>形式が妥当であることと、論理的に妥当なこととはちげーよカス
論理的に妥当がどのようなものであるか示してないからどう違うかもわからないんだよね。チガーウチガーウって言ってれば違う事になると思ってるならマジガイジ
少なくとも二つの論理的に妥当であるという帰納法があるのだから違うというなら論理的に示してどーぞ
>>77 この人たぶん、
帰納的に妥当は存在しない。
論理的に妥当=演繹的に妥当
帰納的と演繹的は違う。
こういう構図なんだよwがちのガイジだからさw
>78
ロシュって言い負かされるとヒスった女になるよ。もはや周りが見えずに感情論ばかりぶん投げてくる。しばらく蹴飛ばすとふて腐れて消えちゃうよ。ツイッターで慰めてもらうんじゃないかな。
>妥当な論証は前提が真であれば結論も必ず真となるもので、妥当な論証で前提が真で結論が偽となることはあり得ない。
これも同じくウィキペディの記載だけど、帰納法でこれを満たすものを言ってみ。
ていうか、文献だせれば勝てる状況で、ソースだして読解すらできてないってどういうこと?
やっぱりちゃんとした文献読んでないんじゃないかなー。
ほかにどんな論理学の本よんだの?
三省堂 とく せい [0] 【特性】
あるものに特別に備わっている性質。特有の性質。特質。 「火に強い-」
だから何?w
「火に強い特性」を持つ材料があったとして、それがその材料だけにあるとは言えないんじゃないw
wikiですら、演繹的論証が持つ論理的特性であるが、
「一般に任意の文に対して使われる」
って書いてるんだからさ。こういうのが読解力だよね。その人がどういう意味で使ってるか把握する力。
もう、ロシュきついな。あとは、だれかさんみたいに、キャスフィは雑魚しかいねーっていって逃亡して、仲良くぐち言い合ってればいいんじゃね?w いままでは居心地がいいとか言ってたけど、ちょっと非難されたら、すーぐ、ネガキャンって言い張るからね。
例えば種類が多くあったら、特性がかぶる物質なんかもあるだろうが、推論なんて帰納法と演繹法くらいしかないわけだからさ、その両方がその特性持ってたらなんら特別でもないじゃん。特有でもないし。
2 論理的推論
2.1 演繹的推論
2.1.1 推論
2.1.2 三段論法
2.1.3 両刀論法
2.1.4 同値の推論
2.2 帰納的推論
2.3 アブダクション(仮説形成)
3 確率推論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E8%AB%96
推論の正しさを妥当性という。
あらゆる事柄は言語において表現されるのであるから、妥当な推論には、その推論が指し示す事柄が妥当であること(意味論)
その推論が行われた状況において妥当であること(語用論
その推論の構文が妥当であること(構文論)
が考えられる
ロシュの出してきたwikiにすら、ぜんぜんロシュと違うことが書いてあるんだけどwwwwwwwwwww
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%A8%E8%AB%96
その推論が行われた状況において妥当であること(語用論)
これ帰納でもいけんじゃんwww
>推論なんて帰納法と演繹法くらいしかないわけだからさ
演繹と帰納
論理的推論(ろんりてきすいろん、英: logical reasoning)は、論理学において演繹、帰納、アブダクション(仮説形成)の3種類に区別されうる。
3つあるらしいよ?
>>95
ドヤ顔で何貼り付けてんの?それ、論理的推論には帰納法と演繹法しかないってこと書いてんじゃん。それらの種類としてもっと細分化できるって話でしょ?
もし一万歩譲って仮に帰納法をアブダクションと分けたとしても特性が3つのうち2つあるのは特別ではないじゃん。アホなの?
