https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/16958/1536463543/
基盤
>5つの辞書で見てみても少なくとも「複数存在することが不可能」なことを示している辞書は1つもありません。
>もうこれは「最強は複数存在することができる(こともある)」と言ってしまって良いでしょう。
もし最強が複数存在することができないと唱える辞書があったらぜひともお知らせください(笑)
>>もうこれは「最強は複数存在することができる(こともある)」と言ってしまって良いでしょう。
こいつまず論理的攻防アプローチからミスってる。
「同じは絶対に有り得ない」
これ言っちゃえば、極論でもなんでも色々な要素さえ付けてこじつけば通る話で
ただな?”主観”だろそれ
•主観的に見て、正しい
•客観的にみて、正しい
この二つでは、”言ってしまっていいのか悪いか”
全くその結果が左右してくる。
客観的に正しい
それは言ってしまって良いよな。
だって、ある程度は「特定の立場からの視点に限らない見方」と「第三者」からの視点による見方が伴ってるわけだから。
ただな?俺の主張としては、
「お前の持論は妥当性がないつまり、正当性がない。」
って言ってるだけで、
お前のそれに対する反論が
>その「同じは絶対に有り得ない」を証明してくださいよって言ってる。
それできなきゃその理論成り立たないから。
>イコールになる可能性が完全に否定されない限りは、イコールになる可能性がある、つまり「複数存在が可能」となる。
一旦初めの引用に戻ろうか
>>もうこれは「最強は複数存在することができる(こともある)」と言ってしまって良いでしょう。
辞書としては正解だろーなww
そして、お前と主張は、辞書としての間違いではないからそうだと言って良い、という事。
つまり、辞書が全てだということが前提の上での世の中成り立っており、それに沿ってるから「もう言ってしまっても良い」つまり「断言しても良い」さらにいうと「断言しても問題ない」という主張。
ただ、その断言を足るにも、それなりの事情は必要だろうが?そもそも辞書が全てではないからまずそこが間違ってる。
主観にしかなってねえよ 言うなればお前の中でしか正解とならねえ根拠
それを
「もうそれを言ってしまって良い」と成立させていいのか?
断言していいのか?
断言することに問題はない?
主観で結びつけて、あーなるほどそれならの結び付きができるお前すげーって
言われたいだけならいいかもな
ただ、それが断言することに問題はあるかないかで言われたら、
俺がいう正当性の話、いわば ”お前の持論に妥当性ねえよ” に対して否定できずにほざいても、お前の断言に問題があるとしか言えねえよ
もうここまで話の進んで
>「同じは絶対に有り得ない」を証明してくださいよって言ってる。
>それできなきゃその理論成り立たないから。
って、言ってる時点でお前終わりだろ
成り立つも何も、同じは絶対にあり得ないを証明する必要がない。
“同じは絶対にあり得ないことを証明すること” の誤謬を俺は論じた。
敗 北 の 2 文 字 😀 どうですか 敗 北 の 味 は 😀
引用参考
俺の前突っ込みレス
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/16958/1536463543/
おでんの反論
493: おでん :2020/04/16(木) 22:36:01
>>488
産廃にレス返すついでに目に入ったからサラッと書くけど
>だが、極限にまで設定をしてさらに掘り下げて設定しての繰り返しで最終的に行き着くのは一人
これ証明しないでサラッと流すのやめて。
要するにおぐりんと南雲と同じ内容の指摘だよねこれ。程度が同じに見えても厳密にずっと比べていけばどっかで差が出る。同じは有り得ないって理論でしょ?
