「喧嘩用語の基礎知識」編集部

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63H.R.ギーギー
2022-01-21 13:31:33
ID:G.gOohME

>>62
ククク・・・

これはスルーできるかな?

678: 須矢◆jCjiCccjwk
2022-01-21 09:59:57
ID:JE4mI5QY
63: 風吹けば名無し 2022/01/19(水) 00:43:27.13 ID:tA73uwWQ0
これ以外にもこんな「感じ」で無駄に「鉤括弧」書きまくる「人」がいるんだけど、これも「謎」すぎる

64H.R.ギーギー
2022-01-21 13:42:54
ID:G.gOohME

>>62
はやく須矢のスレに行ってもう一度「ナマハゲ」と書き込むのだ……

さもないと、「下水道路人間」の外延的定義を{須矢}で確定させるぞオラァ!!

65H.R.ギーギー
2022-01-21 13:44:19
ID:G.gOohME

674: 名無しさん
2022-01-15 03:19:14
ID:KDmtffho
すべからく

675: 曙覧
2022-01-15 16:03:45
ID:qFU.Gln.
ナマハゲ

66H.R.ギーギー
2022-01-21 13:47:22
ID:G.gOohME

「意志獄」追加しました。

67名無しさん
2022-01-21 23:22:17
ID:Ua..O2Lw

鼻くそいっぱいほじる
捏造してんじゃなええぞお前

68堂本香織
2022-01-21 23:25:52
ID:L5RwFs4Q

>>67
3回殺す!

69名無しさん
2022-01-21 23:32:44
ID:C2SDXKsU

>>68

殺害(1回目)→復活→殺害(2回目)→復活→殺害(3回目)

二回死者蘇生してくれるようです

70H.R.ギーギー
2022-01-22 15:20:14
ID:HXprWkTA(sage)

曙覧、残念だが・・・時間切れだ。


「下水道路人間」は、キャスフィ避難所自由板筆頭喧嘩師「須矢」(須矢播磨守高梁張香典)の人間性を表す概念。類語に「須矢、このドブ野郎!!」がある。・・・ということで確定しました!



71H.R.ギーギー
2022-01-22 15:40:39
ID:HXprWkTA(sage)

「意志獄」

1 意志を閉じこめておく所。一般には脳味噌のことだが、意識を意志の牢獄とする考え方もある。

2 意志の裁き。あるいは、意志に対する裁き?

3 意志が死後に行く世界。もしくは死後の意志そのものが牢獄である状態。潜象界から現象界(トナール)に顕現した意志が次に行くのは「ナワール」の世界だろうか。

「トナール=サミュッティ・サッチャ」…実証の世界。時間と空間の中に位置づけられ、実際に感じられるものと抽象とによってとらえるものの両方から成り立つ多彩な対象化されたイメージの現実。

「ナワール=パラマッタ・サッチャ」…究極的ないしは純粋な現実。時間と空間の中に位置づけられず、五感で感じられる性質をもたず、カーナ(無空)から成り立つもの。



72H.R.ギーギー
2022-01-22 16:08:30
ID:HXprWkTA(sage)

「アイデンティティー・フォーマット現象」

霧雨が葉っぱ天国時代に考案した概念。「フォーマット」には二つの意味がある。①型、書式、形式、体裁という意味。②初期化。これに対応して「アイデンティティー・フォーマット現象」にも二つの意味がある。

①喧嘩掲示板の、特に匿名のレスが類型化し画一化していく現象。「名前」から開放されたレスは、まるで精神的なエントロピー増大の法則が存在するかのごとく、乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない、とするもの。

②喧嘩中にしばしば見られる、「人格の自己同一性」が消滅し初期化される現象。「ダブルバインド」は「2つの矛盾した命令を他人にすることで相手の精神にストレスがかかる状態」を指すが、喧嘩において勝利を重視するあまり自己矛盾した発言を繰り返すと、これが自分に向けられることとなる。そして、その負荷が許容量を突破した時、勝つためには何でも言えてしまう「自分の同一性を喪失した喧嘩マシーン」が誕生する。かつて、霧雨はこれを意図的に、かつ大量に引き起こす「アイデンティティ・フォーマット計画」をネット上で実行しようとしていた。

73佐久間
2022-01-22 20:36:11
ID:PHUlMedA

キキキキモッ

74曙覧
2022-01-24 12:14:50
ID:PTbObxJs

ふーん

75名無しさん
2022-01-24 12:46:20
ID:zwmlI8GA

「」

76名無しさん
2022-01-25 07:23:08
ID:8UWdl.bA

>>71
くっさ!!
いや、貴方ではなくその悟りが

77正義の反体制派
2022-01-25 09:58:28
ID:7ZxkI.DM

もん!

