とある引退喧嘩師の落書き

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1◆i1b8rn8Zr.
2022-08-12 21:33:23
ID:v7PW0QeA

長年住み着いていた廃墟サイトが閉鎖されてしまったので流れてきました


[編集]
2◆i1b8rn8Zr.
2022-08-12 22:19:04
ID:v7PW0QeA

この香り良いですね
成り済まし・荒らし・自作自演・出会い厨・・・そんな魑魅魍魎に紛れて罵倒をぶつけ合い魂を擦り減らす
こんな非生産的な時間を共有できる者が、このネット社会にまだいるということに感激しませんか?
常に意味を求められ、与えられた役割に固執し、コストパフォーマンスの高さが評価されるこの時代に、昔と変わらぬ形で喧嘩板というものが残っているというのは大変喜ばしく思うのです

3◆i1b8rn8Zr.
2022-08-12 23:10:25
ID:v7PW0QeA

昔からネットには陰謀論が付き物です
最近だとコロナ関連の陰謀論が流行ですが、いま面白いのは安部氏殺害事件に関するものでしょう
あれが実は個人的犯行ではなく組織的政治的暗殺だったという陰謀論が存在し、その証拠動画なるものまでSNS上で流布しています

このような陰謀論的言説は昔から大衆の暇つぶしのネタでしたが、最近はネタの枠を超えてきているように見えます
ネットの世界にとどまっていたものが、現実にまで影響を及ぼすようになり、無視できない存在になりつつあります
世界の在り様は人々の認識によって生成されるという考えに立てば、陰謀論者が多数派になったとき、人々が疑わずにいた常識というものは覆されるでしょう
それはつまり世界の真実が変わるときです
虚構が世界を変えるなんてロマンチックだと思いませんか?

4名無しさん
2022-08-12 23:15:00
ID:CFnRoBOc

陰謀論信仰税で強制的に金むしりとって社会貢献させたい

5◆i1b8rn8Zr.
2022-08-12 23:33:52
ID:v7PW0QeA

私は社会に媚を売り迎合して生きているわけですが、陰謀論者の存在は、そんな社会の虚構性を暴く一つの材料でもあるのです
貢献すべきと考えている社会の側にこそ実は欺瞞が大量に隠れていると思いませんか?

陰謀論を信じれば、社会の欺瞞から解放され、媚びを売る必要がなくなります
これほど魅力的な甘い蜜は無いでしょう

6名無しさん
2022-08-13 20:25:30
ID:mABbHH9s

>>3

>それはつまり世界の真実が変わるときです

真実は変容しませんよ。
真実に対する人間の普遍的な認識こそが「常識」です。「常識」が覆されるということは、真実(真理)に対する社会の普遍的な認識が変化することなので、最初にも言ったように真実が変容することではありません。

>>5

>陰謀論者の存在は、そんな社会の虚構性を暴く一つの材料でもあるのです

そもそも、陰謀論というものが虚構であるのでは?
陰謀論、といっても様々な説がありますがそれらの論拠は?根拠は??
彼らが世界に向けて声高に叫んでいるのは、”「社会の虚構性」という虚構”であるという可能性は?
”陰謀論が概ね事実である決定的な証拠”が示されてはじめて”甘い蜜”になるのであって、それまではただただ「食べて大丈夫かも分からない怪しい蜜」なんじゃないんですか?
「ネットの世界にとどまっていたものが、現実にまで影響を及ぼすようになり、無視できない存在になりつつある」のも、
集団ヒステリーのように「本当は存在しない何か」に動かされているだけなのでは無いのですか?