じゃあその「同じは絶対に有り得ない」を証明してくださいよって言ってる。
それできなきゃその理論成り立たないから。
イコールになる可能性が完全に否定されない限りは、イコールになる可能性がある、つまり「複数存在が可能」となる。
辞書の定義はともかくとして、現実問題として蓋然性があるかないかの話ではなく飽くまでも理論上設定可能かどうかであれば可能だと思うよ。
>>5
理論上可能という主観的な 観点 で断言することに問題はない
けど、
妥当性という 観点 では断言することに問題はある。
俺は、それを軸に、まず理論上可能ってだけで断言することに問題はあるかないか
それは 主観での問題 か 客観での問題 かを俺が指摘しており、
おでんが主観で断言することに問題はなくても、おでんの主観自体に妥当性がないために客観的にみれば問題はある。
ここでいえば、「もう言ってしまって良いでしょう」というおでんの主張は、
「最強は複数ある」を断言してもいい という主張である。
ここまでの内容をギュッと凝縮すると
「持論としては特定の観点(理論上)からは合理的に正しいし、それなら断言してもいいが
“その特定の観点(理論上)に妥当性はない”という俺の主張を否定できない以上は、間違いなる前提を無視していると同じで、
正当性(妥当性)という肝心で総合的な観点からみれば、断言することに問題有り。」
ということだ。
つまり、俺はナチュラルの言い分がおでんの言いたいことに適用させるなら、まず前提における物事を成り立たせるための 観点 に非がある。
特定の観点ではなく、総合的な観点からみてやっと妥当性が生まれる。
喧嘩や議論の土俵で 特定の観点において 正しいと言い張る行為というのは、もはや主観でしかなく、主観というのは特定の偏った観点からみればなんでも正解なのである。その上でどれだけ納得させれるか
そこででしょう。
そこまでいくと、まず自分の意見が客観的に間違いなのは認めた上でどれだけ主観を正当性あるように見せれるかという事でしょう。
つまり、俺はおでんが客観ではなく主観で語っていることを看破しているということであり、それは(俺が)詭弁行為を見破ったということ
あと、おでん曰く「 同じは絶対にあり得ない 」を証明 しない と俺幸之助の理論は成り立たないらしいが、これら主張をみればわかるが、色々な解釈がある以上は、色々な反論の仕方があるし、俺はそれ以外のやり方で反論をしたために
まずそれを証明する必要がない、という論理に至る。
これを論理化すると、Aを否定するなら、Bしか必要じゃない。というのが🍢の主張。
ただ、Cもあるよね というのが俺の主張。
従い、 同じは絶対にありえない という証明をしなくてもいいが故に、また誤謬生まれてるねって感じ。
これでまだ異論あるならかかってこい^^^^
>>8
具体的な異論はないけど、疑問は残るな。
「観点」と「前提条件」ってどう区別をつけるべきなんだろう?っていう疑問。
「理論上の話」か「現実問題としての話」かって、俺は前提条件の違いだと勝手に思ってたんだけど、お前は違うの?
なんだろう、例えばさ「ウサインボルトは速いのか」って議題があったとして、どの観点や前提条件を敷いて議論するのが妥当なのかってどうやって決める?
>ボルトはあくまで短距離走者であって身体も長距離向きの身体つきではなく、フルマラソンをさせたら遅いはずなので速いとは言えない
って意見があったらこれは単に「観点」の違いだと思う?
それとも「いや短距離走の話しろよ!」って前提条件の違いだと思う?
>ボルトよりもF1とか光とか、速いものはたくさんあるので遅いと言える
って意見があったらどう思う?
お前はこれらを「観点」の違いと見るか「前提条件の違い」と見るかはともかく、その基準ってどう設けるのが正解なんだ?
その設け方(妥当性)はどうやって決めるんだ?
>>9
うん。ほんとそう言ってくれて良かったよ
巷ではお前、幸之助の評価をダダ下げしようとしてる偽者の嫌がらせって言われてることをさっき知ったから
これでDiscord追加してきたら多分お前がリンチに遭って終わってただけだろうけど、本来そんなやり取りすら邪魔でしかないからな
>>13
なるほど
まあ”総合的“に決めるね
曖昧だけど、それが全て
妥当かどうかを決めるのは結局、感性でしかなく、感性というものも曖昧であるからして、その決めてとなる材料(総合的に決めること)も曖昧であって良い。
これがおれの持論
そして、何かのレールの上で決めた上での判定(遅い早い)なら、ただそれだけでは真という意味での妥当性は生まれるのか?
って領域に至る。
逆に言えば、 主観 という偏ったもの ってだけで妥当性あると言えるなら、世界中の何もかもか妥当性あると言える。
ただそうじゃないだろ?
