ゴミ捨てハンが喧嘩させようと煽っててうけるんですけど。
>173
>いもって大会に出ないやつが何言ってんだよ笑笑
お前大会出てねーだろ。やっぱり捨てハンはゴミでしたっと。
第三者による賞罰う?そんな事言ってませんがあ?どんだけばかあ?
>>175
誰が お前が言った なんて言ったんだよアスペか?
おれが観測した結果として りとステハンは第三者からの賞罰から逃げてる という点で大差ないって主張してんだわアスペか?
何を急に「おれはそんなこといってましぇーん」だよアスペか?
いきり:論文英訳どや~ 引用どや~。
ぷりん:それ違うけど?w
いきり:ぐ、この馬鹿どもめ~
ぷりん;がちおこ
まじでわらうw
>誰が お前が言った なんて言ったんだよアスペか?
はいー?お前が勝手に言い出した事を~?こちらに勝手に当てはめてえ~?非難してたんですくあ~?何の意味があるんすくあ~?
自分が言った言葉で自分が拘束されるならまだしも、他人の定義で拘束される理屈ねーだろ。ばかかこいつ。
アスペ連呼ってロシュなのかロシュの信者か。ここでロシュがフルボッコされたのだからprprしても仕方ねーよな。ダッサ。
誰もお前がそう言ってるなんて言ってないのに急に「おれはそんなこといってましぇーん」ってなんなん?笑笑
それこそどんな意味あるんすくぁ?笑笑
>183
論理的批判であればこちらの言葉でこちらが拘束されると思うのは当然だろ。お前の言葉で勝手に批判してるだけなんて何の効力もねーんだよゴミ。
あのさ。多分お前には理解できない世界かもしれないがな?こちらには知性というのがあるんだわ。知性がある存在からすれば、相手にも当然に知性があると思うんだわ。つまり相手にも論理が存在すると思うんだわ。
でもお前には驚いた事に論理が存在しないんだわ。自分が馬鹿と決めたからお前は馬鹿!と言ってるようなもんなんだわ。何の意味があるんすかあこれ。
知性の無い馬鹿はお前でした。馬鹿はしね。
ロシュ擁護派っていうのはどいつもゴミみたいなやつばっか。ロシュは馬鹿だし信者も馬鹿。帰納法としてロシュサイドは全員馬鹿と言えるでしょう。この推論は妥当である。はあよわ。
>>123
これは妥当な帰納法であるという文の言葉選びにはやはり違和感を拭えない。
元々俺は帰納法では結論が真でない可能性があると想定したうえで結論を導き出す必要があると思っていたから、「妥当な推論では、すべての前提が真であるならば結論は偽ではありえない(>>118)」という教科書の解説を読んだ時、結論が偽ではあり得ない帰納的推論というのはやはりおかしいと感じた。
でも、全体的に(論理学にわかの)自分の中でのイメージが多く学術的なデータが不足していて、このままでは意見するには不十分だと判断した。
だから引用だけして他のソースが出てくることを待っていたよ。
その後に引用された文によると「帰納における結論は、確かに前提によって支持されてはいるが、決してそれは必然性を帯びないということである(>>122)」とのこと。
だから、「推論の妥当性はあくまで、前提とされる諸命題と結論となる命題との間に、前提だけからして必然的に結論を導き出せるという論理的な関係が成り立つことを示すものなのである(>>118)」という説明と照らし合わせれば、「妥当な帰納なんてありません」という結論が出せるんじゃない?
俺は帰納の結論が必然性を帯びないのだから、帰納的に論理を展開してもそれは必然的に結論を導き出したことにはならないと考えているよ。
>>138
・・・ん?
「前提が全て真であるとき、必ず結論が真となること」が妥当な演繹で、「人間は必ず死ぬ。ソクラテスは人間である。したがって、ソクラテスは必ず死ぬ」という例が挙げられるよね。でも恒真ではないでしょ?
>>188 なるほどね。
必然とは、妥当であることが保証されていることを意味します。
必然性と妥当性を分けてよく考えてみてください。
・教科書
「推論の妥当性はあくまで、前提とされる諸命題と結論となる命題との間に、前提だけからして必然的に結論を導き出せるという論理的な関係が成り立つことを示すものなのである(>>118)」→推論が妥当ならば、前提から結論を導き出せるのは必然である。
・おっぱいぷりん
「必然とは、妥当であることが保証されていることを意味します(>>191)」→前提から結論を導き出せるのが必然ならば、推論は妥当である。
必然は妥当の必要十分条件ということになる?必然性と妥当性を分けて考えるってなんだろう。
分からん。「妥当な帰納なんてありません」という意見はまだ不完全かな?
