「世界は実は5分前に始まった」という仮説を覆すことが出来ない(世界五分前仮説)ように、
この世のあらゆる事柄は、懐疑的に突き詰めていけば、結果的に絶対と言えるものなどありません。
過去に起きた事柄でも、その記憶が偽りである可能性、
もっと言えば、あらゆる人類がそれらの記憶をもった状態で5分前に発生した可能性だってあります。
これを読んでいる現在の貴方だって、(マトリックスのように)急に目が覚めて頭に刺さったプラグを抜かれ、
「当社の作った仮想現実世界はいかがでしたか?」なんて問いかけられてもおかしくないわけです。
現在認識している物理法則の全ては虚偽であり正三角形の角度でさえ存在し得ない空想の概念かもしれません。
ただし、ひとつ例外があります。その答えは「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉で形容されるように、
それらあらゆる事が虚偽なのではないか?と思考する主体、つまり自分自身(意識)は絶対に存在すると言い切れる唯一の存在である、という事です。
★おまけ
「絶対はない」という命題は、言い換えれば「絶対はあるかもしれない」となります。
なぜなら、「絶対が存在する可能性」について「絶対はない」とする立場で論ずる場合、「0%」と言い切る事は出来ないからです。
なので、時々見かける「絶対なんて存在しないだ!」という主張は論理的には破綻しているという事になります。
>>14
そのアスペウスこそ『死』だと推測する。
死を含め人生。
・コンクリートに名前をかく
死は墓石に死人の名を書く。
・ピース
いつでも殺せる→死を操っているように思える
(思考不足)
・時計をしない
人生=時間 と考えると→時間を決めれる→時間が終らせることが
できる。→人生を終らせることができる
・シンオウ地方
北海道の死因なのかな?(思考不足)
・歩く殺す
歩いてきたところを殺すんじゃないかな?
思考放棄もうわからん。
絶対は無いと言い切っている時点で矛盾が生じるが
そこで色々考えた末に行き着いた結論は、「矛盾」こそがこの世界の真理であるということ
「矛盾」は人の意識があってこそ成り立つものであり、実際の世界は絶妙バランスを保っている
↓↓↓
この世界は人間の意識が作り出している
(シュレーディンガーの猫)
A「私はどんな攻撃をされても絶対死なない」
B「私はどんな生物でも絶対殺せる」
これでAが死んだらAは「攻撃をされなかった」か「皆が死んだと思い込んでいる」か…
Bが殺せなかったら「Aが生物ではなかった」か「殺したという事実が消された」か…
矛と盾の場合は、矛が盾を貫き、盾が矛に貫かれないという二つの事実を両立させることも出来る
『矛が盾に刺さる』
↓
『盾を貫通する前に矛がグニャリと曲る』
↓
『Uターンし、盾を持った側ではなく矛を持った側に向いて貫く』
これならば盾は『貫いてる』と言えるし 矛は『貫かれていない』と言える。
扇情的なスレタイにしてすまぬ……すまぬ……
正確には「薬剤師の指導の下、一部抗うつ薬・抗不安薬を市販薬として販売可能にすることの是非」かな
某製菓会社のストレス緩和チョコや某製薬会社の漢方内服液をはじめとして
健康食品・サプリメント・医薬部外品など「ストレス対策」に対する需要が高まっており
医療用医薬品である「抗うつ薬・抗不安薬」を求める声も自然と増えていくことが予想される
しかし医療用とつくと処方箋が必要になり高額、また「外来への受診」そのものの敷居が高いように思われがちな現状もある
そこで比較的リスクの低い一部の向精神薬を第一類市販薬(薬局で買えるやつ)にスイッチすることで
他の診療科同様、精神科や心療内科の処方する薬にもセルフメディケーションの考え方を推進し
ストレス社会で生きる現代人の生活の質の向上、および
あわよくば国の医療費も削減できるんちゃうっていう案を考えてみた
>精神的なものは治ったかどうかはまず素人では判断できない
うーんそれはちょっと違う……かな
先天的な神経障害ならともかく、そもそも社会不安による疾病は基本的に
本人が治ったと判断することはすなわち症状の改善と見なされているよ
実際の心療内科・精神科において、患者の不安や緊張が「疾病」であるかという基準を
例えば緊張時の脈拍や脳内物質の測定といった客観的データや数値でなく
「本人が社会生活を送るうえで支障と感じているか」という主観的判断に任せている
心理テストを行う医療機関もあるけど、これも医師が患者の認識を把握するためのデータだしね
それに長期的な通院の場合、毎回試験を実施するのはコスト的に不可能なので
初診以降は医師との情報交換(患者の現状報告に応じた薬物療法)という形式が一般的であり