78H.R.ギーギー
2022-01-25 15:52:11
ID:3JJ5FZb2(sage)

「勝っちり」

伝統的な解釈では、「勝った」という勝利宣言とフグを主役とした鍋「てっちり」の合成語として文字喧嘩黎明期から使用されてきたとされている。

「てっちり」と呼ぶのは大阪の人間が多く、フグを使った鍋のことをいわゆる大阪弁で「てっちり」と呼ぶのです。全国的には、「ふぐちり」や「ふぐ鍋」と呼ばれています。

フグ食禁止令が出されていた江戸時代のころに、大きな声でフグを食べようということができず、隠語として「てっちり」がうまれたそうです。

その語源は、フグは強烈な毒をもっており、それに”あたると死んでしまう”ことから、「鉄砲」と呼ばれていました。また、昆布だしや熱湯で煮ながらポン酢や醤油に薬味を加えて食べる鍋のことを「ちり」といい、「鉄砲のチリ」から、「てっちり」になったといわれています。

ただ最近の研究では、使われ出したのはここ数年で、アメリカのミクスチャー・ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の略称「レッチリ」との合成語である可能性が非情に高いとのことである。

だが、いずれにせよ意味不明であり、語の使用者・解釈者・研究者の全員が錯乱していると考えるのが最も合理的であると思われる。

79H.R.ギーギー
2022-01-25 16:05:16
ID:3JJ5FZb2(sage)

「草深」

「深草の逆」、つまり「龍谷大学深草キャンパスの逆」ということであるから、「龍谷大学大宮キャンパス」を指す。転じて、「深草のガキ臭い笑いとは区別される大宮の貴族的な笑い」、さらに「一般に笑いの質が深いこと」を意味するようになりました。(笑)から派生した「www」が「草生える」→ 「大草原不可避」と水平方向に拡大したのを受けて、この語は垂直方向への拡大、つまり笑いの深まりを表しているのです。

80H.R.ギーギー
2022-01-25 16:17:35
ID:3JJ5FZb2(sage)

【泥人】

泥人形は中国では、泥人(ni ren) と呼ばれています。泥人の歴史は、泥と名前がつく様に、常に搾取され続けた農民達が、妻子を養い生き抜いていくために、最後に自分たちの周りに残された物、泥を固め、暖炉や日干しで固め、彩色を施し、それをなにがしかの食べ物と交換して生き抜いてきたそうです、ですからこのような泥人形は中国各地至る所にあります。有名な所では、河南省省准陽県の「泥泥狗」 河北省、新城県、天津市もちろん、首都:北京にさえ有ります。山東省高密の泥人形は明代から始ったそうです。一方江蘇省・無錫市の泥人形も400年の歴史を持ち、ここはもともと殷、周の頃から錫の産地として栄えたが、人々が青銅器に使う錫を争って堀尽くしたことから無錫と呼ばれるようになったという。



最近出現したフリーの喧嘩師「曙覧(愛美)」の教養の根本には、江戸文学を通じて吸収した中国文化の影響が色濃く反映されている。

81H.R.ギーギー
2022-01-25 16:54:01
ID:3JJ5FZb2(sage)

「キッチンガイ」

「シンジ君、台所に立つ男はモテるぞ」・・・【ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破】における加持リョウジの台詞ですが、これは決して ”料理が上手な男性はモテる” という意味ではありません。正確には ”普段から台所に立っている男性はモテる” という意味です。

「男子厨房に入らず」は、中国の古典『孟子』の「君子遠庖厨」(君子は厨房に近づかない)に由来するそうです。この言葉は、もともとは「君子」つまり徳の高い者は、厨房で家畜が屠殺される姿を見ると、情の心を起こして、料理が食べられなくなるので、近づくべきではないという意味です。つまり、徳の高いものはそれぐらい深い仁愛を有するということです。

これが日本では、武士道に受容されて変化して、「男性は調理のような使用人の仕事をすべきではない」という意味になったとされることが多いようです。しかし実際には、江戸時代までは、料理は武士のたしなみであり、多くの武家でも、料理人は男性が務めるものであり、主人自ら包丁を取って客を持てなすのも珍しくありませんでした。したがって、この言葉が今のような意味で一般的に用いられるようになったのは、明治時代以降、富国強兵策の中で、男女分業が強調されてからのようです。

