実証されたら信仰対象(定理)を切り替える」
↑なぜ?
↑なぜなら科学を信じているからだ
十分に宗教的だと思うけどな。
そういう事情を踏まえると、「死後の世界」という一見して非科学的な問題提起について
「それは非科学的だ」の一言で済ませてしまうこと自体、科学教における背信行為なんじゃないか?
「生前と死後の差分をこのように解釈すれば、死後の世界が存在することを科学的に許容できる」
みたいな論理展開は十分に可能でしょ。
>科学的アプローチを施すにしても形而上学の問題であるうちはどうしようもないだろ
いや、どうにかしろ(責任を持って仮説を立てろ)とか言ってるわけじゃなくて
強制でも何でもなく、自発的に意見出そうぜ?って勧誘してるだけだよ。
面倒だとか分からないとか個人的な理由で受け身になるなら仕方ないけど
「科学的には~~とされているから受け身になって当然」ってのは違うんじゃないか、と。
科学的に未解明な命題に関して「科学的に解明されるまではどうしようもない」という姿勢を取るのは
めちゃくちゃ非科学的だと思うよ。
>不自然な仮説を実証しようとするとキリがない
これについても同じ。
科学的見地から見た際に不自然と感じるような仮説も含め実証を重ねて進歩してきたのが科学という学問だろうに。
実現可能性を無視して方法論の構築から始める研究もごまんとあるわけだし。
そして、キリがない(全て検証され尽くす時などこない)なんて科学屋が最も自覚してることだよ。
>生死の境界線は他の世界でも成り立つってことか?
死後の世界について科学をベースにアプローチをかける場合、少なくとも科学的に成り立っていればそれでいいっていう意味。
>だとしてもそれはあくまで人間の脳を介して起きた出来事であり、それらの存在が直接自然界に作用したことはないんじゃないか?それを「存在する」としてしまうのが人間至上主義の不自然なところだ
脳を介してる時点で十分に物質的(物理的な表現で記述可能)だと思うんだけど。
脳波のパターンや活性化する部位によって心理状態を分類する手法は既に一定の科学的信頼性を得てるよな?
電気信号という物理現象を介してイデアの観測を試みるってのは方法論として十分ありだと思うよ。
>>460
>ただ、その「自然さ」とか「仮設の実証」とかが何に担保されてるのかというと
>結局は科学自身によるトートロジーじみた定理付けなわけじゃん。
仮説の正当性は科学に担保されてるかもしれないが、仮説の実証に関しては理論のみでは成立せず、実験器具、装置などの「現実に存在するもの」に担保されるのではないのか?
理論が分からなくとも、坂に置いたビー玉が坂を下ればそれが正しいし、何の根拠もなく「いや、いつか上に昇っていくはずだ」などという仮説を立てるのはいくらなんでも不自然だろう。(もちろんそれも、100%否定することもできないが。)
>十分に宗教的だと思うけどな。
宗教的な部分なら確かにある。
数少ない実験で証明されたことを無条件に普遍的なものとして扱おうとするのは科学ならではのものだし、「科学的に~」という文言があるだけで無条件に信じてしまうならそれは立派な宗教かもしれない。
重要なのは、キリスト教やイスラム教という従来の宗教などとは明らかに異質な部分もあるという点だ。
宗教は人類を統一するために人間が作った道具だった。人間が作ったルールは絶対ではないため、集団が大きくなるにつれてルールに疑いをもつ者が現れ、集団のまとまりがなくなっていく。
集団を統一するには、ルールを「神が定めたもの」とし、全員に承認させる必要がある。人間の行動規範となるのが宗教だった。実際は神ではなく人間が作ったルールだけどな。
一方、科学に関しては人間が作ったものではない。現実(自然)という既に完成された秩序を人間が解読する営みだ。
人間を中心に置かない。その点で俺は科学を信用している。
>「それは非科学的だ」の一言で済ませてしまうこと自体、科学教における背信行為なんじゃないか?