この作業は薬剤師が処方薬を提供する際にも補強するので(受け渡し時に軽い問診を行う)
薬剤師であっても医薬品のコンプライアンスについてある程度の知識を持っているよ
依存への対策に関しては、前述(>>4, >>9)のとおり
一般用医薬品(市販薬)は短期服用を前提とした医薬品のカテゴリーなので
長期服用傾向の認められるクライアントには販売を控え、専門機関への受診を勧めるという
一連の手続きが薬剤師側の職務として規定されている
これは慢性症状を抱えた人の専門機関への足掛かりとしても機能するので
結果的に>>14の「心療内科に対する敷居を下げること」にもつながるんじゃないかな
>社会問題化したから規制されたという経緯
この「社会問題」というのは実害面での副作用や依存のことではなくて
意図的に使用法を破って依存症になる「薬物乱用」のことだと思うけど
自主的にやろうとしてる人は止めようがないからね
実用面の議論とはベクトルが違うから、、、またあとで書こうかな
>>15
治ってないのに治ったと感じるのは別に問題ないんですよね というかそんなことはほぼないと思うけど
問題は治っているのに治ってないと判断した結果、薬を使わなくていい人まで薬を使ってしまうこと
>実際の心療内科・精神科において、患者の不安や緊張が「疾病」であるかという基準を
>例えば緊張時の脈拍や脳内物質の測定といった客観的データや数値でなく
>「本人が社会生活を送るうえで支障と感じているか」という主観的判断に任せている
医学的なデータは確かに判断基準になりにくいけど、その患者の主訴となる支障が客観的に見ても本当に支障となっているかの判断は必ず必要になるよ
例えば明日テストがあるから憂鬱なんですって患者にほいほい薬を渡すなんてことはまずしません
こんな極端ではなくても、医師が患者の要望通りの薬の処方をしないことはよくあることです
医師が判断をするためのデータが患者の主観に大きく頼ってしまうからこそ心の病は他の疾病よりも診断が難しいんですね
薬剤師は医薬品に対する知識は豊富でも病に対する知識はあまりないです・・・
そもそも医師ですら専門外の病の知識は薄いんですよね
だから薬剤師を挟めば心配ないということにはならないと思います
>意図的に使用法を破って依存症になる「薬物乱用」
市販化された以上、自由に買えるわけだから薬剤師がいて昔より環境がよくなったとは言っても常に正しく使われるとは限りません
そもそも依存に陥る場合ってだんだんと増えていくことが多いから自分の意志で歯止めがかからない場合も多いです
薬剤師がそのセフティネットになれるかはかなり疑問に感じるところ
>>治っているのに治ってないと判断した結果、薬を使わなくていい人まで薬を使ってしまう
パッケージや書面に記載されている期間をオーバーして服用することを再投与というんだけど
これは販売時に薬剤師が(特に第一類であれば殊更に)注意を促すので
指示通り使っていれば、たとえフルに使い続けても重篤な薬害には至らない
(正確には至らないように用法を定めるため製薬会社が非臨床・臨床実験を行っている)
>>そもそも依存に陥る場合ってだんだんと増えていくことが多いから
一般用医薬品は勝手に用量を変更したらあかんねんで
「薬物乱用」は作為にかかわらず用法・用量を変更することと定義されていて
これは中学校の保体の指導要領に基づいてクライアントに教示されること
>>自分の意志で歯止めがかからない
レスポンスが重複して申し訳ないけど、
一般用医薬品は製薬会社が試験データを元に安全な服用方法を明確に設定して
パッケージと添付書面に明記することが義務付けられている
加えて第一類の場合、薬剤師は書面でレギュレーションを再確認させることが義務(第二類、第三類は"努力義務")付けられているから
顧客がこれらを反故にした場合、「副作用」ではないので保障も救済制度も受けられなくなる
依存に対するセフティネットは薬剤師というより製薬会社の試験結果ともいえるかもね
つねに正しく使われるとは限らないってのがよく分からないな
それって制度ではなく、服薬管理(アドヒアランス)がなってない個人の問題じゃない?
服薬意義が浸透してないとしたら是正されるべきは医療制度ではなく医薬品教育の方だと思うけど
>>27
いや、それは王に関する話を聞いた後の言葉じゃないの……?
直情のままに“王の息の根を止める”決意をしたのであって、関係ない人の命を奪ってでも王を殺すっていう意思とは異なるものだと言いたいのよ。仮にメロスが王の目前まで迫れたとして、王が何かしらの悔いを見せれば許したかもね。そこは太宰氏じゃないし知らないけど。
>>28
誰が殺されたら、って言ってるのかな?