7メルトダウン◆n4r49stDtI
2022-08-13 20:43:30
ID:iPslyTcU

面白そうだな(^ᯅ◝ )

8◆i1b8rn8Zr.
2022-08-13 23:01:41
ID:LdXw//YM

認識・存在・真理・・・これらのテーマは古代ギリシアの時代から何世紀にも渡って、多くの哲学者の心を魅了し、今なお色褪せない輝きを放っています。時に我々の存在自体が危うくなってしまうような危険な論理展開をする者までおりました。せっかくなので存在論の危ない世界に入っていくことにしましょう。

世界とは私が認識する全てであり、認識の外に存在はありえないと考えることは可能です。その逆も仮定することが可能ですが、いずれも他者への実証をすることは不可能です。「私」という個人の認識から普遍性を抽出するということは、私に出来うるはずがなく、他者にも不可能です。宗教はそれをもっとも如実に示す良い例でしょう。イスラム教徒にとってアッラーは間違いなく世界に存在しており、絶対的な真理です。イスラムに限ったお話ではないですが、宗教世界ではすべての存在が神から始まります。アッラーが世界の存在を保証し、真理を保証します。しかし、ここに時間という一つの軸を挟んだ瞬間、その様相は複雑になります。ハイデガーが『存在と時間』で提示しようとして、ついに完成を見れなかったテーマです。アッラーは未来永劫に渡って絶対的な真理たりえるのでしょうか?そしてそれはいったい誰が保証してくれるのでしょうか?歴史の中で変容してしまうとしたら、それを真理として良いのでしょうか?時間にも普遍な完全なる真理とは、神のさらに上位の形而上の存在を仮定するしかないのでしょうか?人類が認識できるはずのない時間を超越した形而上的存在にどれほどの意味があるのでしょう?
少なくともイスラム教徒は、アッラーこそが時間を超えた唯一の神であると認識しています。それを他者が否定することは出来ようがなく、自分の首を絞める自殺行為にしかなりません。これもまた一つの真理として認めてもよいのではないでしょうか?存在論と認識論という古いテーマを持ち出さずとも、上記のように真理を相対化することは容易にできうるのです。

真理が相対化された世界では、いみじくも名無しさんが仰るように常に真理の根拠たる何かを探してしまいます。もっと噛み砕いて述べましょう。私が目で見ているものは、本当に存在しているのだろうか、単なる幻想ではないのか、という不安に我々は常に晒されています。個人の経験世界が真実と幻想の狭間で揺れ動いたとき、人は正気を保っていることができません。統合失調症の患者が発狂してしまうのはこのためであり、彼らにとって目にする全ての存在は固定化されてない思考の浮遊物に過ぎません。
人類はそこで、根拠となる存在を認識する特定の記号を生み出すことになります。かつてはそれは聖書のテキストであり、現代では科学的観測がそれに当たるでしょう。人々はその認識の手法に絶対的な権威を与え、あたかも普遍的認識かの如く振る舞うようになるのです。正気を保つために。

そのような普遍的認識に基づいた存在や概念を我々は「真理」と呼んでいるのではないでしょうか?

さて、陰謀論のお話に戻しましょう。
かつて地動説は陰謀論であり、異端とされていました。薬草を作っていた科学者が、魔女とされ、火あぶりに処されていた時代もありました。未来永劫に真理が変容しないということは最早なくなりました。魔女の時代に戻る可能性もあり、いやもっとさらに現代人が想像しえない真理に遭遇する可能性もあります。現代の科学はかつての宗教社会の虚構性を暴きました(科学的観測に絶対の権威を与えた我々の目からはそう見えます)。絶対的真理のはずだった神の権威を叩き落としたのです。
今度はいったい何が我々の世界の在り様を変えてくれるでしょうか?それを考えるとワクワクしてきませんか?

9◆i1b8rn8Zr.
2022-08-13 23:16:26
ID:LdXw//YM

無味乾燥なエビデンスの世界はつまらないものです。
毎日個性の無い数字ばかりを見ているとうんざりしてきますが、それも仕方ありません。私の気持ちよりも数字の方が他者は信頼してくれるのですから。
誰も彼もが客観性にすがり、自分の主観を押し殺して生きています。
私もそんな社会の奴隷の一人であるからこそ、陰謀論にすがる人々の感情に共感はできるのですよ。

でもね、仮にですよ?陰謀論者が望む新世界になったところで、私に何の変化があるのでしょうか?
新しい社会のルールに迎合して生きるだけでしょう。
そう考えると先程のワクワク感が減衰し、一気に萎えてしまうのです・・・・・・

10海老ダンス
2022-08-14 07:56:45
ID:AmUlXI.c

>>9
で、エビデンスは?

