新宿系理性批判

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1丸山
2017-08-12 00:14:37
ID:gF0J0.2Y

「議論」の目的が「真実」に到達することだとしたら、
「煽り」の目的はひとを動かすこと、つまり「扇動(煽動)」にある。


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9丸山
2017-08-12 01:14:27
ID:gF0J0.2Y

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%E8%BB%B0%BC%D4%A4%CE%BF%B3%B5%E9

「第三者の審級は規範的な存在であるが故に、他者や経験を先取りし、経験を「経験」と認識したりすることが可能となる。」

 
すなわち、「第三者の審級」は、経験と認識を可能にする、「超越論的なもの」である。

10丸山
2017-08-12 01:27:47
ID:gF0J0.2Y

「しかし、その一方で第三者の審級が衰退したあり方として〔大澤真幸は〕『オタク』を見出している。大澤真幸は『オタク』を『意味の持っている重要性と情報の密度のあいだに逆立があること』と捉えている。第三者の審級は、自己(これもまた一つの他者として形成されるのだが)と他者の繋がりにおいて形成され、一つのコンテクストを与えるものとして考えるならば、このようなコンテクストの不在は、第三者の審級が衰退したことによって現れていると考えられる。」
   
ポストモダン論でいう、「大きな物語」の衰退ということである。

かつては、「市民」「聴衆」「大衆」にある程度の判断能力があると仮定されていた。

デカルトは『方法序説=理性を正しく導き諸科学における真理を探究するための方法序説』(Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences)」の冒頭において、「良識=ボン・サンス(bon sens)」は「この世で最も公平に配分されているものである」と述べている。

このような「良識」に対する信頼が、かつては様々な領域で機能しており、ひとは、たとえ「真実」にはたどりつかなくとも、一定の受け入れ可能な結論は得ることができると考えていた。

煽り合いにおける客観勝敗論は、このような「近代的」な幻想を前提としている。
 
しかし、もはや我々は「近代」を生きてはいないのだッ。

11丸山
2017-08-12 01:36:44
ID:gF0J0.2Y

主観勝敗論
 
「一般的に煽り合いとは明確な勝利基準・敗北基準が存在せず、相手が敗北の宣言をしない限りは決着がつかない戦いである。転じて、これを『自らが負けを認めない限りは、負ける事がない』という解釈を盾に煽り合いに臨む方法が、主観勝敗論である。」
 
Vikipediaは続けてこう述べている。

「主観勝敗論を信奉するユーザからすれば、煽り合いというのは負ける事がないから、そもそも引き分けか勝利しかない。あとは引き分けの戦いを、いかにして己の煽りで勝利に近づけていくか、というのが戦い方の方針となる。その為、主観勝敗論者の戦いは常にスタミナが要求される持久戦である。相手が執拗な粘着に根負けし敗北を認めた時、彼らの戦いはようやく終焉を迎えることとなる。」
 
「では、お互いが主観勝敗論者だった場合はどうなるか・・・・・・?答えは簡単。延々と不毛な戦いを繰り広げるのである。」
 

客観勝敗論を退けるならば、主観勝敗論を採らざるをえない。しかし、そうすると、上に述べられているような荒涼とした風景に甘んじざるをえない。だとすれば、我々は延々と続く不毛な会話と衰退する身体だけを見続けることになるのか。

12丸山
2017-08-12 01:44:07
ID:gF0J0.2Y

ここでDQNの煽りスキルを参照しよう。
 
 
http://kurosoku.blomaga.jp/articles/18805.html
 
コンビニでレジの列並んでたら前のちょっとごつい中年リーマンが店員(DQN)に絡んでたんだが

DQN「ではこちら年齢確認お願いしまーす」

中年「あ? そんなんレジの方でちゃちゃっとやってよ」

DQN「あーサーセン決まりなんでおなしゃす」

中年「いや、だからレジでできるんでしょ?」

DQN「いやーできないんすよねーサーセン」

13丸山
2017-08-12 01:46:37
ID:gF0J0.2Y

中年「あ? 嘘つくなよ」

俺(今どきこんな絡み方するやついるのかよ)