自分でも少しズレてる部分があると思ったから追記する。
王宮の内部構造も警備の人数も何も知らないメロスは、当然ながら捕まったわけだ。んでもってそこから王を殺そうとなれば、警備を何とかして……それこそ殺してでも抜け出して、そこから短剣か拳かで王まで迫り、そこから殺さなきゃならない。暗殺者でも何でもない青年には不可能にも程がある。それに、メロスには絶対の使命があるわけでもない。だったら自らの行ったことの報いを受ける他無いでしょ、ってこと。
まず、ある行為に対して正しいか正しくないかの討論をすることに意義を感じない
その感性は人それぞれであり、感性を発表することに意義があるようには見えない。
感性の発表会は無駄だと思う
適当にボヤキます…
ブラック起業
新興産業で、過重労働、違法労働、パワハラを行う企業のことを指す。
名の知れた企業でも、サービス残業をしている企業もいます。テレビ業界、公告業界は給料はいいですが、時間管理がむずかしく労働問題が度々あがっている。
また公務員でも、教師や警察官、医者などはサービス残業が常態化している。
((φ( ̄ー ̄ )
LGBT
LGBTとは、性的少数者の総称です
L : レズビアン g : ゲイ b : バイセクシャル
t : トランスジェンダー(性同一性障害)
世界的割合7.6%
人間的権利を求める運動となっている。
同性婚は日本では認められていない。
差別やいじめの対象になっている
((φ( ̄ー ̄ )
デジタルデバイド
itを利用して使いこなせる人間と、使えない人間の間に生じる貧富・機会・地位の格差。地域的な格差や国際的格差。
itを使って情報を収集する。いい仕事を見つける。pcを使えない高齢者 経済的にpcが使えない人と、では、かなりの差が生まれる。itを使えない人は本を買うかとしに行くしかない。無料WIFIの飛んでいる都会と、電波の届かない田舎では。情報の確保度が違う。
国際的にも、先進国と後進国では情報の格差が生じる。
((φ( ̄ー ̄ )
教育現場でのいじめ
学校も教育委員会も自分の成績に傷がつくため隠蔽体質になる。
世間の風習 親の育て方 先生の働き方
パワハラ 体罰問題
学校の先生
管理教育 書類の山積
ストーカーの記事の一部を引用
交際を始めるときには、
(1)お互いは相手にとってどういう存在なのか(恋人、セックスフレンド、ファン、師匠、ビジネスパートナーなど)
(2)それぞれが大事にしていることは何か(仕事、家庭、音楽、一人だけでいる時間など)
(3)これをされたら終わりだという嫌なことは何か(暴力、携帯の盗み見、親の悪口など)
別れるには
1)会う回数を減らしていく
(2)電話は避けて連絡はメールかLINEにし、第三者に読まれても大丈夫なことだけを書く
(3)ニックネームではなく名字で呼ぶ
(4)別れを告げたあとは決して会わない
(5)相手の所有物はどんなものでも捨てない
少子高齢化
このままいけば、2015年の国勢調査で、日本の人口は、1億2709万人ですが、2040年には9913万人、2060年には8674万人、2110年には4286万人になります。
2025には5人に1人が高齢者になります。1975年から出生率が2.0を割って現在は1.4人になっています。女性の社会進出
賃金が上がらない。
年間 医療問題 労働者不足 介護施設不足に繋がる
“4割超”が「自画撮り」送信=被害半数が中学生-昨年の児童ポルノ事件・警察庁
2017年に全国の警察が摘発した児童ポルノ事件は前年比316件増の2413件で、被害者を特定できた子ども1216人のうち42.4%が自分の裸の画像をメールで送信させられる「自画撮り」の被害に遭っていたことが8日、警察庁のまとめで分かった。
自画撮りは、だまされたり脅されたりして自ら撮影した裸の画像をメールで送らされる被害で、5年連続の増加。被害者515人の半数を中学生が、約4割を高校生が占めた。最年少は8歳の女児だった。被害の約7割がスマートフォンを使ってインターネット交流サイトにアクセスしたことがきっかけになった。
また、被害者の約8割が面識のない相手に画像を送っていた。
警察庁は「軽い気持ちで裸の写真を送ってしまうと、取り返しのつかない被害が生じてしまう恐れがある」と注意を呼び掛けている。同庁はホームページで、自画撮り被害の手口を分かりやすく解説した漫画を公開している。
摘発された児童ポルノ事件全体では、児童ポルノ製造が1414件で最多。自己の性的好奇心を満たす目的での単純所持は188件で前年から3倍以上増加した。
ソース〈http://news.nicovideo.jp/watch/nw3343661?news_ref=nicotop_topics_topic〉
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“送信する”じゃなくて“送信させられる”になってるのが、疑問に思うんだが
前から男性側をずっと問題と見てる世間は未成年側の行動をどう思っているのだろうか。意見をお聞かせ願いたい
ちょっと取り敢えずな感じで雑に書いちゃうけど、少年法の法的根拠の一つに「未熟だから危険な判断が出来ない」ってあるんだけど、これは納得できる。「裸の画像送る」判断を子供だけにさせた段階で子供側には責任は無い。いくつまでが、責任を問われないのかムズいけど、17歳までは児ポの範囲だから、裸の写真求めた方は必然に罪があるね。17歳までが法律で守られてるから取り敢えず18歳未満の子までは責任は無い、送るって言われても本来断らなきゃイケないから、受けては止めなきゃイケない立場だからね。ちょい雑な理屈だけど17歳までは「性表現」に於いて守られる立場なので、裸写メを誰かに渡しても責任は無い本来そんな事態があっちゃダメなんだから、送るのを止められる立場で、止めずに送らせた奴に責任がある。
”送信する”場合は「性表現の自由」があって18歳以上なら自分の意思で送ったなら、認められた自由の範囲内だから判断の責任は自分にしか無いだろうね。”
”送信させられた”場合は何かしらの強要があっただろうから、内容によりけりだけど送らせた側の責任が強い気がするかな。
>>29
所々俺への返信では無いことにも答えてるかも知れません!!!!