11true◆bhb.NJHtRg
2022-08-14 19:58:52
ID:OrYeXia2

テスト

12true◆bhb.NJHtRg
2022-08-14 19:59:24
ID:OrYeXia2

>>6です。

13true◆bhb.NJHtRg
2022-08-14 20:00:06
ID:OrYeXia2

>>8

〜前書〜
まず、貴方のような賢い人間と対話することが実現したことを、誠に光栄に思います。
処々から「知性」が垣間見える貴方の洗練された文章を見ていると、まるで、ショーケースに展示された宝石を見ているような、恍惚とした感覚に陥ります。
先ほど貴方は、「長年住み着いてきた廃墟サイトが閉鎖されてしまったので流れてきました」と仰っていましたが、サイトが閉鎖されたこと、非常に残念だと思います。
長い間、貴方はそのサイトと過ごしておられたのだから、きっと愛着が湧いていた事と思います。
「水髄方円」という四字熟語が表すように、貴方のような賢人が住み着いたサイトには、きっと他にも知性溢れる方々が居られたことでしょう。
私はそんな桃源郷のようなサイトの名称を知りたくて知りたくてたまりません。(もしかして、サイト名は「桃源郷」ですか?)

〜注意書き〜
哲学については、わたし自身少し齧った程度で、もしかしたら誤った知識があるかも知れませんが、その時はご指摘お願いします。
また、話題毎に文章を区別し、区別した文章の始めには【】内に題名を書いたものを付けました。
【寂しい学問、哲学】まではほぼ余談なので、飛ばして貰っても構いません。


【哲学とは】

哲学(希:philosophia)とは、直訳すると「愛知(知を愛する)」事です。
その歴史は長く、古くは古代ギリシアの自然哲学から、現代は脱構築主義に至るまでの約四千五百年の間、「真理」に近づく為に数々の偉大なる哲人たちは、知的営みを繰り返してきました。そのような、彼らの「知」によって「知」を明らかにしようとする姿勢は、まるで「知を愛する」ようである。
だから哲学は「愛知」と訳されたのでは無いか、と勝手ながらに思っています。(笑)


【寂しい学問、哲学】

そんな哲学は、実は我々の生活と密接な関係があるのをご存知でしょうか。
その例としては、科学(英:science)がまず一番に挙げられます。
カッシーニを可能にしたのはアルベルト・アインシュタインの哲学的思考実験によるものであるし、スマートフォンやノートパソコンを生み出したコンピュータ科学の基礎にはアリストテレス論理学があります。
これら科学の例に留まらず、哲学は我々の想像以上に社会へ貢献しているのです。
然し、哲学はスーパースターのように世間から注目はされていない。

それは何故なのか。

それは、哲学は一般人には難し過ぎるし、解決しなくても別に困ることは無いからです。
哲学を好む人はごく少数。
哲学は”マイノリティな学問”なのです。
そもそも、哲人のロジックは正確に説明するには非常に難解ですし、それに付随して出てくる言葉も晦渋であるならば
それを「魅力がある」と言って近寄って来る人は、所謂奇人変人の類いでしょう。(笑)
そんな、奥深く、同時に難解である哲学のテーマに関する話題に槍を刺してしまったこと、非常に後悔しております。(笑)


【真実と事実】

>世界とは私が認識する全てであり、認識の外に存在はありえないと考えることは可能です。

世界とは、私が認識するもの全てである…と。
ならば、そこには認識される対象が存在しなければなりません。
何故なら、そもそも認識とは、主体が対象を明確に把握することを指し、対象が存在しなければそれは”認識”していることにならないからです。
我々はその「対象」を世界に変換しているだけで、対象が何ものであるのかは解明出来ていません。
哲人たちが追求してきた「真理」とは、上記の”対象”のことなのでは?と私は考えています。
なので、私たち人間は真理について解明することは不可能であるという結論に帰結するのが自然でしょう。
貴方の言う「真理(真実)」とは、どちらかと言うと「事実」に近い意味合いなのでは無いかと思います。
イスラム教徒は、アッラーをその目で見たから信仰している訳ではありません。
誰かがコーランを書き記し、人々にその内容を伝え、伝聞や書物によって伝えられる…
というように、それなりのステップを踏んでいます。
彼らのしているのは、「そこに漠然とある事実への信仰」であり真実への信仰ではありません。
つまり、真理(対象)は絶対不動のものであり、変容しているのは真理に対する主体の認識であるのでは無いか。と言うのが私の持論です。