別に死後の世界を非科学だとは断言しないし、非科学を認めること自体も科学に反していない。
ライプニッツの充足理由律。これは「物事は前後のいずれの方向でも、どこまでいっても説明できる」というものだが、これは科学の根本原理だ。
またこの原理は、人間の「物事を理由づける能力」にも当てはまる。この原理自体に反対しようにも理由を挙げる必要があるわけで、既にこの原理の妥当性を認めていることになるからな。
人間は科学を信じるようにできているのかもしれない。
そこで、唯一この原理が当てはまらない現象がある。それは「この世の始まり」だ。
「事実」がなぜあるのかは説明できない。世界の存在もまた「事実」。よって科学の手には負えない。非科学がこの世を創造したと言っても良いだろう。
科学者ってのは、自然に対して謙虚な者であるべきで、だからこそ神を信じる姿勢がある。
全てを理解したつもりになって「神は必要ない」などと宣う傲慢な態度こそ、科学の進歩を妨げる背信行為だろう。
>「生前と死後の差分をこのように解釈すれば、死後の世界が存在することを科学的に許容できる」
解釈とか言ってる時点で虚構だな。まあそんな消極的なアプローチなら科学的に許容はできるか。無意味だけど。
>いや、どうにかしろ(責任を持って仮説を立てろ)とか言ってるわけじゃなくて
>強制でも何でもなく、自発的に意見出そうぜ?って勧誘してるだけだよ。
どうしようもないことに自発的に意見を出そうとして何になるんだ。
そこはどうしようもない問題提起をした側に任せるしかないだろう。
>科学的に未解明な命題に関して「科学的に解明されるまではどうしようもない」という姿勢を取るのはめちゃくちゃ非科学的だと思うよ。
科学的に未解明というより言語的な問題なんだよなぁ。
それに「解明する方法」も科学によるものであり、それ自体は否定してるわけじゃないから別に非科学ではないだろう。
だからといって「科学的に不都合がないこと=科学に正しいこと」というわけでもない。不都合がないのは現時点での話だ。いわば仮説のような状態であり、解明する方法が確立したなら実証すれば良い。科学は進歩する。
>死後の世界について科学をベースにアプローチをかける場合、少なくとも科学的に成り立っていればそれでいいっていう意味。
どうすれば「死後の世界の存在が科学的に証明された」と判断すれば良いのか分からないから困ってるんだがな。
科学的にアプローチを仕掛けたとして、誰が「証明された」と判断する?死者か?じゃあ死者との交信手段を確立しないとな。じゃあその相手が死者だと誰が判断する?
無限回廊だな。
>電気信号という物理現象を介してイデアの観測を試みるってのは方法論として十分ありだと思うよ。
何かイデアを勘違いしていないか?現実世界のもととなっているのがイデアの世界であり、イデアの定義上、観測できるならそれはイデアではない。
例えば現実界で三角形を観測したとしても、それはイデアにおける正確無比な三角形を観測したわけではない。
観測可能な三角形といえば、黒板に描いた三角形、紙に印刷された三角形、画面に映された三角形などにすぎず、いずれにしても内角の和は正確な180°にはならない。角度を拡大すれば、凹凸や画素数による制限で誤差が生じるからだ。数学では誤差は許されない。
この誤差のある偽りの三角形、もっといえば単なるインクの点、チョークの粉、画素。こんなものをなぜ「三角形」と認識できるのかといえば、それはここが感覚界だからだ。光を介して感覚器官から入った視覚情報が脳へと伝えられ、脳がそれを三角形として処理するからだ。
「死後の世界」だって言葉の意味上、「死後の人間が見る世界」である。生きてる人間が観測できる時点で、それは死後の世界でも何でもない。現実に存在する脳が制作した映像を見ているだけ。
たとえ人間が一度死んでみて再び生き返った後、死んでいる間の世界を思い返すにしても、それは脳による捏造の可能性だってある。
脳は簡単に幻想を作り出す。
例えば、熱い物に触れれば人間は手を引っ込める。なぜ引っ込めたのかを訊けば、「熱いと感じたから手を引っ込めた」と答える。
だがこれは脊髄反射であり、感覚器官から入った刺激が脊髄でUターンして運動神経に伝えられ、筋肉を動かすというものだ。その経路に脳は含まれないため、無意識に筋肉を動かしたことになる。
だから、手を引っ込めた時点ではまだ「熱い」とは感じていないはずだ。それなのに「熱いと感じたから手を引っ込めた」と時系列を変更するのは、脳が幻想を作り出しているからだろう。
この話に限らない。一般的なヒューマンエラーもこの類いだ。
>脳を介してる時点で十分に物質的(物理的な表現で記述可能)だと思うんだけど。
死後の世界や輪廻転生を「存在するもの」と仮定すれば脳のみを介してることになるという話であって、実際に「存在しているものが脳を介している」なんて思っていないから、勘違いするなよ。
>脳波のパターンや活性化する部位によって心理状態を分類する手法は既に一定の科学的信頼性を得てるよな?