このように、「古来の日本の伝統」とされることは、しばしば明治時代以降に由来するものなのです。

「・・・それは愛と美との要求が高まって相手が欲しくてたまらなくなるのだが、そんなとき気違いじみたことを考えるものだ。私は上野公園で音楽学校の女生徒をいちいち後をつけて、『僕を愛してくれますか』ときこうかと真面目に思ったことがある。」(倉田百三 「学生と生活」)

「愛」と「美」の要求(愛美)が極まるところで男は「キチガイ」になる。その処方は「台所に立ち続けること」。キチガイアニメ『ヱヴァンゲリヲン』の最終着地点は「キッチンガイ」になることだったのです。

82H.R.ギーギー
2022-01-25 17:06:59
ID:3JJ5FZb2(sage)

「一言で終わらカス」

「笑かすのもたいがいにせえよ・・・この喧嘩、一言で終わらせてやんよ、このカス野郎!!」を一語で表現したもの。

83H.R.ギーギー
2022-01-25 17:27:05
ID:3JJ5FZb2(sage)

「不自由点」

どんなに自由に動いているように見えるものにも、必ず不自由な点が存在する。例えば、マスー君の不自由点は「家族」であり、サビぬき。の不自由点は「龍谷」である。そこを突かれれば、一見自由に見える彼らの運動は停止する。一般に、言語行為において行為者の自由になる領域を「自由点」、行為者すら自由にならない領域(不如意の領域)を「不自由点」と呼ぶ。「不自由点」を突く喧嘩術は、相手の無意識を探りその心理を利用する喧嘩術に似ているが、「不自由点」は必ずしも心理的・無意識的なものとは限らない。むしろ、ある喧嘩師と社会との結節点に生じる「穴」のようなものだと言う事ができよう。つまり、ラカン的に言えば「想像界」ではなく「象徴界」に属する穴なのである。


84H.R.ギーギー
2022-01-25 17:39:33
ID:3JJ5FZb2(sage)

「50ら蛇人間」

二畳紀(ペルム紀)に出現し、蛇の神イグを崇拝して、超大陸パンゲアのヴァルーシアに帝国を築いた「ヴァルーシアの蛇人間」は人類より前に地上を支配していた知的種族の一つである。帝国が滅びた後、彼らは北米地下のヨスに逃れるが、ツァトゥグァに帰依したことでイグの怒りを買う。やがてヨスを出てハイパーボリアに行き、続いてアトランティスに行く。その際、50体が日本に移住し、「文字喧嘩」の始祖となった。インターネットなき古代の日本において、文字喧嘩は神社の絵馬を通じてなされていたという。現在の神社にはその痕跡はほとんどないが、一部の「縁切り神社」では、いまでも時折、古式にのっとった文字喧嘩が行われているという。

85佐久間
2022-01-26 18:19:58
ID:E1jxJ8VE

キキキキモンディ〜

86中野聖奈
2022-01-26 18:53:44
ID:pbR9xUXE

それはさすがにきもすぎ

87H.R.ギーギー
2022-01-28 00:05:52
ID:kEF.825.(sage)

ご先祖様に対してそれはないでしょう

File:50ら蛇人間の子孫「中野聖奈」

88H.R.ギーギー
2022-01-28 00:10:02
ID:kEF.825.(sage)

あなたこそ、あらゆる文字喧嘩師の頂点に立つお方なのです。

File:乳首から出てきた蛇を食べる「中野聖奈」

89H.R.ギーギー
2022-01-28 00:21:24
ID:kEF.825.(sage)

下↓は「キャスフィ避難所中野聖奈親衛隊」の面々。

File:一番左が「佐久間」です。

90H.R.ギーギー
2022-01-29 14:40:54
ID:NOxrFswA(sage)

「喧嘩形而上学」

文字喧嘩を行うにあたって、その前提となる存在論的な条件を整備する学問。同じく論理的な条件を整備する「喧嘩論理学」、倫理的な条件を整備する「喧嘩倫理学」、また文字喧嘩における美や格好良さなどを定義する「喧嘩美学」、文字喧嘩において生じる様々な現象を記述する「喧嘩現象学」、喧嘩の歴史を記述する「喧嘩歴史学」などがある。これらの学問はまだ体系化にはほど遠いのが現状であるが、断片的にはすでに紹介した霧雨の先駆的な業績がある。彼が「喧嘩界のアリストテレス」とよばれる所以である。

91H.R.ギーギー
2022-01-29 15:02:27
ID:NOxrFswA(sage)

「殺す!」

「喧嘩界のガラパゴス」ともいわれる「晒しの楽園」の喧嘩師・よしおによって考案されたフレーズであるが、キャスフィ避難所においては、すでに広く普及し日常的に使われるもっともポピュラーな喧嘩用語のひとつと言ってもよいであろう。だが、何故これほど普及したのであろうか?