仮に100/50人が知ってたら「知名度」が高いとしても、49人なら低いと云うのは感覚的に納得はイカないと思う。明確に「有るとするラインを定義する」若しくは感覚だけど感覚だとしても納得出来る裏付けが無いと何も意味は無いね。個人の裁量で「有る」と言っても、事実と差異があれば周りが共感しないでしょう「あいつ知名度なくね?」って、こうならないために、客体を客観視して「100/50人に知られてきたな」と確認して「知名度が有る」と自称すれば、主体の基準は客観で構成されてて。主体的基準ではなくて「100/50」に知られてるって客観的基準を元に「有る」と主観での判断を行ってる(ここに既知情報が一般的かが絡んでくると思う)筈という意味で「全ての人が知名度を判断出来る基準が有る」という意味では無い(書き方が悪かったかもな)
めちゃくちゃサブカルなコミュニティで属する人数自体が少ない場合、知ってる人が「10/5」でも知名度は有ると言えると思う、一般化に関しては”何処”での一般なのかに依拠するだろうから、「何処」が明記されてない今の状態で「知名度が高い」と言うなら否定はしないが、何処の知名度であろうが俺は先に書いたような考えで自称するべきだと考えるし、自称するなら裏付けを示して頂きたいし。まぁ、でもそこには言及してないのよ、何故「相手を自分より知名度がないと断言出来るのか」ここまで書いたように「知名度が有る」と言えるのは何か曖昧で結局は自分が根拠になるのではなく、自分以外の周りの人間の認識が根拠になるわけで、この「根拠」を示せるの?って話。
客体の客観性の認識言い換えれば認識の客観性は、「凡才を知ってると言った人を主体の凡才が見る(認識する)」って意味で使ってて、「裏ネオを知ってると言うヒロキングを裏ネオが認識」して客観的に客体を認識するという事で客観的に「知名度」として認識してもいいって事が言いたい・・ってあれ??ほぼヒロキングと同じこと言ってるような気がする・・・わりぃボーっとしてきて何を言えばいいのかわからなくなった・・・デュラチャに帰ります・・
>17歳までは「性表現」に於いて守られる立場
そこ、大半の人達は法律が矛盾してると言ってるじゃないですか。
16歳からの結婚が許されてるなら18歳未満という掟を変えるべきではないかと思ってました。
17歳までが児ポの範囲になってるのと結婚する年齢対象がその範囲に含まれていることについて賛否どちらに思われているかお聞かせ願いますか。
16歳で結婚して、仮に性行為をしたからといっても…それが違法なのかと言われれば全く違法ではありません。結婚の後に行われる性行為は「淫行」ではありません。
そもそも これは結婚もしていない相手に脅迫された等の理由で裸体を晒さなければならない という状態から保護されるのであって、
両者同意の上で行った結婚により生じた「性表現」から保護する必要は全くありません。それに16歳での結婚は両親の同意を必要とするため、児童ポルノとはわけが違うのです。
16歳までの結婚が許されているのはあくまで、本人らの同意があってこそ成立し得るものだからです。
性表現は強制的に裸体画像を拡散される等 結婚とは違いますから規制年齢に差があるのです。
時々「幕末の長州の尊皇攘夷派の志士達(久坂玄瑞や吉田松陰など)はテロリストや!」っていうのを聞くけど、皆はどう思う?