帰納法と演繹法にアブダクションを加味しても結局数が少ない中の大きなものに特性を見出すことはできないでしょって俺の意見は通るやんけ
特性=特有の性質。特質。
アブダクションと区別出来るなら帰納と演繹特有の性質と言えるじゃん
帰納(induction、インダクション)と演繹(deduction、ディダクション)、そして、類推(analogy、アナロジー)と仮説形成(abduction、アブダクション)
という全部で四つの種類に分類することができると考えられることになります。
https://information-station.xyz/7550.html
このサイトでは4つありますが・・・
とりあえず、ネットのにわか知識っていうすももの主張完全あってたみたいだね。
まともな本読んでそれだせばこうはならなかった。
くそだりーな、ロシュ。
ロシュを擁護するにしてもさあ。ボソッと適当な事を言うだけなんて酷すぎると思うなあ。まあバカを擁護するやつもまたバカなのだろう。ガイジの周りはガイジ。
形式的に妥当っていうのは論理学においてもあまり使われるワードではないからよくわかってなかったけど、普通に矛盾してるよね。形式的に矛盾云々の箇所。
形式的に妥当であれば、真の前提から偽が導かれることはないはずなのに、帰納法では形式的に妥当であっても真の前提から偽が導かれないとはいえない??????????????何言ってるのかわけわかんねえわ。
ウィキペディアなんていう信頼性ゴミソース持ってきた俺にも非はあるが、書いてる人かなり頭おかしい。くっそめんどくせえけど、ちゃんとまともな文献探してくるわ。ドヤ顔で揚げ足取りしてる場合じゃねえぞお前。
「帰納的論証の場合には、形式が「妥当」であっても、真なる前提から導かれた結論が偽であることが「けしてない」とまでは言えない。」
「論証が形式的に妥当であるとは、その形式に任意のオブジェクトやオブジェクトの集合を当てはめても、前提が全て真で結論が偽となるような例が存在しないことである。」
これ同じページに記載されてるんだがウィキペディア内で自己矛盾起こしちゃってんじゃんね。英語版ウィキペディアも一応確認したが、形式どうこうなんて載ってないし。
まあ後述するが、形式的に妥当かどうかとここで言う論理的に妥当かどうかは全く別の話なんだけどね(笑)
それより文献探るの中々めんどくさいな。妥当な帰納法ー!はあまりにも初歩的すぎて明確に否定してくれてる文献探すの難しいわ。
ちなみに、妥当性のwikiってこれ?英語あんまくわしくないけど
https://en.wikipedia.org/wiki/Validity_(logic)
おでん軍団の戦績
おでん→喧嘩から逃げまくる
天使→トラウマ抱えていつもりに恨み言
ロシュ→ツイッターとキャスフィで往復ビンタを食らう
赤村→隠居化
『思考の回路 論理学ABC』(富士思想叢書)
駒井 義昭 (著), 田村 慶一 (著), 柴田 隆行 (著), 平野 耿 (編集)
「第3章 記号の操作」の、15 推論 より引用
> 推論のすべての前提が真であるならば結論も必ず真であるという場合、推論は「妥当」(valid)である。妥当な推論では、すべての前提が真であるならば結論は偽ではありえない。すべての前提が真であり、結論は偽である場合、推論は「非妥当」(invalid)である。推論はその妥当性によって特徴づけられるのである。
> 日常生活や科学的研究のうちで、わたしたちはさまざまな推論をする。真であることが明らかな前提から結論を導き出すばかりではない。いまだ真偽不明な仮説や憶測を前提として推論することのほうが多いかもしれない。この場合には、導き出された結論にしても、その真偽は実験的に確かめられなければならない。これは、推論が誤っているからではなく、推論の妥当性がもともと前提や結論の事実上の真偽とは無関係であり、それらが実際に真であるということを保証するものではないからである。推論の妥当性はあくまで、前提とされる諸命題と結論となる命題との間に、前提だけからして必然的に結論を導き出せるという論理的な関係が成り立つことを示すものなのである。
Francesca Zaffora Blando. (2012). Does Deduction really rest on a more secure epistemological footing than Induction?. The Undergraduate Awards Library. Retrieved January 3, 2019, from http://www.undergraduatelibrary.org/system/files/806i.pdf より引用
[原文]
Most of our knowledge of the world is inductive: we observe certain reg- ularities in nature - for instance, all observed F’s have been G’s - and infer from them general laws - e.g., all F’s are G’s. Such inferences are to be distin- guished from deductive ones, which are standardly regarded as non-ampliative1 and truth-preserving: valid deductive arguments are deemed to always lead from true premises to true conclusions [7], [8]. Per contra, inductive arguments are defeasible: their conclusion is supported, but not strictly entailed, by the premises, and adding new premises may well invalidate previously drawn con- clusions. Accordingly, inductive inferences seem to lack the especially secure epistemological status which deduction purportedly enjoys.
[和訳*筆者が拙訳]
我々が持つ世界に関する殆どの知識は帰納によって得られたものである。例えば、我々は「観測された全てのF’sはG’sを持っている」といったような、ある自然法則を観測し、そこから「全てのF’sはG’sを持っている」といったような一般法則を導く。このような推論は、標準的に次のようにみなされる演繹的なそれとは区別される。すなわち、それは拡充せず(前提から結論へと至る過程で情報が増えず)、また真理を保存する(真理保存性がある;妥当である)とされる。つまり、妥当な演繹は、常に真なる前提から真なる結論を導くと見なされるのである。ところが、帰納は無効にされ得る。どういうことかというと、帰納における結論は、確かに前提によって支持されてはいるが、決してそれは必然性を帯びないということである。 また、前提を加えることが、前もって導かれた結論を無効にしてしまう(誤ったものとしてしまう)ということも十分想定される。したがって、帰納的推論は、特に演繹が満たしているとされる、保証された認識論的身分を欠いているといえる。
>>118 >122 その引用したものから、何がいいたかったんだろう?
ロシュが英語版wikiに形式なんて書いてないっていってるけど、
もろくそあったんだけどwwww