14true◆bhb.NJHtRg
2022-08-14 20:02:48
ID:OrYeXia2

【陰謀論について】

陰謀論は、人々の信心があってはじめて影響力を持つものです。
人間の信心とはとても恐ろしいもので、
例えば、集団Aが信仰していた神bの存在が、論理的な証明を持って否定されたとする。
然し神bは存在するものとして信仰していた彼らが直ぐに受け入れられるハズがありません。

「いや、神は論理を超越した存在だから居ない訳が無い。」
「そんなものアテにならないわ!」

などと、屁理屈を捏ねるなどして反発します。

彼らは失うのが怖いのです。
信仰とは、言わば他への依存です。

神への信仰心を持て!神の教えは守りなさい!

今まで信じていたものは、信仰者のアイデンティティに深く連関しているので、簡単に捨てるわけにはいきません。

「今まで信じ続けたものが、嘘だったの?」

その人の前に唐突に垂れてきた蜘蛛の糸は、触れられることも無くハサミで切られます。その人自身によって。
ほぼ全ての陰謀論には、明確な根拠がありません。だからこそ、誤った判断に陥ることがある。
それが非常に恐ろしいことだと私は言っている。

真っ暗闇の迷路で、冒険者が持っているのは埃の被った地図だけ。まさかその地図に間違ったものが書いてあるだなんて、信じたくないに決まってる。

暗闇に、光を灯してあげませんか。

15true◆bhb.NJHtRg
2022-08-14 20:06:32
ID:OrYeXia2

>今度はいったい何が我々の世界の在り様を変えてくれるでしょうか?それを考えるとワクワクしてきませんか?

盲目な信者たちによって変えられた世界……
ワクワク、というよりかは、怖い、というのが正直な感想です。(笑)

16I1◆i1b8rn8Zr.
2022-08-14 21:56:03
ID:Ac9aLn4c

>>trueさん

私の落書きに対してご丁寧にどうも。
名も知られていない廃墟掲示板を不法占拠して、板の主旨とはまったく無関係な落書きを残すという悪趣味なことをしていただけです。当時は閲覧者の目を考えたこともありませんでしたが、閉鎖されてしまうと一抹の寂しさを感じました。私の存在はまるで最初から無かったかのように落書きとともに電子空間上に消え失せてしまったのですから。その余りの空虚さに耐えられなくなってしまい、ここにやってきました。この文字の羅列が私という現存在の叫びなのであり、ただ一つの存在根拠なのです。人間は自己の存在を常に確実なものにしたいという本能があるように思います。哲学の営みは、理性的営みであると同時に、人間という種が有する本能の営みなのかもしれません。

存在と認識、そして主体の問題は複雑な網の如く絡み合い、我々の理解を永遠に遠ざけているようにすら感じます。
対象という概念は認識の主体と客体があって初めて成立する概念です。したがって認識の前に、対象が存在することはあり得ません。自然科学の分野では、主体は世界という自然を客体に変換することで、世界を対象化し、我々の認識の下で再構成します。しかし、この自然科学的認識は、実は自然という絶対者の存在を仮定しています。我々は自然科学の世界に浸り過ぎたたために、この認識を当然のように受け入れていますが、科学がその認識の対象としている自然の存在を保証してくれるのはいったい誰なのでしょうか?なぜ私たちは今見ている景色が幻覚ではなく、間違いなく存在していると信じているのでしょうか?
こんな意地悪な質問に対して、私ならこう答えます。

「私が見たからである」と。
私という主体が認識したから、目の前の世界は存在しているのである、と。
すなわち世界とは私が認識する全てであり、認識の外に存在はありえない。