DQN「…ッチ」舌打ちする

中年「なんだ? お前今客に向かって何したんだ? おい!」怒鳴る

DQN「ナンモシテネッスヨ」愛想悪くたばこを袋に詰める

俺(DQNっつっても怒鳴られたらこんなもんか)

DQN「はいこちらおつりでーす」

ここでDQN釣銭を入口方面に向かって放り投げる

14丸山
2017-08-12 01:47:31
ID:gF0J0.2Y

床に散らばる小銭、ビビる俺

中年キレる

中年「は? てめえ客に向かって何してんだこら!! おい!! 拾えよ!」

DQNレジから動かず

DQN「次のお客様どぞー」

俺「ハ、ハイ」

その後DQNは中年が何を言っても無視
ひたすら俺に愛想のいい接客をする
気まずい俺

中年「もうこんな店こねえからな! バカガキが!」

中年金を拾って出て行こうとする

DQN「俺からのクリスマスプレゼントでーすwwwwメリクリーwww」

DQN満面の笑みで手を振る

15丸山
2017-08-12 01:48:13
ID:gF0J0.2Y

DQN「いやなんかすんませんねーまじ」

俺「イ、イエダイジョブス」

DQN「たまにいるんすわああいうキモイおっさん
   っかさー、今のマジやばかったっしょ今年最高のキモさだったべww」

俺の後ろらへんに声をかけるDQN
DQNの知り合いっぽいDQNたちが笑っていた
俺はビビってたので初めて彼らに気づいた

DQNたち「マジ○○クンサイキョーッショwwチョーウケタシwwww
     オニーサンモソウオモウッショwww」

俺「ソ、ソッスネ」

なんか俺が絡まれてるみたいな構図になりビビる

16丸山
2017-08-12 01:49:24
ID:gF0J0.2Y

DQN「まあゆーて俺ら慶応だし就活勝ち組だしあのおっさんよりは出世できるっしょwww」

他のDQNたち「それなwwww」

俺日大生、沈黙

DQN「じゃあおにーさんもメリクリーww」

DQNたち「メリクリーwww」

俺「オ、オス」

俺完全な敗北感を味わい、帰宅

17丸山
2017-08-12 01:56:38
ID:gF0J0.2Y

これは、電脳空間ではなく、リアルワールドの話である。
そして、平成の現在においては、DQNとは低学歴のヤンキーのみならず、
高学歴の「輩」をも包含するのである。
 
問題は、何故このようなことが可能なのか、ということだ。

ここには、「真実」に関する論証や立証があったわけではないし、「第三者の審級」が働いて一定の合意に達したわけでもない。かといって、お互いが「負けない」という不毛な状態が続くこともなく、一瞬で決着がついている。

何が、ここで「審判」の役目を果たしたのであろうか。
 
この原理を解明して同じようなことを電脳空間で再現することは不可能だろうか。

18丸山
2017-08-12 02:08:20
ID:gF0J0.2Y

上記のような例では、一応の答えは簡単に導くことができる。

おっさんも強気であり、DQNも強気である。

おっさんが店長にねじ込めば、DQNは解雇されたかもしれない。

しかし、DQNは「慶応だし就活勝ち組だしあのおっさんよりは出世できる」という信念をもっており、解雇されてもどうということはないのだ。

従って、この勝負そのものをはじめから放棄することが可能であり、それ故に超越的な強さをもつに至った。

一方のおっさんは、客という強い立場にありながら、この勝負を捨てることができない。自分が始めた勝負でありメンツがあるからだ。

他方で、この勝負の「外」のことについては何ら確信がもてない。勝負に勝ったところで、得るものは一瞬の優越感であり、勝負に勝つために一線を越えてしまえば、警察力が発動してしまう。
 