俺は思ってるよ
リアディゾンが「黒船」だなんてのは俺からすれば大袈裟過ぎる比喩なんだよね。
実際にたいしたインパクトも効果も残すことが出来てないから。何事でも歴史が去った後に振り返り事実を検証すれば物事・現象を正しく位置づけられるものなんだよ、残した事実からどういった効果を連鎖させたのか・・・それは革命だったのだろうか・・それとも、狂気の沙汰だったのだろうか・・。
日本に伝家の宝刀を引っ提げ乗り込み、文化を切り裂き、着エロと云う爆弾を炸裂させ、現在の壇蜜までの系譜を確立させ、更にはコスプレ文化にまで多大な影響を残した・・烈士・・・そう、「インリン・オブ・ジョイトイ」・・彼女こそ真のテロリストであり革命児・・。
残念ながら久坂玄瑞や吉田松陰なんて誰も知らないし、松陰って名前が少しエロいだけで、彼らが何かを成した人では無いのは明らか。
尊皇攘夷派の志士と云う組織が一体どういうグラビアを撮ったと言うのだろうか?この様な名前の組織情報なんて一切グラビア界の歴史に残っていない。ということは、志士なんてものは取るに足らないカメラマンとモデルの寄せ集めだろう。彼ら(彼女ら)なんてグラビア界に於いては一介の凡夫集団でしかなく、よもや「テロリスト」などと言うなら、そう思う事自体が片腹痛い話だろうな。
戦前の日本と戦後の日本、どっちがいい?
俺は
女性に参政権がなく、戦争で死ぬのが名誉なことだと教えられ、思想の自由もなかった戦前より、
女性にも参政権があり、戦争はだめだと教えられ、思想の自由もある戦後のほうが良いと思います
>>203
男は社会に出ているが女は家庭のことしかしらない。金の管理もしていたかわからない。
少なくとも新聞しかない当時なら女の知識はたかが知れている。
江戸時代はほんま胸糞
>>204 卒業電話交換手、タイピスト、教員、看護婦、小説家などに女性が多くいたし、明治時代後期から女性の社会進出は始まっていたんですがそれは
大正時代には平塚らいてう達の活躍で女性の地位が高まったし、1928年にはオリンピックに日本人女性が初めて出場してるゾ(銀メダル獲得)
(女性は家庭のことばかりという訳ではでは)ないです
>>205
一握りジャナイカ。戦前の人口は数千万。女はその半分くらいいるかもしれない
で、そのうちどれだけがそれについてるのかな。
教員は男中心だし女中心は最近な。
小説家も男中心。
電話交換手と看護婦位やぞ。
そんな何%いるかいないかのデータを尊重して選挙権与えたら乱れるやろ。
今でも足引っ張ってるのは世間知らずのジジババや主婦ども。
>>206 女性の内、職についていたのは約1割ゾ
これに加えて女子大、師範学校などの卒業者(当時ならエリート)は約2割
足して約3割、つまり約1/3は女性の中でも社会進出していたor知識階級
>>208
ソース元は?
しかも学校卒業しても社会に出ているとは言えない。今、大学卒のニートがいるとするこいつは社会に出ているかって話。
それにね頭がいいのと社会について理解があるのは別だよね(´・ω・`)
バカらしいって言わせないでね。期待してるよ
#http://kakeizunotobira.denshishosekidaio.com/2016/07/24/post-1647
引用元
ごめんね負けた
満足な議論できなくてすまん
喧嘩板を除くと掲示板トップに議論板をお勧めする告知掲示されているが…喧嘩板から流れてくる者は少ない
人は生まれつき負けん気が備わっている生き物である
論争過程、論争の果てにやってくる感情は所詮負けん気という怒りの感情に近いものだ
怒りの感情を煽り、暴言と置き換えるのなら…それを禁じている議論板は今一面白味が欠けてしまい…その内容がセーブしたものになる
議論板には、勝敗が無いのもまた過疎化の理由である
勝敗には拘らないクール気取りな論争はナルシストな話し手の語りが主であり、自身の知識を披露出来たのなら…自己満足を果たし相手の主張などは二の次なのである
そんな独りよがりな内容、勝敗も無く感情の高ぶりも起きない論争に何の魅力があるのだろうか?
論争バトルに破れ現役を退いた元喧嘩師達の天下り先の議論板では、その議題は喧嘩板の二番煎じであり、
ナルシスト達の集まりには論争の発展は望めないだろう…
以上の理由から議論板は喧嘩板の劣化板であり日の目を見る日は来ないのである
Q.E.D
13.5氏は喧嘩板でトーナメントクイズを出題した13氏でしょうか…?