これに関しても、心理の存在を物質的に証明したことにはならない。そもそも物理的な表現で記述できるなら架空だと言ったはずだ。
魂の正体がプラズマだと判明したのならそれはプラズマであり、魂はイデアにしか存在しない架空の概念だ。
全部細かく読んでないからあれだけど
死後の世界やら宗教的なやつは
末期ガンとか死に近い人、身近な人が死んだ人を実際に関わったらなんとなくわかる気がするだろうけど
今まで宗教とか何にも縁がない人が急に死を間近にしたらすがったり
普通信じないような話にもすがってしまいのめり込む
その近親者がのめり込むパターンもある
こんだけネットとか科学的なことが進んでもどうしようもないから何かしらにすがってしまう
あるかないかもしれない得体の知れないものにすがったり、そういう世界があれば救われるんじゃないかと盲信してまう
気持ちはわかるよね
病気とか辛い時になると甘えたくなるとか
よく知りもないことなのに影響力ある人が言っているからと信じたりとか
影響力関係なしに自分の都合のいいように思い込むとかもあるよね
ここらは多分脳の補完する作用、何かと結びつけたくなる脳の仕組みから来るものだと考えられるけど
死後の世界も人間がなんで墓を作ったのか
突然死体を衛生的なことや、腐敗がどうこう抜きに埋めたり、焼いたりして墓を作り出したのか
いつ人の死生観的なものができたか、その背景を遡っていけば紐解けるきもするけどね
人が死に対することに恐れから
理不尽な死に対して救いを求めたのか
親しい人が死んだことに耐えきれず都合よく補完するために輪廻転生やら、死後の世界があって死んでも救いがあるみたいな
わからないこと、どうしようもなく受け入れられないことからの逃避のために
都合よく脳が作った補完する能力、思い込みをしてしまう仕組みから来るものなんだとは思う
お墓とか何のためにって個人的には思っちゃうけど
最愛の人とか亡くなったとか受け入れられない、取り乱す人を間近に見ると
お墓参りとかする事で心が整理される、和らぐんだろうなーって
末期ガンとか死の間際やあと何年って人が急に写経したり、宗教的なものにハマったりとか実際に見ちゃうと今の世でさえこれなんだから
昔はもっとすがる人が多かったんだろうな
そのしょうがないが割り切れない、諦めきれず
どうしようもない思い、考えから逃避、緩和されようとして
死後の世界だの、輪廻転生、神の存在、天国、地獄といったものを生み出したんじゃないのかな
割り切れるか割り切れないかはどうでもいい。
その現実逃避に端を発する概念が現実に存在するかどうかというのが話の主旨だ。
もちろん、たまたま存在することはある。
例えば成功確率1%の手術を前に「自分は助かる」と信じるのも一種の現実逃避だが、それでも助かることはある。助かるという未来が現実に存在したのだ。
しかし死後の世界はどうだろうか。人間にのみ第二の世界を認めるのはあまりにも不自然だろう。
>脳の仕組みから来るもの
という表現は的を得ている。
もともとイデア界に存在していたものがわざわざ人間を選んで人間の脳を介して現実界にあらしめた?
それより「人間の脳が勝手に作った錯覚」だとシンプルに考える方が自然だろう。そうすれば存在するかどうかも分からないものを考える必要はない。
概念的にはあるだろうけど
脳で作られたご都合主義的な、救いからの祈り的な産物だから
現実にあるかないかといったら実際にそのものが発見、認識出来ていない以上
存在という点でいったらほぼないだろうけど
ないものを証明する、ないものをとされているものをあるものとして証明するのは現実的に証明できる材料がなきゃ水掛け論になるでしょうね
こういう思い込みみたいな話、脳が作ってしまったものの話として
死後の世界とかよりも
UFOについて話し合うといかに脳が作り出した錯覚でもあり
完全に否定もできない存在があるかというのがわかると思う
いつUFOらしきものが発見され
それがラジオを通じて広まり
それっぽいものをUFOと認識してしまうまで刷り込まれてしまったのか
そして空想は広がるが技術が進むにつれ関心が薄れていったか
それでも尚いまだに存在を信じたり、調べようとする要因は何かみたいなね
もす叩きの流れに便乗して言うけど、もすって横文字使いたがる新入社員と本質的には何も変わらないと思ってる。
痛々しい中二病って感じ。
愚かな妄想から発展して技術改革起きたり、新しい理論が生まれたりと
一概に馬鹿にできない面もあるよね
固定概念持ちすぎによる弊害なんかもあるし
漫画のチ。地球の運動についてみたいな
>>478
>技術改革起きたり、新しい理論が生まれたり
んなこたぁ承知の上だ。そもそも文明というのは、架空の概念を外界に投影することで発展するものだ。