不変の真理たる存在Xを仮定しても、それは概念として存在を認めることが限界で、仮定以上に押し上げられることはないでしょう。我々が不変の真理を認識したとき、存在Xは認識の客体という次元に下がってしまいます。認識が変容する可能性を認めるならば、認識の客体もまた常に変容に晒されます。客体化した瞬間にXは不変という真理の条件を喪失します。こんな存在Xを人類が扱えるはずがありません。ture氏の仰るように人類に解明することなど不可能です。論理的証明を神のように崇める喧嘩師の皆さまであれば、証明しようがない概念上の存在Xを信じることなど到底できないはずでしょう。

自然科学的認識とは、自然という巨大な聖書を解読することであって、我々はその手法に絶対的な権威を付与し、自然世界を真理として認識しています。真理とは人間が作り出した一つの偶像に過ぎないのではないでしょうか?我々は真理というアッラーを無意識のうちに信じてしまっているのではないでしょうか?
論理的証明と科学的観測の正しさを我々は疑わずにいます。そこに懐疑的になったとき、陰謀論ですら容易に否定できないという事態に陥ってしまう。それは確かに恐ろしいことかもしれません。しかし、二度の大戦を経て、科学の正しさに疑問を抱いた現代哲学はまさにtrue氏が恐れるものを導き出しかねない代物なのです。だからこそこのテーマはあぶなかっしいのです。
科学の強力で眩しい光は、個人の目を盲目にさせてしまいます。しかし、余計なものを目に入れずに済むわけですから、その方がよっぽど幸せに生きられるのかもしれません。

17I1◆i1b8rn8Zr.
2022-08-14 22:10:06
ID:Ac9aLn4c

哲学書のお話を少し

ヨーロッパの大陸哲学は難解でかつアイロニカルな文章が多いため、哲学科専攻でもない私のようなただの日本人が、彼らの主張を正確に理解することはほとんど不可能です
これまでも挫折の繰り返しでして、途中で読むのを辞めた哲学書がいったいどれだけあることか

一方で、分析哲学の流れを汲むアメリカ人哲学者は日本人にも理解しやすい論理構成をしています
特にその中でもリチャード・ローティはおすすめです

リチャード・ローティ著『偶然性・アイロニー・連帯』
https://www.amazon.co.jp/dp/4000004492

18I1◆i1b8rn8Zr.
2022-08-14 22:22:59
ID:Ac9aLn4c

おお神よ
盆休みという概念が存在する世界へ私を誘ってくれたまへ

19名無しさん
2022-08-15 16:06:07
ID:zT3zjDWU

>>1
昨今の喧嘩板の惨状についてどう思う?

20名無しさん
2022-08-15 17:55:18
ID:D0Ev.wgA

>>16
>客体化した瞬間にXは不変という真理の条件を喪失します。
これ、あんまり説明が入ってこないので聞くんですが
なぜですか?

21I1◆i1b8rn8Zr.
2022-08-15 22:20:32
ID:mZhj7sJE

>>19
この界隈をすべて追跡しているわけではないですが、本質的には何も変わっていないのではないですか?

22I1◆i1b8rn8Zr.
2022-08-15 22:28:45
ID:mZhj7sJE

>>20
認識によって客体化された対象の形質は認識の形式に依存します。あなたが見ているものの形質はあなたの5感に依存しているということです。我々の5感がまったく当てにならないということは言うまでもありません。勘違いや見間違いに代表されるように、我々が認識しているものの形質は容易に変わります。仮に存在Xが我々に認識できてしまえば、存在Xは認識形式によって如何様にもその姿を変えてしまうのです。そんなあやふやな存在に真理を委ねることはできません。不変という条件を重視するのであれば、ですが。

23true◆bhb.NJHtRg
2022-08-16 19:41:24
ID:.t3nH0Dg

>>16

ふむ……
参りました。
またお話する機会があれば、是非お願いします。
ありがとうございました。

24シュタイン◆.p5v7MoS/s
2022-08-19 22:48:35
ID:.HsdKpg.

おお、文章がしっかりしている。これは期待できそうだな。暇な時に軽く読んでみます。それではまた…。

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