それはまあ良いとして
びーくんも言ってるが議論と喧嘩は別々の競技である。
CDショップでクラシックよりもポップスの販売数が多ければクラシックはポップスの劣化版なのか。
本屋さんで純文学よりも漫画のほうが売れていたら純文学は漫画の劣化版なのか。
テレビで吉本新喜劇の視聴率がドキュメンタリーを上回ればドキュメンタリーは新喜劇の劣化版なのか。
そして喧嘩板に議論板よりも多くの人が集まれば、議論板は喧嘩板の劣化版なのか。
>時系列的な部分ではなく南雲氏やサイフォン氏の様な喧嘩師だった者が落ち着く先として天下り先として二番煎じと表現したもの
私は議論板のほうが先ですよ。それに現在も、つい先日テレジョンに言われたけど私が喧嘩板でやってることは「議論の延長」であり喧嘩ではないと。
13.5氏が議論よりも喧嘩に魅力を感じているのはよく分かったし、現に喧嘩板のほうが利用者数が多いけど、それと優劣とは別の問題です。
>>20
お久しぶりですね
BB氏や南雲氏が言わんとすることは理解出来ていますよ
人気の優劣のみで異種なものを比べるのは間違えだということですよね
だから此方は完全に異種では無いという立場を取っているのですよ
喧嘩板と議論板は論争という立場では同じ
キャスフィの板の紹介にもお互いの板に誘導を勧めていることから、それは理解していただけますよね?
つまりポップとクラシックなんてほど離れていないのですよ
「ミクスチャー」というポップとロックの融合した早いテンポのミュージックを喧嘩板と例えたなら…ポップのみが議論板だと考えてくださいよ、という話なのです
そのあたりを>>19の中でサークルグラフを使って説明したのです
◎が論争ジャンルグラフを指してる場合、◎の外側の大きなサークルが喧嘩板、小さな内側のサークルが議論板だと考えて下さい、という話です
そして南雲氏が説明しているのは
サークルが音楽を指してるときの→◯●◉⚪︎⚫︎こんな様々なジャンルを指しているのです
ポップ、ロック、パンク、ジャズ、クラシック等々…
喧嘩板も議論板もキャスフィフ掲示板という意味では一括りでしょうけれど
板分けした場合に各板を〇で表したのなら
〇〇〇〇〇〇◎と成り◎の内側の小さなサークルが議論板となります
同論争ジャンルの喧嘩板を〇とし、それを詳細化すると◎になりますよという話です
何故?外側の大きなサークルが喧嘩板ではあるか?は、論争に暴言も許されている制限無しの喧嘩板の中に制限を設けた議論板のサークルがあるからです
スポーツで例えるのなら…南雲氏は野球とサッカーを私が比べてると勘違いしてる様ですが…
私の主張はサッカーゲームを喧嘩板、
サッカーゲームで決着がつかなかった場合に行われる「PK戦」を議論板だと考えてくれるのが分かりやすいでしょう
11名対11名のサッカーゲーム中にボールをキープしている1名の選手からボールを取り上げる為に何名がかりでも取りにかかって良いのが喧嘩板
対してPK戦の様に1対1で交互に攻守を繰り返していくのを議論板と考えてくれたなら分かりやすいことでしょう
なるほど、13.5氏のとらえ方はわかった。
私は議論板と喧嘩板の関係を、「音楽」という共通する大きな区分の中の異なる分野、あるいは「本」、「テレビ番組」という仲間に属する異なるジャンルと考えていたけれど、13.5氏は「◎」で示したように、「サッカー」という単一のものにおいて、喧嘩がその全体(外側の大きな○)であり、議論が「PK戦」という一部分(内側の小さな○)というとらえ方をしているわけだよね。
そして、喧嘩の方が広く、議論のほうが狭い理由は、喧嘩のほうがルールが緩く、煽りや罵倒などが許容されている(もちろんしなくてもOK)なのに対し、議論はそれらが禁じられている。だから、議論は喧嘩の一部分という認識でいいのかな。
しかし、私はそうは思わない。喧嘩は「相手を倒すこと」が目的であるのに対し、議論は相手を論破することも目的の一つではあっても、また「互いに論を深める」ことも目的に含まれる。従って、議論をした結果、共通の結論に至る場合もある。
私が過去にここで共産党支持者さんとやった議論などは、まさに議論しているうちに双方の見解の共通点と相違点とが明確になり、結果的には、細かい意見の相違はあるけれども大筋では一致しているという結論に達することが多かった。議論は、このように合意して終了することも目的となる。しかし喧嘩は、どちらかが論破するか、それが明確にならなければ判定に頼る場合もあり、とにかく勝敗を決するという終着点を目的としている。
目的が異なるものを同一のものに括り、議論は喧嘩の一部分というのは無理があると思う。むしろ、論を戦わせるという共通点、重複した部分をもつ別々のものだという認識が妥当だと思う。