>>190
例えば、モーダスポネンスという妥当な推論は、論理式に直すと次のように表現できます。
((A⇒B)∧B)⇒B
この論理式“自体”が恒真になっていることは、次のような操作によって確認することができます(真理値表やタブロー法、導出反駁木といった方法を使っても確認できます)。
((A⇒B)∧A)⇒B
≡((¬A∨B)∧A)⇒B
≡((¬A∧A)∨(B∧A))⇒B
≡(⊥∨(B∧A))⇒B
≡(B∧A)⇒B
≡¬(B∧A)∨B
≡¬B∨¬A∨B
≡(¬B∨B)∨A
≡T∨A
≡T □
>>160の引用にもあるように、論理式A⇒Bが恒真命題であり、それゆえ演繹(妥当な推論)であることは、Aが真であるような命題変数P,Q,R,...の真理値に対して常にBが真となること(=Aが真であるならば、必ずBは真であること)と同値なのです。
訂正:例えば、モーダスポネンスという妥当な推論は、論理式に直すと次のように表現できます。
((A⇒B)∧B)⇒B
→
例えば、モーダスポネンスという妥当な推論は、論理式に直すと次のように表現できます。
((A⇒B)∧A)⇒B
しかるべき形式の資料ではありませんが、いくつか参考になるであろう情報を引用しておきます。
「論法 P1, …, Pn ⊢ Q が妥当である必要十分条件は、命題 (P1 ∧, …, ∧ Pn) → Q が恒真命題のとき、である(http://www.hongo.wide.ad.jp/~jo2lxq/dm/lecture/04.pdfより引用)。」
「妥当:論理式Pが恒真式であるとき,Pはいかなる解釈に対しても真であるという意味で「Pは妥当である」という.(http://milan.elec.ryukoku.ac.jp/~kobori/resume/log/LogN02.pdfより引用)。」
「推論式が妥当式になるとき,推論は「正しい」「妥当である」という。言い換えれば,推論が正しいとは,いかなる解釈のもとでも論理式 (a) は恒真になる,ということである。(http://www.sguc.ac.jp/i/st/learning/logic/%E8%BF%B0%E8%AA%9E%E8%AB%96%E7%90%86.pdfより引用)。」
あっそうか。
推論が妥当⇔論理式が恒真
こうだった。
じゃあ妥当な演繹なのに恒真でないはずがないか。
ここまでのまとめ。
推論の正しさを妥当性という ≫96
演繹は、前提が真なら必然的に妥当 ≫122
帰納は、妥当なこともそうでないこともある ≫130
ロシュ:帰納法に妥当性は付与されない
あああ:帰納には妥当性がない
論法 P ⊢ Q が妥当である必要十分条件は、命題 P → Q が恒真命題 ≫196
----------
やっと、スタート地点にこれたようですが、ここからはこの書き込みを参考にしてください。
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=list&no=8222&res=110
*なお、あああさんは昨日よりはだいぶ進歩したようですが、引き続き
「帰納の場合は、演繹の場合とは違って、あらゆる解釈のうち、結論が偽となるように導いてしまう解釈が(少なくとも1つは)存在する」
の証明をがんばってくださいね。
>>200
>演繹は、前提が真なら必然的に妥当 ≫122
ではなく、
演繹では、前提が真なら必然的に結論も真である(妥当である)。
としたほうが適切な表現かと思います。
>>201
>>160より、
「論理式P→Qは恒真命題である⇔前提Pが真ならば、必ず結論Qは真である(真理保存性がある)」―①
>>122によれば、帰納においては、演繹において認められていた前提と結論との間にある必然的な関係(必然性;真理保存性)が認められない。すなわち、帰納P⊢Qおいては、「前提Pが真であったとしても、必ず結論Qが真となるわけではない(真理保存性がない)」。よって、①より、「(帰納P⊢Qを論理式に直した)P→Qは恒真命題ではない」。帰納P→Qが恒真ではないということは、[P→Q]_I=Fとなる解釈Iが少なくとも1つ存在するということである。□
これで合っていますかね・・・。
>>201
あと、>>138を見てもらえば分かると思いますけど、
>「帰納の場合は、演繹の場合とは違って、あらゆる解釈のうち、結論が偽となるように導いてしまう解釈が(少なくとも1つは)存在する」
ではなく、
「帰納の場合は、演繹の場合とは違って、その推論式が偽となるように導いてしまう解釈が(少なくとも1つは)存在する」
ですね。
>>202
少しづつ自分の考えを厳密に書こうとしているところがいいですね。