先ほどと似たようなことを言うが、最後に行き着くのは 感性
それを総合的に決める
曖昧なもので決めるのが、真の妥当性を決めるもの。
ウサインボルトは早いのか それをなんの観点でみようかと特定の観点で決めるそこで妥当性を”作る”こと自体に妥当性がない。
総合的にみて、最後は感性で決める。
それが本当の妥当性の判定法だとおれは強く主張している。
おでんの観点には妥当性というそのもの大きな観点において 非 がある。
そして、その観点を基に妥当性を決めるという行為は、同時に断言をするに足らない行為、もっと言えば断言することに問題がある
それは、観点という大前提が間違いであるという論理であり、おでんの発言そのものに妥当性がないということを示唆している。
発言をするにも、発言のエチケットがあり、
問題ないというにも問題ないと主張するに値するエチケットがある。
おでんは、問題ないと主張しても、そのスタンスや立場によりけりで問題ないにも正解の天秤が偏るが、ただ喧嘩という土俵にある以上は、主観止まりではただの呟きと準ずる行為であり、
又、それは喧嘩とは如何なるもの その上でどう妥当性を決めていくか
この一番の基礎的なレールを正すのがこのおでん理論を劣勢にさせる方法の一つであり、灯台の下をきちんと見ることがきちんと論理や喧嘩と向き合うということでしょ。
纏めると
客観、総合的、で妥当性を決めることこそが喧嘩であり、それが喧嘩における妥当性を成り立たせるもの。
おでんの持論の前提が間違いで、そこから導かれた結論(最強は複数あって良い)が客観、総合的なる妥当性がないとおれによって証明された以上は、喧嘩において負けと言い放っていいでしょう。
正直大体今の自分の実力は掴んだな
まだこれは秘めてるけど、それを引き出したとしても歴代wiki最強格の古参たちにはギリ勝てるか勝てないか そのライン
修行はだるいからしないし、まあ勘違いも混んでる可能性も否めないし、なによりどうでもなんか最近は良すぎるけど
論理的に理解するよう知識を取り入れんのはまじ思考力上げるにおいて重要だな〜
要するに、人によっては妥当と思うかもしれないし、人によっては妥当じゃないと思うかもしれないってこと?
え?
じゃあお前は何をもって「妥当じゃない」って言ったの?
それだと、そのお前が言う「妥当性がない!」「客観的じゃなく主観的だ!」という意見こそ、幸之助自身の感想に過ぎず、お前が嫌っている主観的意見ってことにならない?
それが真に正しいとする根拠がないと言うのなら、どこがどう論破なの?
これは俺の持論なんだけど、数学みたいに絶対的に答えが定まるもの(公理の性質は無視して)ではなく、単純に感性に依存するものって答えがないってことなんだから、「正しい」とか「間違い」とかっていう概念がそもそも成立しないんだよ。
だからそれが完全に感性に依存するなら、妥当かどうかってことを考えるの自体がナンセンスだと思ってる。
だって数学みたいな絶対的・客観的な正しさを持つ物差しがないのが「感性」なんだから。
それを無理やり万人が納得するかのように妥当だとか妥当じゃないとか言って何の意味があるの?
それって結局幸之助がそう思うっていう感想レベルの話で、どちらが間違ってるのかを競う喧嘩において、そんなので勝ち負けが決めちゃダメでしょう。
じゃあどうすればいいのか?って、相手が敷いた前提条件に合わせて争えばいいんじゃないの。
その前提条件が正しいかどうかの時点で争いたいなら、それ自体も感性という答えの定まらないものに依存するのではなく、絶対的な正しさ、客観性に基づいた意見がないとダメだよ。
この理屈で言うなら、おでんは最初から「最強は2つ以上存在”する”か?」ではなく「最強は2つ以上存在”できる”か?」という理論的の話をしていて、それに対して指摘していく形で後攻の立場を取ってるんだから、その前提条件を無視して勝手に入れ替えて違う土俵に上がったお前は会話不全ってことになるんじゃないの。
あとこれも言っちゃうけど、仮に妥当じゃないというのが客観的事実だとしても「理論上の話」という前提条件を設けた上での展開された理論自体は間違ってない(少なくとも間違ったと示した人はいない)わけで、「理論上の話をした上で最強は複数存在できるかどうか」と「理論上の話をすることが打倒かどうか」は別々の論点でしょ?
