>>72
全ては喧嘩板でのキャリアだよ。
言い回しを考えられるようにもなったし、文章構成にも気を遣うようになった。
喧嘩板では屁理屈ばっかりこねてて、イメージは悪いかもしれないけど、本当はもっと真面目で純白なんだからな?
ネタで言ってるのかもしれないけど、そうやって誉められると、純粋に嬉しい。
>>82
そういう論文がどういう方法で書かれているか知らなければ、論文の読み方を間違うことになる。
一般に、宿題を課した集団と、課さなかった集団とを比較するわけだけれども、ここで「効果がある」と結論づけられるのは最低でも95%水準、ちゃんとした学術論文では最低99%の水準が要求される。つまり90%の確率で宿題に効果がある場合でも、「効果がある」と結論づけることはできない。
しかしそれは「効果がある証明が出来なかった」に過ぎず、「効果がない証拠にはならない」こと、さらには仮に90%水準が確保できたならば90%の確率で効果があったことになる。これはその手の研究をしている学生さんも解釈を間違える人が多い。
つまり「利益が発見されなかった」と「利益がない」とは全く意味の異なるということを理解できていない人が多い。
さらに、そういう論文はサンプルの抽出方法などで、結論ありきで書くこともできる。ことに教育法に関しては、1950年代以降でも主流となるやり方が目まぐるしく変化していて、一時代の一研究、しかも文化の影響を強烈に受ける分野で外国の研究ときたら、日本の現実に当てはめるには「参考程度」にしかなり得ない。
>>83
二十回でも、うろ覚えできたら次に覚えやすくなることは間違いないよね。
出さないよりは良いけど、宿題出すよりも授業増のほうがもっと良い…。
それなら、じぇいそんと私の意見の相違は埋まったというか一致したということになる。私の宿題必要論は、他の変数に手を付けないで宿題オンリーの話だったから。
>>81
俺ひょっとしたら、補修塾と進学塾を混同させてたのかもしれない。
塾に縁がなかった俺にとっては、塾は"塾"という一括りされたもので、種類別に分けられるものじゃなかったから。
なるほど、そうか。
塾は塾でも、いろいろあるのか。
>これは担任教師が楽してるだけやな・・・
俺が小1の時からこうだったから、少なくともちょうど10年前からやね。
ジェイソンがそう言うのも、きっとジェイソンの時は、解答なんてなかったからだよね。
昔からなのかもしれないけど、今は公務員なのにブラックなのが教師だからね。
本当にほとんどが事務作業らしいから、一人一人の宿題の答え合わせはしんどいと思うよ。
俺が小学生の時の宿題は、毎日あったんだけど、大体こんな感じ。
・漢字ノート1~2ページに、習った漢字を書く。
・計算ドリルの○番を答え合わせもして解いてくる。
ただ、5年生の時の先生はベテランで、週末に最低1ページの日記と、最低1ページの自習をさせられた。
その時の先生は他の先生と違って、授業の発表回数を記録させたり、発表の時の言葉遣いに、意味を意識させて使わせたり、本当に良い先生だったよ。
>>86
だよね。
え、まじ!ふつうに嬉しい。
応用問題とかいうやつかな?それも中学生なら親もわかんないかもしれない。
でも朝早くくるってのは自分でどうにでもなる話。
交通の関係でそうなったらそれはね……ご愁傷さまとしか言いようがないけど。
可能性は薄いしねぇ?