こうした「背景」の力が一瞬にして勝敗を決めてしまったのだ。


19丸山
2017-08-12 02:20:28
ID:gF0J0.2Y

電脳空間では、このような「背景の力」は働きにくい、と言われている。何故なら、お互いの名前も素性も知らない者同士が煽り合っているからだ、と。

だが、ちょっと待って欲しい。

コンビニで対峙したDQNと中年も、お互いの名前や素性を知らないという点では同じではないのか。

DQNは何の根拠もなく「俺ら慶応だし就活勝ち組だしあのおっさんよりは出世できる」と断定しているだけなのだ。もしかしたら、おっさんは東大出身かもしれない。

実は、「背景の力」などという客観的な力が働いて勝敗を決めたわけではないのだ。しかし、何かがDQNとおっさんの双方に、「背景の力」に似たものを一瞬で感じさせ、勝負を決めたのだ。

それは何であろうか。もちろん、「見た目」である。

20丸山
2017-08-12 02:39:02
ID:gF0J0.2Y

「見た目」はそれ自体としては一応、客観的な事実である。
しかし、そこからその人の学歴や出世の度合いが導けるわけではない。
百歩譲って東大卒に見えないというところは受け入れよう。
しかし、「出世」というのは学歴だけでは測れない。
「見た目」は単なる客観的事実ではなくて、主観的な解釈の入ったかっこつきの《事実》なのだ。
   
論理的にはそうである。しかし、それは客観的事実以上の素早さで確実に機能した。お互いの素性を言葉で語り合ったとしても、かえってここまで迅速な決着がつくことは不可能だろう。

「見た目」は、勝負を正当に判定する客観的な事実(正当な根拠)とは成り得ない。しかし、それは何かその場に大きな強い力を発生させ、黒い風が吹き抜けるかのように、DQNとおっさんの両者を震わせたのだ。二人は風に煽られ、揺れた。そして、おっさんは振るい落とされたのである。
 
このような「見た目」に相当するものが、ネット上の文章に存在するだろうか。

21丸山
2017-08-12 02:47:02
ID:gF0J0.2Y

もちろん存在する。「文体」である。
 
従って、電脳空間における「煽り論」の中心は、畢竟、文体論とならざるをえない。

 
「煽り」には確かに事実判断も含まれる。しかし、だからといって「煽り」を事実判断に還元し、「議論」と同一視することはできない。

「煽り文」の本質は「文が意味するもの(文の外にあるもの)」=「事実」にあるのではなく、「文がそれ自体として表現しているもの(文自身の在り方)」=「文体」にあるのである。

22丸山
2017-08-12 03:20:30
ID:gF0J0.2Y

極端な例を出そう。DQNの女が「あのカップルは男も女も頭が悪い」という意味内容を表現した文である。
  
「ぁのヵップル絶対ァポ仔とァポ汚だょЙё~」
   
おわかりいただけただろうか。
文の意味を超えて、文体そのものがイラつかないだろうか。
これほど極端ではないにしろ、文体は、文の意味とは別に、
独自の表現領域を持っているのである。

23丸山
2017-08-12 03:31:22
ID:gF0J0.2Y

「何言ってるの~チョーいみふ。」
  
「真剣意味ぷゃし~」
  
「いんきゃのくせにいきんなよなー的なw」
  
「今日ヵラ…ゥチ等仲ラビッチだぉ♪」
  
「おめ-ぎってるくせにちょづいてんじゃねーよタヒ」
  
これらは、DQNの中でもいわゆる「ギャル系」と呼ばれる人々の言葉遣いである。このノリ・・・どこかで見たことはないだろうか?

24丸山
2017-08-12 03:37:26
ID:gF0J0.2Y

そう。あの「みづき」の文体に似ている。
上記のものほど酷くはないが、確実にDQNテイストが入っている、と私はみる。
 
そして、喧嘩板の紳士達はおそらく認めないだろうが、私はみづきとわかなの煽りは最強だと思っているのだ。

以下、我々は特に「みづき」の文体を研究することにおいて、その強さの秘密に迫りたいと思う。
 

25マスー君
2017-08-12 04:54:16
ID:nGXDT1yI

つまらん読んでないけど

26丸山
2017-08-12 05:42:21
ID:gF0J0.2Y

あっはい。

File:無題

27丸山
2017-08-12 05:43:15
ID:gF0J0.2Y

では、以下、何故欧米圏に日本のようなアイドルが存在しないのか論じます。

28丸山
2017-08-12 05:45:21
ID:gF0J0.2Y

ロリコンは許されないから。(了)

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