しかも今のところおでんは後者の論点について意見を述べてない。
おでんはお前の意見に納得するのかしないのか見えてない状態というのは、言い換えれば勝ち負け以前にそもそも対立していない状態なのだから、勝手に勝ち負けを決めるのもナンセンスだよね。
相手がどう考えてるか不明な段階で勝手にレースをスタートさせちゃダメでしょ。
せめて「これは覆しようもない正論だ」くらいにしときなよ。
うけぴ〜ナチュラルくん思考が綿密で返すのに時間かかるわ
解 散
ちなみにこの勝敗一万歩譲っても俺の勝ち ナチュラルよっわ 雑魚やん🤣
俺は質問してるだけで別に喧嘩売ってないよ。勝ち負けとかそういうのないと思う。
>>20以降はもし俺の疑問が的確だった場合に成り立つってだけのifストーリーだよ。
あくまでifの段階だから質問してるだけ。
あくまで質問してるだけだからifの段階。
落ち着けよ。
違うなら違うで「分かった」って言うし。
>>26
一浪して神戸大学を目指すなどと大言壮語したのも束の間
支えてくれた人の思いも無為にしてネットに入り浸った挙句
一浪専門学校という珍獣に成り果て、今に至るのでしたとさ
>>20
本来の土俵を言ってるぞ俺は
それが喧嘩の真理に一番近いものだと言ってんだから、それに当てはまるとおでんは本来劣勢 つまり本当の意味での劣勢といってる。
そこの部分を論破だなんていってねえよ
はっきり言うが俺は曖昧な攻め方をしてるだけ そもそものおでんの観点で物事見る行為が間違い
おれの観点が本来の正解。
そして本来の正しい観点を推すことで、おでんのやり方、簡単に言えば行為が否定される。
そっから
勘違いすんじゃねえ
これはひとつの攻め方なんだよな喧嘩の
>それを無理やり万人が納得するかのように妥当だとか妥当じゃないとか言って何の意味があるの?
俺が優勢なるから意味ある
あと、論破と言ってるのはは>1の一番最後の部分な
>8の1番最後らへん参照
おでんの Aは〜でしかないと成り立たない 理論を否定して、俺が Bがあっても成り立つ と推してるが故に
ナチュラル君は普通に頭良いと思うな
なんていうか、頭がキレるとか鋭いじゃなく、哲学者的な頭の良さ
数学が苦手だったっていうのも頷ける
>>38
なるほど?要するに
>詭弁なのは自覚してるけど、それが何?
>喧嘩はあくまで相手を言いくるめるのが目的なのであって必ずしも正論である必要性はない。
>詭弁を使って何が悪い。そういう戦略なんだよ。
ってことかな?
じゃあ感性を根拠に出してくることがおかしいのは分かってて、その上で敢えてそういうムーヴかましてるわけね。
正確には「論破した」のではなく「論破したように見せかけた」かな?
まぁ、理由を問われて根拠も出せないのに優勢はないと思うけどね。
現に俺によって詭弁であることが明白になったわけで、結局論破をしたようには見せかけられていないってことだもの。
詭弁は正論だと思わせてこそだよ。詭弁が詭弁だとバレたら何のために嘘ついたのって話。
お互いが認容可能な負けパターンを持っているなら、
競技には納得のいく落としどころが生まれる。
負けないことの価値は相対的に下がって、落としどころに向かう過程を楽しめる。
>>43
違うぞww
おれの持論は正論だが、それは論破をしている内容ではない、ただそれはひとつの喧嘩における攻め方
ってことだぞ〜
>まぁ、理由を問われて根拠も出せないのに優勢はないと思うけどね。
俺の 総合的にみることの観点に妥当性を持つことについての理由は>8に述べたぞw
総合的に見た上での観点が妥当性である
その理由は、一部的にみた観点が妥当性であるならば全ての事象が妥当性を持つことになり得る。
であるなら、総合的にみた観点が妥当なんじゃないか
これが俺の出した論に対する論拠
感性云々はそこで語ってんじゃねえよ雑魚がヨォ
勝手に捏造して話進めるんじゃねえ
解釈を勝手にして、自分がいかに正論かをみせる
俺によって詭弁行為が暴露されたね弱ちぃねぇきみきみ〜😀😀
詭弁を見つけた〜!ゲッティー!と言いつつ、それが詭弁ではなくただの勘違いで、しかも質問系にしてこの解釈かな?と言いつつ勝手に話を進めてるし、それで正論のように語るのであるならよぉ?
お前のいう
正確には「論破した」のではなく「論破したように見せかけた」
↑これが詭弁と言うのなら、お前の行為は詭弁だぜ〜??
馬乗りパンチどうすか哲学者が夢のせんぱーい!!wwww