>>91
私の経験は昔すぎるけど解答はもらってなかった。
ただし市販の問題集から解答を抜いたやつなので、その気になれば同じものをもう一冊買えば解答は手に入ったw
いや私はそんなことしなかったけど。
教員は昔はラクだったのよ。無能な奴でも、子供相手に暇で安定してるから「教員にでもなるか~」、「教員にしかなれない」と言われて、教員のことは「デモシカ」と呼ばれていた。
時代が進むにつれ、勉強のこと、しつけのこと、何でもかんでも学校の責任、教員の仕事にされて忙しくなり、さらにいじめ事件などが起きると抑止効果も期待できないような書類作業が増え、「子供と顔を合わせる時間もない」という本末転倒を起こしてしまった。
本当は教員は子供ともっと顔を付き合わせて語り合いたい人が多いと思う。でも、今は激務で、とてもそんな時間がない。
>>92
>え、まじ!ふつうに嬉しい。
嘘偽りなく、本心だよ。
喧嘩板では散々言ってしまったけど、殺伐としてる特異的な場所だから仕方ないよ。
三笠もそこで、自分はダメだとか言ってたけど、もっと自分にプライドを持って良いと思う。
歴史関係については、少なくとも人よりは知識が豊富だし、三笠は三笠なりに努力してるから、胸を張っても良いと思うよ。
>朝早くくるってのは自分でどうにでもなる話。
10年前とは違って、今はネットが発達してるんだから、そこで訊いた方が時間的にも非常に効率的だと思うんだけどね。
塾や通信教育ほど便利ではないけど、ぶっちゃけて言えば、それらのほとんどがネットで事足りるんだよね。
非効率的だけど(笑)
>>93
皮肉ながら、時代の流れには逆らえないね。
体罰が禁止されたり、土曜日は休日になったり。
まあ、個人的にはどちらも賛成なんだけどさ。
ただ、今では怒鳴りつけるだけで体罰になるなったり、寝ている生徒を手で起こすだけで痴漢や体罰になったりすることもあるんだそう。
さすがにそれはやりすぎだと思う。
それもひとえに、キラキラネームをつけるような中卒のバカップルが量産されたことが問題だよね。そのバカップルは分数の計算すらもできないんだろうな。そのバカップルの元で育つ子供は、バカによって育てられるから、当然バカに育ってしまう。
俺がバカを嫌う理由として、このバカにいってバイオハザードの如く、バカが量産されてしまうことを懸念しているから。
少子化が進んでいる上、ニートも増加傾向にあるだけでなく、挙げ句小学生の将来の夢ランキングベスト5にユーチューバーとサラリーマン。
日本大丈夫なのかよ。
俺が定年になる頃、日本どうなってんのかな。
>>74
答えがあれば写したくなるようなちょっと難しい問題って、俺の経験上、応用問題くらいだし、しかも応用問題はそこまで多くない。これは数学だろうが国語だろうが同じことで、そもそも空白だらけになってしまうことは、100%とまでは言わないけど、ほぼほぼ有り得ないよ。
ましてや、テストでの正解率に拘ることはあっても、宿題での正解率に拘る人なんてほとんどいない。
答えを写そうとする人は、あたかも自分が解いたかのようにしたいから写すんじゃなくて、とにかく手っ取り早く終わらせようとする人なんだよ。
結論として、例え解答を配らなかったとしても、空白を作ることに抵抗力を感じさせる状況なんていうのは、十中八九有り得ないから、手っ取り早く終わらせたいという気持ちを行動に移してしまうんだ。
確かに、中には例外もいるかもしれない。空白を作っても良い状況であったとしても、宿題での正解率を気にする人がいるかもしれない。でも、それはやっぱり例外的な存在でしかないから、解答を配らないことは効果的とは言えないんだよ。
>>97
ノーマルは、解答を見るような奴は解答がなくても友達のを写すって言ってなかったかな。
友達のを写す時って、自分よりバカな友達のを写すかな。仲のいい奴の中では、なるべく頭のいい奴の答えを写すと思うんだけど。それって宿題の正答率を気にしてるんじゃない?先生に見せる提出課題なら、空白だらけ、間違いだらけよりも、正答率を上げたいという気持ちは働かないかな?
そんな時、究極に正しい答えが手元にあればそっちを使うだろう。
しかも友達のを写せばその友達に借りができる。写させてって頭を下げて頼まないといけない。いつもいつも「写させて」と言えばだんだん断られるようにもなるだろう。
やる気がなければいろいろ手を抜く手段はある。宿題なんて喜んで取り組む奴はまずいないから、誰だって手を抜きたいという欲望はある。
その欲望を簡単に満たし、宿題を出す教師側の意図(勉強させる)を手軽に無に帰することのできるアイテムをわざわざ最初から渡すべきじゃないということに何故反対するのか分からないなぁ。
手を抜くハードルが少しでも高ければ仕方なくある程度はやろうとする。だからわざわざ手抜き用アイテムを渡すべきじゃない。非常に単純な話なんだが。
>>99
>解答を見るような奴は解答がなくても
>友達のを写すって言ってなかったかな。
いやいや、ちょっと待ってよ。
南雲ケースの話から戦艦ケースの話にシフトチェンジしてない?
