弱虫水上の実況タイムですよ

149天使◆w13SR5tpU.
2017-11-13 02:22:26
ID:TuRNSq1Q

>>146
一文中に同じ単語を使用することで文のリズムを乱すという場合も確かにありますが、全部が全部そうだとは限りません。
上述のように「全部」という単語を二度使用していてもリズムは乱れませんし、それどころか意味内容に”強調”の効果をもたらします。
要はケース・バイ・ケースでありまして、一文中に同じ単語が使われているからといって「おかしな文」「美しくない文」ということにはなりません。
実際に反復法なども同じ語を繰り返し使用することの効果を認める文章用法です。
そして私の文章も繰り返しによって発生する効果を狙ってのことです。
すぐに文の主体を見失い、品詞の結び付きを理解できずに勘違いを引き起こすあなたのために複数同じ単語を用いることで曖昧さを極力回避したいという狙いが有ります。
そうした狙いがあっての使用ですので、”単語の重複は避けるべき”という一般論を理由として批判をされても困ります。
こちらの意図を察した上での批判なら多少なりとも聞く耳はありますが、意図も察せず文意も汲めない人間が見知らぬ人間のブログ(笑)を後ろ盾に批判をしてきても有効性はありませんし、取り合うのも煩わしく思います。
あなたが私の文を美しいと思うか思わないかなんていうことには何の価値もないので、いちいち個人的な感想をよこしてくるような真似はしてもらわなくて結構です。
以上をもって、”単語の重複使用はおかしい”という主張への反論と致します。

2つ目です。
私は>83の校正文において「読破」という語が使用されている事の不適切さをもとより主張しています。
>83を読んで私は>92の投稿で一行目から「基本的に読破はしない」とあなたの校正文にある誤りを指摘しているじゃありませんか。
小説は別ですが、学術書や研究論文は目次をみて興味を抱いたところだけを読むことが多く最後まで読み通すことはしません、というように。
あなたはそのことに対して>95で「小説は読破しているんですね。僕はあなたの表現を非難しているんです。」などと的を大きく外した反論とも思えぬ反論をよこしてきたわけじゃないですか。
その意味不明な反論への返答が>110であり、そこでは>95の反論内容がいかに当を得ない主張であるのかを説明しているわけであり、読破云々についての書き込みをしているのではありません。
ですから>110に「読破」という単語が出てこないのは当然のことであるし、それと同時に「天使は”読破”の部分をおかしいと言っているのではない」と結論付けることはできません。
くどいようですが、私は元より「読破」という語が使用されていることの不適切さを主張しています。
そして、あなたは>116で「読破」という語の使用が不適切だった事を認めており、これは私の>92での主張が通ったことの何よりの証拠にほかなりません。

3つ目です。
私の>60の文よりもあなたの>83の校正文の方が短いことは一目見ればわかりますけど、それがなんだというのですか(笑)
あなたの論旨は「小学生時代は一文が長く読みづらい(>83)」という事を前提に据え、>60の文(天使の文)は>83(りの文)よりも長い故に拙劣な文である、ということが言いたいのでしょう?
じゃあその主張を通すためには「小学生時代の一文は長い」という前提が正しいかどうかをはっきりさせる必要があります。
私は経験則から小学生の書く一文よりも学術書や研究論文あるいは近代小説の一文のほうが全体的に長いと思っており、あなたの提示した前提に懐疑的立場であることを表明しています。
別にあなたに自説を通すつもりが無いならば前提の正しさを示す必要はありませんが、自説を通したいのであれば前提の正しさを示す必要がありますよね。
ただし、前提の正しさを示したからといって自説が通るとは限りませんけど。
一体、「小学生時代の一文は長くよみづらい」というのはなんなんですか?どこからやってきたのですか?
まさか妄想を前提に据え論を立てるなんていうことをしているんじゃないですよね?
明瞭かつ論理的に説明をするべきだと思いますよ。妄想はいけません。

4つ目。「多大な読書」という言葉の妥当性についてです。
まずあなたは「読書」が数量化できる行為であることは理解しているのですか?
そこが理解できれば後は何も悩む必要は無いじゃないですか。(読書が数量化できるということも本来なら悩む必要がないことだが)
量にしろ、時間にしろ「読書」という行為を数量化できるとわかった時点で、数量や程度の大きさを示す「多大」という語をもって表現することの妥当性は明らかではないですか。
「大きな読書っておかしいと思わないの?」と九官鳥のように馬鹿な質問を繰り返されていますが、読書という言葉は数量化が可能ですので「多大な読書=大きな読書」ではなく、「多大な読書=読書の数量が大きい」となるのです。
これでも理解できないなら、ちょっと別の説明が必要になってきます。
ですので理解できないのであれば、読書が数量化できることに納得しているのかしていないのかを答えてください。
あと、「多大:きわめて多いさま」と記されているソースを添付しますね。
グーグル検索の辞書機能ですかね。確認よろしくお願いします。


5つ目。
>現在持ち合わせている知識を時間をかけて育ててきた、という文章なんですよ。その"育ててきた"時点っていつですか?未来ですか?

>60を読んでもらえればわかると思いますが、小学生時代から現在に至るまでの期間です。
小学生時代から現在に至るまでの期間こそが、読書によって知識を涵養してきた期間です。
当然未来ではありません。




File:無題

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: