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>とは言うけど、唯物論的なスタンスを「能動的に」選んでるわけであって
唯心論的とかに比べれば能動的になるまでもなく、むしろ自然なスタンスだと思うんだがな。
存在するかどうかも分からないものをいちいち仮定する方が気持ち悪いし、能動的にならないと成せない立場だろう。
教科書に載ってる物理法則と同じように、生物の心や魂に関する物理法則もビッグバンと同時に生まれたはずだ。
それが生物にだけ適用されると考えるのもおかしい。生物が本当に特別な存在なら、なぜ生物も一般的な物理法則の影響を受けるのか。なぜタバコや酒や薬剤やゲームによる中毒、サブリミナル効果に簡単に影響されるのか。
説得力がまるでない。
>科学的結論の正しさを担保してるのは科学自身なんだから
まるで科学も宗教の一種だとでも言いたげだが、宗教的な正しさと科学的な正しさではワケが違うぞ。
宗教においては神の言ったことが絶対であり、人間の行動規範となっている。正しさを担保するための実証は瀆神行為と見なされる。そして集団の共通意識が失われると信仰の対象もすぐに変わってしまう虚構でしかない。
しかし科学的な結論の正しさというのは、仮説の実証によりなされ、進歩する。人間がそれを反対したくとも現実的にそうなのだから受け入れるしかない。
別に俺は科学至上主義者ではないし、好き好んで科学を信じているわけではないが、今のところ科学以上に信頼できるものがない。いや、俺だけじゃないだろうけど。
>「死後の世界」という問題提起について科学的アプローチを試みる意味はあると思うんだけど。
科学的アプローチを施すにしても形而上学の問題であるうちはどうしようもないだろ。
>何なら「実は俺たちは全員既に死んでおり、この物質世界は死後の世界だ」と仮定しても科学的には何の不整合も生じないわけで。
無意味な言葉遊びだ。
実証できない時点では何とでも言える。
>この場合「少なくとも物質世界においては成り立っている」というのが最低条件だろうね。
つまりどういうこと?
生死の境界線は他の世界でも成り立つってことか?
>と言うなら妥当な境界線を模索してみればいいし
>と言うなら明確化を試みればいいわけで
そうか。
ならナメック星も存在するかもしれないから探してみるか。海底にドッペルゲンガーがいるかもしれないから探しに行ってみるか。地球は滅べばまた再生するかもしれないから滅ぼしてみよう。
…と、不自然な仮説を実証しようとするとキリがない。死後の世界の存在などさらに不自然だ。
>架空とする説明を添えたほうが付け焼刃のコピペ感を否定することにつながると思うよ。
>物質を介して間接的に観測できる現象や性質を「存在する」として扱うなら
>死後の世界が存在するという仮説を立てる余地も十二分にあると思うわけよ。
俺自身、現象や性質を「存在する」として扱った覚えはないが、もしそう扱うならば確かに死後の世界も存在するだろうな。
論理法則、数や円などの数学的対象、善や美、信用などの抽象的な概念、赤い、冷たいなどの性質。これらの概念は実体としては存在しないが、かといって「ない」わけでもない。
もちろん「丸い三角形」など自己矛盾を孕む概念はないが、「三角形」はある。
こういった人間の想像の産物は、プラトンが提唱したイデアにおいては存在するとされている。当然、死後の世界もそこに含まれると俺は考える。
しかし俺が言っている「存在」は現実界に存在するものであり、想像の産物を省いている。イデア界に存在するものなど所詮は人間中心の概念ばかりだからだ。
「落ちる」や「死ぬ」という単語だって人間が便宜上使用しているだけで、それ自体が存在するわけではない。
「死後の世界」などという生物中心の概念も同じだと考える方が自然じゃないか?存在しないとは言い切れないが、99.9%存在しないと俺は思う。
>死後の世界や輪廻転生を信じてるが故に起こった出来事なんて歴史上にごまんとあるしな。
そんな出来事は知らないな。宗教戦争とかの話か?
だとしてもそれはあくまで人間の脳を介して起きた出来事であり、それらの存在が直接自然界に作用したことはないんじゃないか?それを「存在する」としてしまうのが人間至上主義の不自然なところだ。
そもそもそういった出来事の発端も、自然界と人間の脳の相互作用によるものだとは言えないだろうか。環境が欲望は信仰心を生み、それらが行動を生み、行動が出来事を起こし、出来事がまた環境を変え欲望を生み…歴史はその繰り返しだろう。