また、仮に、仮にだけれども議論が喧嘩の一部分だとする。その根拠は喧嘩はルールが緩く、議論はルールが厳しいからということだ。喧嘩板で議論(煽り等抜きで)は可だけれど、議論板で喧嘩は不可だから、喧嘩の中に議論が含まれると仮定する。そして現実としてあるのは、喧嘩板の人口のほうが、議論板の人口よりも多い。
そうだとしても、喧嘩が議論よりも優れていると言うことはできない。たとえば、殴り合いの喧嘩に様々なルール、制限を設けたのがボクシングと見ることができるように、議論は喧嘩を洗練したもの、という見方も可能だ。世の中に、殴り合いの喧嘩をする人のほうが、ボクシングの競技人口よりもはるかに多いだろう。それは殴り合いの喧嘩がボクシングよりも優れているからではなく、ルールによって制限された結果、ただの無法な乱暴者が排除されたからであり、ボクシングのほうが優れていると言える。ネット喧嘩と議論の関係も、そのような見方ができる。
私は別に、議論が喧嘩よりも優れていると言うつもりはない。私の主張は、共通部分はあっても別々のものなので優劣を論じられないということだ。しかし、仮に別々のものでなく議論を喧嘩の一部と位置づけたとしても、13.5氏のように人口(人気)で評価するか、私の示したようにルールを設けることで洗練されたと見るか、見る角度によって優劣が変わってくる。
つまり、「優劣を測る定規はひとつではない」ということだ。
>>22
こちらの主張は議論は喧嘩の一部分という認識で構いません
南雲氏の主張を理解しているうえで何点か反論させて頂きたい
>喧嘩は「相手を倒すこと」が目的であるのに対し、議論は相手を論破することも目的の一つではあっても、また「互いに論を深める」ことも目的に含まれる
↓
本来の喧嘩の目的は南雲氏の主張通りだと思います
ただ今現在の喧嘩板は本来の目的通りにスレ立てしてますかね?
ひとつひとつのスレが論破等、決着が着いてスレが終わってませんよね?
例えば「てきとうに仕事する」は「適当に」と字に表せば「的確な仕事する」と本来の意で使われてることが理解出来ますが…日常会話で「テキトーに仕事する」なんて言葉を耳にした時は「いい加減な仕事をする」の様な悪い印象を受けませんかね?
「いい加減」も本来の意味は「良い加減」であり褒め言葉ですが…「いい加減にしろ!」とか「お前はいい加減な奴だな」の様に悪い意味で使われる様になってしまいましたよね…
「ネット用語」とかもその一種ですね
辞書の意味(本来の意味)とかけ離れた独自な意味での使われ方です
私達の喧嘩はネット喧嘩でありネット用語が現代語の意味より重視されてると思います
話を戻すと今の喧嘩板は本来の使われ方はされてません
強者同士がランク発表を見て馴れ合っているのは事実です
その馴れ合いの理由の一つとして過去の対戦から論破を超えた対戦者同士にしか分からない何かがきっかけでわだかまりが無くなったのかも知れません
その何かは、議論板でいう「論を深めた仲」と同じものに値すると思います
>議論は、合意して終了することも目的とし、かたや喧嘩は、どちらかが論破するか、それが明確にならなければ判定に頼る場合もあり、とにかく勝敗を決するという終着点を目的としている
この考え方は議論や喧嘩というより「論争の起源」として捉えるべきではないでしょうかね?
例えば政治家による日米会談やら南北会談があった場合、洗練された議論交渉が行われます
其処には暴言は勿論無いはずです…ただし、その目的は相手国に対して自国の有利になる条約やらの押し付けが目的にあるのです
その会談が終了してにこやかに大統領同士が握手してる場面を映して「行われた会談(洗練された議論)は両国合意して終了」と表現することも出来ますが…その奥底にあるものは、論争に勝てる交渉を持ってどれだけ自国の論を相手国に認めさせたか?喧嘩板でいう論破と似たものではないでしょうか?
その意味でも洗練された議論も喧嘩も結局は論争を通して自己の奥底にあるものを吐き出せて、その結果に自己が納得したか、しなかったかで捉えて良いものだと思います
北の大将ロケットマンの南国や米国への煽りは今もなお続いてますね…
もしも、これで韓国やら米国が北朝鮮との会談後に北朝鮮側の交渉に何らかの譲歩した条件をのむ様なら…
論争中の煽りは有効なものとして成立してしまいますねw
煽りが許されてるのは喧嘩板です!
…なんていう主張は、
喧嘩が議論より上だなんていう優劣を測る定規のひとつには値しませんかね?(笑)
>>23
>ただ今現在の喧嘩板は本来の目的通りにスレ立てしてますかね?
>ひとつひとつのスレが論破等、決着が着いてスレが終わってませんよね?
