>>1
>議論板は過疎すぎて論外
これ私が喧嘩板に移った理由のひとつでもある
学校で出される宿題のことだよね。塾とかじゃなくて。
宿題は必要だと思う。授業は決められた時間内(50分など)で終わらないといけないから、特にペースの遅い生徒は授業時間内だけでは十分な学習量が確保できず、次の段階に進むための基礎学力が身につかない。
宿題であれば早い人なら十分でできる内容でも遅い人なら三十分かけることになるから、「時間の枠」に縛られずに一定の「量」の課題をさせることができる。
学校教育は塾通いをしなくても一定の学力を身につけられるようにすることが前提だから、その目的のためにも宿題は必要だろう。
やらされるほうはハッキリ言って嫌だけど。
必要ないと思うよ
自分に欠けている部分を確かに把握できて、たとえ出来る範囲でも復習する心意気があるのなら
一回やって100%出来るような人は極一部に限られる。しかも厄介なことに、最初からある程度出来てしまう方がかえって自身の弱点に気が付き難い
宿題の場合、範囲は限られるにせよ自分ではやるものを決められはしない。だからこそ自分が無意識に避けていることでも炙り出される。案外簡単な問題が解けないこともあるのよね……
それに、宿題を行う習慣があれば、いざ自主的に勉強しようって時にも“やり方”の指針になる。初めて触れることを一から学ぶのって想像するよりも難しいでしょ?
だから最初の内は宿題は必要だと思う。高校生にもなったら必要性は薄くなってくる気はするけど……。受験期には寧ろ邪魔なくらいだし。
>>8
私の「必要だと思う」は主に小中学校の話だけど、Xの「必要ないと思う」は主に高校の話だよね。
高校に関して言えば私も「必要」とは言わない。実際ただの邪魔であることも多いし、義務教育を超える部分では、必要な勉強は自分でやればいいと思う。
>>9
そうそう、あくまで高校での話が主かな。高校にもなったら“宿題”なんて人から言われたことするだけのシステムは少しずつ意味をなさなくなってくると思ってる
どうせ学校の宿題を真面目にこなせたところで、そんなのは(言い方はわるいけど)馬鹿でも出来ることだからね。内容も千差万別、一概には言えないけど。
義務教育の範囲でならば、ケースバイケースって便利な言葉が適するかな?
義務教育が何故に“義務”であるのかを考えると、基本的には必要だと感じる。
>>6でも言われてる理由もそうだし、第一、小中学生がやる範囲なんて下地の下地だからね。無駄な方向へ力を注ぐよりは、適正量の勉強をしている方が混乱を避けられる部分もある。予習よりは復習の方が遥かに大事で、宿題なんてのは復習にはピッタリなものが殆ど。余った時間はゲームにでもサッカーにでもご自由にどうぞ〜、ってことで。
けども必要なのは“適切な宿題”であって“闇雲な宿題”じゃない。もしも自分で“絶対にこれは意味がない”、あるいは“今の自分には不要なものだ”って確信できるような宿題が出たのだとしたら、それをやる必要性はほぼ無いと思う。
生徒側の視点になって考えた場合は、南雲やX5の考え方に同感だが、教育者(教師)の視点になって考えた場合はどうだろうか。
つまるところ、宿題というのは成績をつけるための手段でもあるということに他ならない。この成績というのは、学力だけでなく、意欲・関心・態度の度合いを測るためのシステムであって、そのシステムによってはじき出されたデータを元に、進路関係の将来的な話が展開されていく。
教育者にとっては、勉強に対して如何に意欲的であるかが一目で分かる、言わば"努力の結晶"であり、生徒側にとっても、半ば強制的なこの作業は、半ば強制的であるが故に、宿題をこなす内に自然と学力が身につくという、両者にとって実に至極合理的なシステムと言えるだろう。
つまるところ、宿題をやる者は、それだけ学力が身につき、それと同時に勉強に対して意欲的であり、逆も然りということだ。
だが、最近この宿題というシステムが、生徒側では逆効果を生んでしまっている。それは、X5のご指摘通りで、今では、単なる作業と化しているのは、火を見るよりみ明らかだ。宿題という作業を、上手く生産的なものとして有効活用できていないし、その時間をもっと別のことに使える。
しかし、だからと言って、義務教育の範囲外で宿題が不必要だとは思えない。ここで考えるべきなのは、宿題のコンセプトを実現させるためにどうするべきか、ということだろう。つまり、教育者にとって、生徒の意欲関心態度が測ることができ、かつ、生徒にとって生産性のある作業であるようにすればよい。
では、そのようにするにはどうすればよいのか。
それは、抽象的ではあるが、個々人によって提出される課題の内容を変えればよい。
私は"進研ゼミ"という通信教育を受けているのだが、この通信教育は、毎月送られるワークブックを解いて、郵便を通して提出し、コンピューターではなく、担当の講師によって、一人一人の生徒の一冊一冊に目を通し、注意点やアドバイスが載せられて、返却される。というものだ。いわゆる"赤ペン先生"というやつだ。
こうすれば、事実上半ば強制的である宿題も、自主性が増し、それによって勉強に対しての意欲も向上し、さらにそれは教育者も測れるものであり、そして教育者がアドバイスを送ることによって、また意欲の向上に繋がるという、"幸のループ"が生まれるというわけである。
まあ、これは極端な例であって、もしもこれが実現するのであれば、大人たちは苦労しないだろう。特に今問題となっているのは、教職員の過労だ。テスト問題作成や、答え合わせによって、ヒドい場合は深夜2~3時まで働くことが多いらしいし、部活動の顧問も、ただ働きな上、強制的にやらされてしまう人がほとんどなのだそうだ。
これに加えて、上記の赤ペン先生式にすれば、ただでさえ深刻である過労問題が、さらに悪化の一途を辿ることになるだろう。
なげえええよおまえら
もっと短くできるだろ
俺から言わせてもらうとだな
成績が悪くてやるきがなかったり自己の勉強管理ができない奴は宿題しろ
ただ、成績悪くて出された宿題のレベルがキャパを超える難易度 この場合宿題はしなくていい
また、自己の勉強管理を調整できたり自ら勉強できて成績良いやつは宿題しなくていい
>>13
君が普段している口でのコミュニケーションは、もっともーっと多くの単語や文字が使われているはずなんだよ。
それに比べたら、こんなの大したことないよね?
>>15
文面と口頭では全然ちげえぞ
そもそもコミュニケーションでこんな長ったらしくしかも回りくどい喋り方する奴気持ちわるいし面白みもねえから体感的には大したことあるけど
地頭が良ければあってもなくてもあまり関係ない
でも悪いならやったほうがいい
ありきたりだけどこの二行に尽きるんじゃないかな
宿題をちゃんとやってくる子は宿題出さなくても勝手に勉強する
やる気ない子は最初からやってこない
宿題はやってくることに重きを置いてるからその質は度外視されることがほとんど
ちゃんとやってる子でも大抵はやりっぱなしでおしまい
学力を上げるなら宿題なんて出すより定期的にテストを受けさせるのが一番
数字で自分の実力がはっきり分かるし、点数を上げるという明確な目標もできるから勉強の意欲も上がる
テストで点悪い子は補習させればいい
まあ学校に学力向上を期待するのが間違っているけどw
>>20
必ずしもテストが役に立つとは言えないけどね。
多分これはほとんどの学校に共通することだろうけど、テスト問題を作る側は、平均点が大体60点くらいになるように作ってくる。
だから校内偏差値が高ければ高いほど、テストは難しくなって、基本問題から応用問題まで、幅広く様々な系統の問題が出題されるから、その意義も大きくなる。
それは逆も然りで、うちみたいなところは、数学でさえ応用問題は滅多に出ない。
つまるところ、生徒の質の良し悪しで学校の教育方針が決まってくるのだから、まず生徒たちの質を変えてやらないことには意味はない。
ましてや、宿題そのものに焦点をあてたって何にも話が進まない。
だって、教育が低レベルだったら、所詮"その程度"でしょ。
だからこそ、宿題そのものを生徒一人一人に合わせたものに変えてでも、生徒の学習意欲を向上させた方が良いんじゃないのって思う。
>>22
なら塾でいいんでね? って意見が聞こえてきそう
勿論学校でそれだけ出来るなら少なくとも悪くはならないだろうし、塾に通える余裕がないって家庭もあるだろうけど……
>>25
質の悪い奴は、自分から塾に通おうとはしない。通ったとしても、最初だけ真面目にやって、時間経つとすぐ不真面目になるだけ。
だから、生徒自身に心を入れ替えてもらうんじゃなくて、生徒自身が自ら心を入れ替えたくなるように、教育者が変わらないと意味がない。
個別の問題を論じるなら、宿題なんて必要ない生徒もたくさんいる。
ただ、多数の子は授業時間だけでは知識が定着しない。
テストをすればと言うけど、勉強しようとすまいと高得点を取れるような生徒は最初から問題ないわけだが、十分な点を取れないからと言って、その生徒がテスト勉強をするとは限らない。勉強をしても、内容ややり方が適切とは限らない。そこに宿題の意味がある。
低得点者の補習は難しい。何故なら、教員側の意図とは関係なく、生徒にとって低得点を理由とした補習は「懲罰的な意味」が付されてしまうからだ。モチベーションが下がり、勉強嫌いに拍車をかける結果を生む。
成績が良く、宿題の必要のない生徒まで含めて一斉に宿題が課されることも、宿題に懲罰的意味を持たせないためにはやむを得ない一面がある。本来なら、個別の学力に見合った難易度の宿題を一人一人に出すことが望ましいだろうが、教員の負担を考えると現実的ではない。
私立なら学校ごとの教育方針もあるだろう。ただ公立は、学力の高い子をさらに伸ばすことよりも、学力の低い子の底上げをするほうに主眼がある。
学校の役割は最低限の学力を身につけさせること。実際にはそれも果たせていないことが多いが、それでも役割はそこにある。それを超える学力は、自主勉なり塾なりで身につければいい。しかし最低限は学校で保証しなければ、子どもを塾に通わせる経済的余裕のない家庭は教育を受ける機会を失ってしまう。
そんな学校(公立小中)の役割を考えると、宿題は必要だ。
発展性のない議論で、とてもつまらないな。
言いたいことは言い尽くしたし。
もっとこう、賛否両論ある議題でやった方が、とても楽しいと思うな。
>>31
喧嘩よりは健全で上品なものだから、そりゃあ気持ちいいか悪いかで言うと、気持ちいい方ではあるけども。
発展性がないってことは、全体的に答えが一致するから、議論としてあまり生産性のある時間とは言えないんじゃないかな。
まあ、生産的な議論であったかどうかは、やった後で初めて分かることだから、やる前からはどうすることもできないんだけどね。
ひとつだけ言っておくと学力向上と学習意欲の向上を同時にやるのはほぼ無理
宿題は残念ながら学力向上にもほとんど役に立ってないし、学習意欲の向上にも役に立ってない
最低限の学力を身につけさせるなら補習などで学校での勉強時間を増やすしかない