帰納法と演繹法にアブダクションを加味しても結局数が少ない中の大きなものに特性を見出すことはできないでしょって俺の意見は通るやんけ
特性=特有の性質。特質。
アブダクションと区別出来るなら帰納と演繹特有の性質と言えるじゃん
帰納(induction、インダクション)と演繹(deduction、ディダクション)、そして、類推(analogy、アナロジー)と仮説形成(abduction、アブダクション)
という全部で四つの種類に分類することができると考えられることになります。
https://information-station.xyz/7550.html
このサイトでは4つありますが・・・
とりあえず、ネットのにわか知識っていうすももの主張完全あってたみたいだね。
まともな本読んでそれだせばこうはならなかった。
くそだりーな、ロシュ。
ロシュを擁護するにしてもさあ。ボソッと適当な事を言うだけなんて酷すぎると思うなあ。まあバカを擁護するやつもまたバカなのだろう。ガイジの周りはガイジ。
形式的に妥当っていうのは論理学においてもあまり使われるワードではないからよくわかってなかったけど、普通に矛盾してるよね。形式的に矛盾云々の箇所。
形式的に妥当であれば、真の前提から偽が導かれることはないはずなのに、帰納法では形式的に妥当であっても真の前提から偽が導かれないとはいえない??????????????何言ってるのかわけわかんねえわ。
ウィキペディアなんていう信頼性ゴミソース持ってきた俺にも非はあるが、書いてる人かなり頭おかしい。くっそめんどくせえけど、ちゃんとまともな文献探してくるわ。ドヤ顔で揚げ足取りしてる場合じゃねえぞお前。
「帰納的論証の場合には、形式が「妥当」であっても、真なる前提から導かれた結論が偽であることが「けしてない」とまでは言えない。」
「論証が形式的に妥当であるとは、その形式に任意のオブジェクトやオブジェクトの集合を当てはめても、前提が全て真で結論が偽となるような例が存在しないことである。」
これ同じページに記載されてるんだがウィキペディア内で自己矛盾起こしちゃってんじゃんね。英語版ウィキペディアも一応確認したが、形式どうこうなんて載ってないし。
まあ後述するが、形式的に妥当かどうかとここで言う論理的に妥当かどうかは全く別の話なんだけどね(笑)
それより文献探るの中々めんどくさいな。妥当な帰納法ー!はあまりにも初歩的すぎて明確に否定してくれてる文献探すの難しいわ。
ちなみに、妥当性のwikiってこれ?英語あんまくわしくないけど
https://en.wikipedia.org/wiki/Validity_(logic)
おでん軍団の戦績
おでん→喧嘩から逃げまくる
天使→トラウマ抱えていつもりに恨み言
ロシュ→ツイッターとキャスフィで往復ビンタを食らう
赤村→隠居化
『思考の回路 論理学ABC』(富士思想叢書)
駒井 義昭 (著), 田村 慶一 (著), 柴田 隆行 (著), 平野 耿 (編集)
「第3章 記号の操作」の、15 推論 より引用
> 推論のすべての前提が真であるならば結論も必ず真であるという場合、推論は「妥当」(valid)である。妥当な推論では、すべての前提が真であるならば結論は偽ではありえない。すべての前提が真であり、結論は偽である場合、推論は「非妥当」(invalid)である。推論はその妥当性によって特徴づけられるのである。
> 日常生活や科学的研究のうちで、わたしたちはさまざまな推論をする。真であることが明らかな前提から結論を導き出すばかりではない。いまだ真偽不明な仮説や憶測を前提として推論することのほうが多いかもしれない。この場合には、導き出された結論にしても、その真偽は実験的に確かめられなければならない。これは、推論が誤っているからではなく、推論の妥当性がもともと前提や結論の事実上の真偽とは無関係であり、それらが実際に真であるということを保証するものではないからである。推論の妥当性はあくまで、前提とされる諸命題と結論となる命題との間に、前提だけからして必然的に結論を導き出せるという論理的な関係が成り立つことを示すものなのである。
Francesca Zaffora Blando. (2012). Does Deduction really rest on a more secure epistemological footing than Induction?. The Undergraduate Awards Library. Retrieved January 3, 2019, from http://www.undergraduatelibrary.org/system/files/806i.pdf より引用
[原文]
Most of our knowledge of the world is inductive: we observe certain reg- ularities in nature - for instance, all observed F’s have been G’s - and infer from them general laws - e.g., all F’s are G’s. Such inferences are to be distin- guished from deductive ones, which are standardly regarded as non-ampliative1 and truth-preserving: valid deductive arguments are deemed to always lead from true premises to true conclusions [7], [8]. Per contra, inductive arguments are defeasible: their conclusion is supported, but not strictly entailed, by the premises, and adding new premises may well invalidate previously drawn con- clusions. Accordingly, inductive inferences seem to lack the especially secure epistemological status which deduction purportedly enjoys.
[和訳*筆者が拙訳]
我々が持つ世界に関する殆どの知識は帰納によって得られたものである。例えば、我々は「観測された全てのF’sはG’sを持っている」といったような、ある自然法則を観測し、そこから「全てのF’sはG’sを持っている」といったような一般法則を導く。このような推論は、標準的に次のようにみなされる演繹的なそれとは区別される。すなわち、それは拡充せず(前提から結論へと至る過程で情報が増えず)、また真理を保存する(真理保存性がある;妥当である)とされる。つまり、妥当な演繹は、常に真なる前提から真なる結論を導くと見なされるのである。ところが、帰納は無効にされ得る。どういうことかというと、帰納における結論は、確かに前提によって支持されてはいるが、決してそれは必然性を帯びないということである。 また、前提を加えることが、前もって導かれた結論を無効にしてしまう(誤ったものとしてしまう)ということも十分想定される。したがって、帰納的推論は、特に演繹が満たしているとされる、保証された認識論的身分を欠いているといえる。
>>118 >122 その引用したものから、何がいいたかったんだろう?