ここの喧嘩板は「喧嘩ができる板」であり、「喧嘩をしなければならない板」ではない。つまり、喧嘩をせず、議論もせず、雑談をしても良いし、単発スレを立ててもよい。今、自由板で「喧嘩板に乱立する単発スレを自由板でやってくれれば」という話も出てきているが、単発スレは本来的には自由板の担うべき部分であっても、喧嘩板で禁止というわけではない。
私は、喧嘩の目指すところと、議論の目指すところは異なると言ったが、ここの「喧嘩板」は、必ずしも喧嘩の目指すところを目指さなくても良い。ただ、純粋に「喧嘩と議論」を比較したならば、双方の目的が異なるのだから、喧嘩が議論よりも優れているわけではないということだ。
また、「喧嘩と議論」という視点ではなく、「喧嘩板と議論板」という視点に立った場合は、議論板のほうがルールが厳しい、制約が多いという特徴がある。しかし、ルールが厳しく、利用者数が少ないことを根拠に優劣を決めることができないことも、ボクシングを例に>>22で述べている。
ここの「喧嘩板」は、待合室を除けば全ての機能を包含している。雑談をしても単発スレを立ててもよい。仮に、ルールが緩く許容範囲が広いことが優れていると断ずる根拠になるなら、喧嘩板は全ての板に勝ることになる。また、待合室は他板を規制されても最後まで規制されない板であることから、待合室が最も優れた板であることになってしまう。その考え方によれば、無法地帯こそが究極の優秀なる状態ということになる。おかしいとは思わないか。
逆に、最もルールが厳しく自由の利かないのが雑談板だから、雑談板が最も劣った板ということになる。13.5氏の論法ではそのようになってしまう。
ちなみに、>>22では国際政治における議論を例示しているが、これは全く別の範疇だ。外交の世界では、「戦争も外交の手段」である。他国との対立を自国有利に解決するのが外交であり、それは穏便な話し合いから、喧嘩、恫喝、買収や暗殺、最終的には戦争まで、外交の手段に含まれる。
そんな背景を持つ外交上の議論は、ここの議論板で言うところの議論とは全く異質で、喧嘩よりもはるかに広い内容を含むものだ。広いほうが優れているという価値観によるならば、喧嘩よりも外交上の議論が広く優れていることになる。
>>22で私は「優劣を測る定規はひとつではない」と言ったが、人口(人気)が、定規のひとつであることは否定しない。>>19の例で言えば、売れているラーメン屋とそうでないラーメン屋を比較して、「売れている」という事実が、優劣を判断する材料のひとつであることは否定していない。同様に、CDや本の販売数や番組の視聴率も、優劣を判断するための指標のひとつとなり得るのであって、「優劣を測る定規のひとつに値しないのか」と尋ねられると、それは値する。それを否定している訳ではないよ。
ただ、それは「定規のひとつ」だが、それのみで全てが語れる「唯一の定規」ではないと私は言っている。私の言ったような観点、何でもありの喧嘩よりもルールの整備された議論のほうが洗練されているという視点も、また「定規のひとつ」に値する。優劣を論じるときは、一面で判断すべきでなく、多面的な視点に立つ必要がある。
議論板は喧嘩板の劣化版というのは、そういう多面的な視点に欠けた一面的な判断ではないだろうか。
>>南雲氏
>>議論板の皆さまへ
議論板に対して二番煎じやら劣化板などの失礼な発言を取消します
論破に至らず雑談やら馴れ合い、くだらない煽り暴言で終わりを告げてしまう喧嘩板より
南雲氏をはじめ、BB氏やコテハンの無い人と真面目に論じられ、議論板への印象が変わりました
議論板と喧嘩板は論争という一部の共通部分がありつつも両者は別物であり、洗練された議論にはルール無用の喧嘩には無い質の良い論争部分を感じ取ることが出来ました
お世話になりましたm(_ _)m
ぼくはイタリア人とフランス人の見分けがつきませんが、日本人と中国人の見分けはなんとなくつきます。
ここのスレッドでやられている事は、喧嘩なのか議論なのかわかりませんでした。
何故なら、喧嘩板にあってもなんら違和感のないやり取りだから。
でも多分、ぼくが思うに、議論板で行われているやり取りだから議論なんでしょう。
あなた達がイタリア人だとして、自分たちはフランス人ではないと、そう仰っている事は重々わかるのですが、
少なからず、ぼくのような日本人から同一視されていることは問題視すべきでは?
「イタリア人だからフランス人ではない」でばっさり切られても、
でも議論板の劣化の一因に喧嘩板の存在があるんですよね?
そこを無視して議論が終着することへの違和感がぬぐえませんでした。おしまい。
つまらない議論になるのは分かっていますが自由民の方々がしつこいので立てました
クリリン
力の大会という人類の存亡をかけた試合でふざけて落とされる
https://youtu.be/2HgJhtu1e5s
自転車スマホの女子大生
スマートフォンを見ながら電動自転車を運転し、女性に衝突して死亡させる
https://www.jiji.com/sp/article?k=2017121400914