たった今、その>>97で、南雲ケースでは、そもそも空白を作りたくなるような問題は少ないということ、そしてその動機が、手っ取り早く終わらせたいがゆえということの2点から、そもそも友達のものを写すことはほぼほぼ有り得ないって言ったんだよ。
だって、友達のものを写さなくても、空白を作ったり、解答を丸写しするのは全体の1~2割程度だし、あたかも全て自分でやったかのように見せられるからね。
南雲のその反論は、あくまでも戦艦ケースにしか通用しない内容だよ。>>97において南雲ケースに焦点を当てた論理に対する反論として成り立っていない。
だから、以下の反論は、その戦艦ケースに焦点を当てたものになるけど、この点について、ちゃんとした反論をしてほしい。
>宿題の正答率を気にしてるんじゃない?
まず南雲と俺とで、なぜ答えを写したり空白を開けたりしてまで、宿題を終わらそうとするのか。ここに差違があると思う。
課題というのは"きちんとやって提出"することが認められればそれでいいわけだから、正解率なんてどうでもいいはずなんだよ。いかに自分の労力を消費せずに、宿題を片付けるか。これに尽きる。
だから、少なくとも俺はその前提で話しているし、宿題で正解率を気にするっていう考え方が分からない。
>究極に正しい答えが手元にあればそっちを使うだろう。
その点は否定しない。ただ、解答を取り上げたところで、とことん不真面目であるがゆえに、奴等は自分が楽するためなら手段は選ばない。だから、他人の目を気にするようなこともないし、だからこそ、何の躊躇もなく答えを写したり、赤ペンで解答から丸写ししたりできるんだよ。
友達から断られるのを避けるために、写させてもらう友達をローテーションさせたり、上手く言いくるめたりしてでも写すと思うよ。
もちろん、どうしても写させてもらえないときだってあるだろうけどね。
>何故反対するのか分からない
反対はしてないよ。ただ無意味だって言ってるのね。事の本質は、第2、第3の手がたくさんあるということなんだよ。職員が四六時中生徒を監視しているわけじゃないから、その抜け目を見つけて、ありとあらゆる方法で楽する道を見つけるんだ。
私は、私のケースも戦艦ケースもあると思ってるよ。
応用問題が多くないとしても、応用問題で空白が多いと、手抜きしてるのが先生にバレバレでしょ。楽な問題はやってるけど面倒な問題は空白。それは宿題を「ちゃんとやってきた」と見なされるの?さすがにテストではみんな手抜きしないと思う。つまりテストの成績から、この生徒はこの問題に手も足も出ない学力じゃない、と先生が見抜いているのに、宿題になると空白で提出する。それは手抜きが明白じゃないの。
それに少なくとも私は、宿題の正答率も気にしてきた。真面目にやれば正答率がどうでもいいなんて思えないよ。一方で、安易に解答を見るのはむしろ不真面目な行為だけれど、真面目に考えればこそ、考えても分からなかった時に「解答を知りたい」という欲望も強くなる。
私は正答率を気にする程度には真面目だけど、手元にある正解をあえて見ずに考え抜くほど誘惑に対して強い意志は持てない。
私が言ってるのは、丸写しは極端な例だけれども、答えがなければ5分は考える問題でも答えがあれば誘惑に負けて1分しか考えなくなることだ。
そんな私が多数派なのか少数派なのか知らない。けど、少数派だとしても、解答を渡すことによってデメリットが発生するなら、それを超えるほどのメリットがない限り渡すべきじゃない。
ノーマルは成績に影響しなければ正答率は気にならない?喧嘩に勝っても何の得にもならないが、始めたからには私は勝ちたくなる。宿題だって、たとえ成績に影響しなくても、取り組んだからには正解したくなる。
ノーマルは「解答があってもなくても真面目に考える人」と「解答があってもなくても義務を果たすために手段を選ばない人」の両極しか見ていないように私には見える。私はその中間、「解答がなければ仕方なく考えるけど解答があれば安易に見てしまう」層のことを考えて、無いほうがいいと言っている。
つまり、最も安易な抜け道があれば誘惑に負けて使ってしまうけれども、手間暇かけて第二第三の工夫をしてまでインチキをするくらいならそこそこ自分で考える、という層の人間が存在する限り、解答を渡すべきじゃない。
特に相手は小中学生だからね。四六時中監視は無理でも、先生は、出来る範囲で余計な誘惑はシャットアウトするくらいの面倒を見るべきじゃないかな。
>>103
返すのが遅くなってすまなんだ。
>応用問題で空白が多いと、手抜きしてるのが先生にバレバレ
そもそも宿題をやる生徒自身は、教師が自分の学力と照らし合わせて宿題チェックをするとは考えないんじゃないかな。数百人いるうちのたった一人である自分の学力をそれなりに把握してチェックするとはかんがえにくい。