ロシュが英語版wikiに形式なんて書いてないっていってるけど、
もろくそあったんだけどwwww
>>123 帰納による結論が、演繹とは違って、論理的な必然性を伴わないということは、すなわち、帰納には妥当性がないってことだよ。
>>124 引用した文はわかったと思うけど、
・論理的な必然性を伴わないということは、すなわち、妥当性がないってことだよ。
これがよくわからないんだよね~。
これあってるの?ロシュ限界にも聞いてみてほしいなー。
>すなわち、それは拡充せず(前提から結論へと至る過程で情報が増えず)、また真理を保存する(真理保存性がある;妥当である)とされる。つまり、妥当な演繹は、常に真なる前提から真なる結論を導くと見なされるのである。①
>ところが、帰納は無効にされ得る。どういうことかというと、帰納における結論は、確かに前提によって支持されてはいるが、決してそれは必然性を帯びないということである②
①によれば妥当な演繹は当然に真なる前提から真なる結論が導かれるとなる
②では「帰納は(①の点が)無効にされ得る」とある。これは無効になる場合がある、可能性があるというものであり、当然に無効になるというわけではない
「決して必然性を帯びない」というのは、「無効にされ得る」を説明する内容なので、必ず必然性を帯びないというわけではなく、必然性を帯びる場合もあるという意味である
と言うことは無効にならない場合もある
と言うことは妥当である場合もあるという事になる
よって帰納の妥当性は当然には否定されない
推論の正しさを妥当性という >>96
演繹は、前提が真なら必然的に妥当 >>122
帰納は、妥当なこともそうでないこもある >>130
ロシュ:帰納法に妥当性は付与されない
あああ:帰納には妥当性がない
こういう感じ?
こいつら喧嘩初心者かwww
>>130
推論の妥当性は、神崎さんが引用された著書の説明にもあるように、「前提が全て真であるとき、必ず(どのような解釈の場合も)結論が真となること」です。ところが、私が引用した著者が言われているのは、「帰納の場合は、演繹の場合とは違って、あらゆる解釈のうち、結論が偽となるように導いてしまう解釈が(少なくとも1つは)存在する」ということです。「無効にされ得る」とはそういう意味なのです。
まとめると、あらゆる解釈において、結論が偽となることがない場合に、その推論は妥当(valid)であるといい、反対に、帰納のように、少しでも結論が偽となってしまう解釈を含み持っている場合、その推論は非-妥当あるいは不当(invalid)であるといいます。
>>134
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
適当に自己解釈くっつけたなwwwwwwwwwwwwwwww
・「前提が全て真であるとき、必ず(どのような解釈の場合も)結論が真となること」
ここにおける解釈の例だしてみようか、まずはww
>結論が偽となるように導いてしまう解釈が(少なくとも1つは)存在する
これどこに書いてあんの?
表現に誤りがありましたので、書き直します。
>>130
推論の妥当性は、神崎さんが引用された著書の説明にもあるように、「前提が全て真であるとき、必ず結論が真となること」です。換言すると、「この推論式は、あらゆる解釈において、偽となることがない(恒真)」ということです。ところが、私が引用した著者が言われているのは、「帰納の場合は、演繹の場合とは違って、その推論式が偽となるように導いてしまう解釈が(少なくとも1つは)存在する」ということです。「無効にされ得る」とはそういう意味なのです。
まとめると、あらゆる解釈において、その推論式が偽となることがない場合に、その推論は妥当(valid)であるといい、反対に、帰納のように、少しでも推論式が偽となってしまう解釈を含み持っている場合、その推論は非-妥当あるいは不当(invalid)であるといいます。
>>138
それも違うですがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
勝手な解釈やめなさいwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
せっかく引用したのにwwwwwwwww
ぜんぜん勉強できてないやんwwwwwwwwwww
恒真命題すらわからないのに、でしゃばってきたの?www
>>138
自分で気がつけるように誘導してやろか?w
まず、「解釈」と「真理値」の関係かけやw
この著書(http://lang.sist.chukyo-u.ac.jp/classes/logic/book.pdf)から引用してきますね。
定義 2.7 恒真式 (tautology)
どのような解釈によっても、つまり、論理式に含まれる命題変項の真理値をどのように変
えても、その論理式が真となる時、その論理式を恒真式、もしくは妥当式 (valid formula)
という。
定義 3.16 恒真、妥当 (valid)
論理式 A があらゆるモデルに対して真となるとき、A は恒真 (または妥当) という。
>>147
おまえの出してきた、文献p16しぬほどよめやw
定義 2.6 論理式の解釈 (Interpretation of Logical Form)
論理式の解釈とは、論理式の真理値を求めることである。つまり、命題論理では、モデル
によって与えられる基本論理式の真理値を用いて、与えられた論理式の真理値を決定する
ことである。
>ところが、私が引用した著者が言われているのは、「帰納の場合は、演繹の場合とは違って、その推論式が偽となるように導いてしまう解釈が(少なくとも1つは)存在する」ということです。
これどこに書いてあんの?
>>149
うん、だから、論理式の真理値を全て求めたとき、そのあらゆる解釈において、論理式(推論式)の真理値が真となる場合に、この推論式を妥当とか恒真とかっていうんですよね?私が引用した原文にある「be entailed」という表現は、このことを意味しますよ。
「前提が全て真であるとき、必ず結論が真となること」です。
換言すると、「この推論式は、あらゆる解釈において、偽となることがない(恒真)」
かってに換言してんじゃねーよww