>>283
ログ読んで来いよ
犯罪発生率とコンビニの夜間営業の全国の犯罪発生率の上下の関連性
と
やり残したことと集中力の関連性は不明
もし「○○ならば」ハイドロゲンは何も間違っていない←それを明確に示す物証がない以上、俺は否定意見を持っていい
おめーも太ももプリンに治療してもらえ
つーか、なんでこの程度の話から先に進まないか考えてみたが、言葉に執着するあまり、言わんとすることを軸に話を進めようとしてないからじゃね?
今回は「否定」を自分視点の定義で全否定、完全な否定その余地が0%であることを同時に持ってないと使えない言葉であるみたいに考えてるんだろう
で、ハイドロゲンと言ってることは同じ
すでにその意見は突破してることに気づいてくれよ
PS(プレイステーション)
お前は俺の意見を否定してないの?
俺が「絶対に対象が間違いであると否定できる」と思い込みつつ
絶対に間違いである証拠を出せてない、
っていう図式があるならハイドロゲンにとってラッキーな展開だもんなぁ
勘違いするのはかまわんが、親切な追加説明があればそれに沿おうぜ
言葉の意味としても間違ってないんだし
一般用法としては相手の意見が0%であることを証明できる意見を持たずとも 否定 を使うことが多いのはわかりそうなもんだが
とりあえず
誰かの断定的な意見に対して、考え方の不備と結論は別にあるかもしれない、と思う旨を主張することは否定と言っていい
↑
これを否定してくれよ
本によると○○である(便宜的にこうであるって表現されてるけど実際は俺は100%そうだと語ってるものだとは思えない)
つまり、実質「そうであるかもしれない」と言っているという受け取り方ができる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%A6%E5%AE%9A
>「〜であるにちがいない」の否定は「〜でないかもしれない」
俺の否定意見もまた「~でないかもしれない」という解釈ができる
本「やり残したことがあると人は集中力が下がり続ける(かもしれない)」
俺「やり残したことがあっても人は集中力が下がるわけではないかもしれない」
こういう解釈でも
一応は成立しそうだがどうなん?
辞書の意見と日常でのよくある用法はすでに辞書的に正しく使われているのかもしれないね
俺が言ってるのはものすご~く繊細な話だからむつかしいよね
考え方の世界だからね
辞書にすがりつくような攻めをするんなら
辞書のさらに向こう側、辞書の文章のとらえかたまできっちりカバーしとかないと
しょうもない奴を相手にしているんなら浅い観点で、辞書を見て表面的に議論がなされるのかもしれないけど
辞書の表記も考え方次第で柔軟に解釈ができてしまうんだし
ちょっとひねくった考えで分析されれば、自分が絶対だと信じていた辞書という武器の攻撃力を一気に失うことになりかねんから注意な
知識(辞書)は考え方よりももろいんだよ
もう少しいうなら
世の中の言い切りはすべて厳密には「そうかもしれない」と表現すべきことだからね、すべきというかそうとらえるべきというか
じゃなけりゃ、「絶対にこうである」を否定できなくなりますよ
どんだけ間違った論理であろうと100%違う、ということはありえんし
ちなみに俺が辞書喧嘩を嫌いな理由は
浅い攻防が多いからです
書かれてることを基準にしてそこに落としどころを求めるっつー世界観の小ささ
なんか違うな
嫌いなのはコンパクトに書かれてる記述に沿って辞書に落としどころを求める辞書喧嘩、だわ
めちゃくちゃ壮大な発想で展開させて最終的に辞書におとしどころを戻すのはOK、その場合、辞書喧嘩っつーよりも比重は別のとこにあると思うし完全な辞書喧嘩と俺は思わんけどな
まあ、言葉そのものを攻めるってことになると
攻撃対象は全単語に広げられるし、実際に目に見えてるもんだから
頭が悪い奴にはとっつきやすい攻めなんだろうね
リアルじゃそんな攻め方はあんま相手にされねーだろうけど
そうじゃないかもな
逆に言えばネットでいくら言葉の定義で攻めても
その技術はリアルじゃ価値はない、と