それに応用問題だからこそ、そこまでは解けないほどの学力だと見なされると思う。というのも、今時の教師はぱっと見でチェックする人が大概だからだよ。ぱっと見って言っても、パラパラページをめくって一瞬だけ見るっていうのじゃなくて、答え合わせが抜けてないかだとか、解き忘れがないかだとか、そういった大体見た感じで分かるものをチェックして、合否判定する。
何で知ってるのかというと、授業中にチェックするケースが多いからだよ。教卓の前まで持ってこさせて、生徒の目の前でチェックする。ここが良い。ここがダメ。生徒個人の取り組み方を分析することで、学力の向上を図ってるという名目で、宿題チェックの負担を極限まで軽減させたいからだと思う。
もちろん、考査課題や連休課題なんかは、職員室の各担当の教師に提出するけど、そこでも多分、大雑把にチェックしてる教師が大半だと思うよ。
>真面目にやれば正答率がどうでもいいなんて思えないよ
ちょっと待ってよ。確かに解答を写してでも賢くなりたいと思う気持ちは分からなくはないけど、それは自分の学力を上げて正答率が高くなるようになりたいという、未来への目標であって、その場で分からなかった問題を、その場で分かったことにすることではないと思う。
俺が数学の課題をやってる時に、俺は分からない問題は分からない問題として、赤ペンで答えを写して、敢えて不正解として片付ける。だって分からなかったんだから、不正解みたいなものだし、正答率が良いからといって成績が上がるわけでもない。それに、その問題が自分の苦手問題だっていう目印にもなるしね。真面目なら、なおのこと正答率なんて気にするとは思えないんだよ。
それはさ、"解答を知りたい"という欲望じゃなくて、"手っ取り早く終わらせたい"とか"賢く見られたい"というマイナスな欲望なんじゃないの?
>始めたからには私は勝ちたくなる
始めたからには勝ちたくなるっていう気持ちは分からないわけじゃないんだ。ただ、上でも言ったけど、それは自力で解けるようになりたいっていう気持ちのことであって、答えを写してまで自力で正解したことにすることじゃないと思うんだ。
だって、始めたからには勝ちたくなるっていうのも、結局は自分だけしか知らない、自分だけの拘りみたいなもので、他人に見せるわけじゃないでしょ?
結局答えを写したって、それは自分が解けなかった事実として記憶されてしまうんだから、その口実は不自然すぎるよ。
やっぱり楽したいからなんじゃないの?
そう思う人は、逆に模範解答からどうしてそのような答えになるのか、理屈を理解しようとして、考え方を学習するんじゃないかな。理科や社会科などの暗記科目で言えば、答えを見ることは効果的と言えるし、数学みたいに自分で筋道立てて考える問題なら、問題の解き方やパターンを覚えることに繋がると思う。
極限に不真面目な人、とことん真面目な人、そしてその中間的な人。俺はこれらを、宿題を写すかどうかで区別してるから、2パターンになると考えている。だから中間的な人のことを度外視していたり、見落としていたりするわけじゃない。中間的な人も、極限に不真面目な人も、共通しているのは、"答えを写す理由が楽をしたいから"っていうこと。解答を奪ったところで、そもそも別の手があって、それは解答がある時と同じ結果を生むから、無意味だと俺は思う。
訂正
×その口実は不自然すぎるよ。
○その理由は不自然すぎるよ。
南雲は自ら脳内変換してくれるとは思ってるけど、これはさすがにニュアンスが違ってくるから訂正しておいた。
っていうか"口実"の意味を勘違いしてただけなんだけどね(笑)
>>105
だからさ、ノーマルのところの先生は解答を一緒にくれるんでしょ。「解答を渡さないほうがいい」というのが私の主張。なのに「解答を渡してる先生」の行動が手抜きであることが、解答を渡すべき根拠にはならないでしょ。渡さない先生が、あえて渡さない意味がなくなる行動をしてるのなら別だけど。でも、その場合でもみんな同じことをしてるわけじゃないから、どっちみち根拠にならないよ。
>それは自分の学力を上げて正答率が高くなるようになりたいという、未来への目標であって、その場で分からなかった問題を、その場で分かったことにすることではないと思う。
生徒にはいろんな人がいるんだよ。「俺は~」って続く文章があるけど、ノーマルのように考えて行動する生徒もいれば、別のことを考える生徒もいる。例えば、ノーマルのようにする人が多数派だったとしても、残り少数派である私の言うような人が存在していたら、解答を渡すべきじゃない。
たとえ解答を抜くことが過半数の生徒にとって役に立たない場合でも、一定少数のためになるなら、抜くべきじゃない?全員がノーマルの考える理屈どおりに行動するわけじゃない。たとえ1割の生徒にしか有効でなくても、有効であればそうするべきでしょ。
>やっぱり楽したいからなんじゃないの?