「帰納P⊢Qおいては」と記号で書いたことにより議論が進展しやすくなります。
現状このような主張になっています。
あああ①:全ての帰納法で得られる命題は妥当でない
りおし②:帰納法で得られる命題に対し正しくない推論(妥当でない推論)はあるが、全て妥当でないとは言えない。
簡単にいうと、「全て」と「ある」の違いとして捉えられます。
「帰納P⊢Qおいては」と書いていますが、
ここで、一つの論理式で、”全ての”帰納法の論理式を表して考察してしまっているようですね。
--ここまでのまとめ--
葡萄:妥当な帰納法により、P → Qが成立している。
りおし:帰納は、妥当なこともそうでないこともある
ロシュ:帰納法に妥当性は付与されない
あああ:全ての帰納法により得られた命題には妥当性がない
*推論の正しさを妥当性という >>96
前提が真なら結論も真だと保証された演繹は、妥当である
論法 P ⊢ Q が妥当である必要十分条件は、命題 P → Q が恒真命題 >>196
** 語彙に複数の解釈がある場合
・ 「単語a」、「単語b」のように、その語にアルファベットをつけて区別しよう。
・ 何を前提と解釈したか明示しよう。
>>204-205
私には、>>122にて引用した原著者が言われているのは、ある特定の帰納ではなく、帰納一般についてであるように思われました(原文はinductive argumentsとなっており、これはdogsによって、犬一般を表現する仕方と同じに思われます。また、もし前者であったとしても、単にinductive argumentsとは表現せず、形容詞を修飾するなり、カンマなしの関係代名詞を付け加えるなりするはずです)。
また、りおしさんの読解(>>130)が正確であるとは私には到底思えません。原文上のentailの意味*からしても、また前後の文脈からしても、原著者が「帰納が無効にされ得ること」と「帰納に論理的必然が伴わないこと」とを同義として扱っていることは明らかです。したがって、例えば、りおしさんの次のような解釈
>「決して必然性を帯びない」というのは、「無効にされ得る」を説明する内容なので、必ず必然性を帯びないというわけではなく、必然性を帯びる場合もあるという意味である
これは、「(帰納には)決して必然性が帯びない」ということが無効にされ得る(否定され得る)という意味で解釈されてしまっており、本来の「帰納には決して必然性が帯びない」=「帰納は無効にされ得る」という解釈とは全く異なるものになってしまっています。
とりあえず、太ももさんにも原文の方を読んでもらうのが早いかと。
*entail:《論理学》…を論理的必然として伴う,(論理的に)含意する(goo辞書より引用)
>>206
>「りおしさんのような解釈」は厳密には成立しないので、>>205のように書き直しています。
読解はあってると思いますよ。
著者が想定してる帰納法の命題に対しては、ずべて、必然性がないはずです。
そして、著者は「妥当」を構文論のみに限定して使っているので、必然的なのです。
よって、その著者の主張は全く問題ありません。
論理学や哲学の読解が難しいのは、本や場面によって定義が違うことです。
その著者の定義では、妥当=恒真命題です。
(もしかすると、それ以外の意味でも妥当といっているかもしれませんが)
ですが、>>96をよく見ると、推論の正しさを妥当性といっています。
*これ以上は、ロシュ限界の勉強の妨げになるので、ここに書き込むのはやめようと思います(笑)
どうやら、無効にし得る(defeasible)には「取消可能」という術語が与えられているみたいですね。このタームの意味によっては、私の読解が誤っている可能性も考えられるので、取消可能について少し調べてみます。
defeasibleに関する調査は断念。それらしい記述はあったけれど、信憑性が薄そうなので引用するのはやめておきます。
なんだかもう面倒くさくなってきたので、後はロシュ君にバトンパスしますね。お付き合いありがとうございました。
>212
何が草なのか言ってみ。どうせ言えないんだろ。
>214
相手をじゃねーよバカ。根暗に顔面キックしてんだよバカ。212は相手じゃねーだろバカ。お前もうしねよバカ。
>>219
ロシュとかおでんみたいに逃亡すればわかりやすいけど、それ以外は大会でもない限りかったかったーとか言わないね。わたしは。
ほんとに根暗って脳でも欠けてんじゃねえの。pの勝敗基準はpのものであってりのものじゃないんだけど。なんで主体をりに出来るのか意味不明過ぎる。バカ丸出しキチガイ丸出し。どんだけりを否定したいんだろうなあ。人生終わってるだろこのバカ。