貨幣という妄想もそうだ。物々交換の時代はお互いの欲しいものがたまたま上手く合致しないといけなかったが、普遍的な交換媒体としての貨幣が発明されたことでどんなモノやサービスも交換可能となった。
また、物々交換は近隣に住む相手としかできなかったが、貨幣なら運搬も容易。食べ物とは違って腐らないため、富として蓄えることも可能。
まさに人類にとって画期的なシステムだ。
現在の司法もそうだ。責任という架空の概念を作り上げることで倫理が形成され、犯罪抑止力が生まれて治安は良くなる。
妄想は人間集団の存続にとっては重要なものである。
だが俺からすれば、それがどうしたって話だ。
技術改革が起きたからなんだ。新しい理論が生まれたからなんだ。
俺からすればそれすらも無意味で愚か。
そもそも文明の存続自体が愚かだね。この世の存在が愚か。愚かな一般人とは根本から思想が異なるのだよ。
別にもす個人的にどうとかはないんだけど
個人的に無意味とか思うのは個人の見解だから好きにすればいいよね
自分の中での生きる指針みたいなのは大切にしないとね
人間はさまざまに死後の世界を考えてきました。愛していたあの人はどこへ行ったのか、かわいいわが子はどこへ行ったのかという問いを人間は持ち、その問いから死んだらどこへ行くのか、この世界とはどんな意味があるのかと問うようになりました。そこから、人間の文明ははじまったと言われます。古代文明のさまざまな墳墓がそのことをものがたっています。
この問いに生涯をかけていどみ、その答えをはっきりと私たちに知らせてくれたお方がいます。2500年前にお生まれになった釈迦族の尊者、ゴータマ・シッダールタです。
その教えは仏教といわれ、わたしたちの国にも大きな影響を与えました。
その中でも、阿弥陀如来の浄土へ生まれていくという、浄土往生の教えは多くの人の心をとらえ、導いてきました。日本でも約3000万人の人が、浄土の教え(浄土宗・浄土真宗など)と何がしらかの関係をもっています。
すべての生きとし生けるものを必ず浄土に生まれさせ、二度と苦しむことのない境地・仏陀の境地にしてみせる、そのために私は南無阿弥陀仏という喚び声になったのだ、と阿弥陀如来は言われます。
そのことが一体、私の人生にどんな意味を持つのでしょう。長年、哲学と仏教を学ばれ、現代における浄土の教えの意味を問い続けておられる松尾宣昭師にたずねてみたいと思います。
※ 浄土往生とは私が阿弥陀如来の浄土へと往き生まれることです。真宗の教えでは私達は浄土に生まれた時に苦しみ悩みを離れ、悟りを開いた完全な仏陀になるのですが、それで終わるのではなく、苦しみ悩むものたちがいる限り、浄土からわたしたちの今生きているような世界(穢国〈エコク〉)に還り来て、さまざまなすがたをとって救済のための活動をすると親鸞聖人は説かれています。
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!ハ:::::|iV_' リ !ヽ! i_,.l_!|:::_ノ` 君らは地獄の苦しみを知らない。
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!ハ:::::|iV_' リ !ヽ! i_,.l_!|:::_ノ` 身体が疲労し、刺され、焼かれ、つつかれ、ただれ、何度も何度も身体が崩れ落ちる苦しみを知らない。
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!ハ:::::|iV_' リ !ヽ! i_,.l_!|:::_ノ` 自殺した人は虫からの再出発になります。
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別に死後どうこうから文明は始まってないと思うけど
人らしいものが産まれ生活するのに精一杯だったそこから発展してようやく墓を作ったり、弔ったりし始めたと壁画とか、化石からの生活様式を研究して判明しているのを昔何かの文献でみた
それまでは死体なんて適当に扱う、獣を寄せ付けないために埋めるとかしていたらしい
というか仏教やらキリスト教やらそういうの立ち上げたとか広めたって人
単なる勘違い野郎の妄想癖、だけど口が達者だったり、信じ込ませることに長けていたる詐欺師かペテン師の類の人なんじゃないかと思う
要は苦しんでいる人の不安な気持ちや、弱さにつけ込んで耳心地のよい話を吹き込んで取り込んだって感じじゃないのかな
細かく言うと違うけど精神論で幸せになろうーーってお花畑満開な気は持ちようという、痛いの痛いの飛んでけ理論の脳による思い込み、刷り込みを知ってか知らずかそれを利用したペテンの類のやつだよね
長々と話し合ってるけど、結局のところ「死後の世界があるか知りたければ死んでみろ」以上の答え出てないってことで合ってる?