そう、楽をしたい。まじめに宿題をやろうとしている人にだって、楽をしたいという気持ちがある。誘惑と言ってもいい。
もしも生徒たちがみんな本当にマジメであれば、それこそ宿題そのものが必要ない。宿題なんかなくても、自主学習するだろう。でも、実際そうはいかない生徒が多いから、宿題という強制力を使う。強制されるから、仕方なく宿題をするんだ。そんな人たちは、楽をしたいと思ってる。
そんな人たちに、「解答」という極楽アイテムを渡してしまったら依存するだろう。何度も繰り返すけど、「解答がなければ5分考える人も、解答があれば1分しか考えずに見てしまう」ということだ。数学では考えることが大事。5分でももちろん短すぎる。すぐに分からない問題でも、じっくり考えて出来る限り自分で解答を導き出すことが重要なのに、そこに解答集があれば、「考える」という苦行をせずに誘惑に負けて見てしまう。全員そうだとは言わないけどそうする人がいる。
解答集に書いてある解説を読んで、「なるほどこういう解き方をするのか」と知ったところで大して学力の伸びにはならない。数学は、自分で考えるプロセスが必要なんだから。
それに私の>>103
>真面目に考えればこそ、考えても分からなかった時に「解答を知りたい」という欲望も強くなる。
数学は謎解きだからね。マジメに読んだミステリー小説ほど、犯人が気にならないか?どんなトリック(数学で言えば解法)が使われてるのか、考えれば考えるほど知りたくなるだろう。ミステリー小説は別に探偵養成の教材じゃないから、そのまま小説の名探偵が謎解きしてくれるのを一気に読めばいい。でも数学は、自分で解けるようになることが必要だから、そのまま名探偵(模範解答)まで一気に進んじゃいけないんだ。
「考えても分からない」ということは、成績度外視でも、それ自体がくやしいことじゃないか。考えても分からなかった時、どうするか。①あきらめる、②解答を見る、③もう少し考えてみる。でも解答がなかったら?②解答を見る、の人全員が、②'友達のを見る、を選ぶわけじゃないだろう。②がなければ①を選ぶ人もいれば、③を選ぶ人もいるだろう。「解答がなければもっと考える」という人がいるなら、その人たちのために、解答は抜いておくべきだ。
>解答を奪ったところで、そもそも別の手があって、それは解答がある時と同じ結果を生むから、無意味だと俺は思う。
解答を渡されている以上、「決して見てはなりません」(←鶴の恩返しかw)ということではないだろう。答え合わせのためなどに見てもいいと先生が判断するから解答を渡してるはず。解答をもらってるのだから、見ることはルール違反じゃない。でも、解答を渡されなかった時、友達のを写すのはルール違反だ。だから、「違反じゃない楽な道」を選ぶ人が、みんなそのまま「違反の楽な道」には流れないんだよ。
私が何度も繰り返してる「1分考えて分からなければ解答を見るけど、解答がなければ5分考える」という人もいる。これは上の例で、解答があれば②を選び、解答がなければ③を選ぶ人だ。この人は、考え始めた4分後に自分で解法を見つけるかもしれない。そういう場合は、解答があることで、自力で解けた問題を自力で解かなかったことになり、勉強としては非常に失うものが多い。
そんなケースは決して少なくないだろう。
1分考えて解答を見る人は、解答がなくても1分で空欄にするとか、1分で友達に聞くとは限らない。むしろ、仕方ないからもうちょっと考えてみるという選択をするのが普通じゃないかな。
だから、解答を抜くことには意味がある。