文字喧嘩は、複合的な言語活動である。例えば、「議論」という全く別のジャンルに属する言語活動を行いながら、そこに「喧嘩」という要素を創造せねばならないのだ。文字喧嘩は本質的に寄生的なジャンルであり、「不純」なのだ。しかもその不純物(議論)にこそ喧嘩の本質があると錯覚されてしまう。

では、不純物を取り除いた「純粋な喧嘩要素」とは何だろうか?それを端的に自然言語で言い表すことに成功したのがよしおであり、よしおが混沌とした文字喧嘩の世界からつかみ出した「原-喧嘩語」こそが「殺す!」だったのである。これは哲学の世界で言えば、デカルトによる「コギト」の発見に匹敵する。ここから、「議論」と区別のつかないままになされてきた文字喧嘩が、より多様な展開をみせるようになってきた。よしおが「現代文字喧嘩の父」とよばれる所以である。

92H.R.ギーギー
2022-01-29 15:37:53
ID:NOxrFswA(sage)

「黙れ」/「キモい」

よしおによる「殺す!」の発見以後、長い間「原-喧嘩語」は「殺す!」1つだと思われてきた。それを覆したのが、堂本香織(速水みき)による「黙れ」の発見と、佐久間による「キモい」の発見である。彼ら「ポストよしお世代」の登場によって、「原-喧嘩語」の探求は、粒子加速器導入後の素粒子物理学のごとく、急速な進歩をみせることとなる。現在、キャスフィ避難所喧嘩板において行われているそのような実験的な喧嘩は、「喧嘩ミニマリズム」と呼ばれつつある。


93名無しさん
2022-02-01 01:56:42
ID:0HblSswU

「なにこれて面白い名無しさん😂」

94H.R.ギーギー
2022-02-01 10:32:43
ID:1./CeecM(sage)

「なにこれて面白い名無しさん😂」/「暇からきた」

かつて存在した葉っぱ天国喧嘩板において、「五七五で喧嘩する」というスレッドが定期的に立てられていた。いわゆる「喧嘩俳句」という独特のジャンルであり、葉っぱ天国における喧嘩の幼児化、喧嘩の趣味化を象徴するものである。ただし、文字喧嘩の裾野を広げるという意味では、難解に堕する傾向のある「議論喧嘩」に対して一定の優位性を保っていた。

これに対して、江戸文学の本格的な教養を背景にもつ曙覧は喧嘩俳句のありふれた作風を「月並喧嘩」と呼んで批判し、「喧嘩は滑稽なり。喧嘩は挨拶なり。喧嘩は即興なり」と看破した。その代表的な句が

「なにこれて面白い名無しさん😂」

「暇からきた」

の二句であり、俳句の世界でいえば正岡子規による「俳句革新運動」と荻原井泉水による「無季自由律俳句」の提唱が同時に行われたようなものである。しかし、ここで起こったのは単なる喧嘩俳句の革新にとどまるものではない。「喧嘩とは、発話の無意味さを通じてなされる悪意のコミュニケーションである」とする喧嘩概念の更新であった。しかも、曙覧はそこに中国文化を背景とし江戸時代初期に成立した煎茶道の方法論(茶を一滴、舌の上に落として口中にて転がす)を導入し、「悪意はわずか一滴、あるのか無いのかわからないくらいが丁度よい」とした。

このような曙覧の方法論は、全く別の文脈からキャスフィ避難所に発達した「喧嘩ミニマリズム」と合流し、いまも独自の進化をみせている。

95正義の反体制派
2022-02-01 10:50:06
ID:anrqYCEc

96H.R.ギーギー
2022-02-01 17:12:54
ID:1./CeecM(sage)

「お茶中毒入れときました」

日本の代表的な伝統文化【茶道】には、「抹茶道」と「煎茶道」が存在します。日本の茶道には粉末茶を使用する抹茶道(茶の湯)と葉茶を急須で淹れる煎茶道とがあります。一般的に、「茶道」と聞くと、抹茶をシャカシャカしているお点前を想像されるかと思いますが、それは厳密に言うと「抹茶」「茶の湯」と呼ばれるものです。

それに対して「煎茶道」とは、文字のごとく煎茶(葉茶)を用いたお点前をする式作法のことです。抹茶を用いる式作法との差別化のため、「煎茶道」と呼ばれています。

煎茶道と抹茶道は成り立ちが異なります。

抹茶道は、中国宋代に用いられていた抹茶法が日本に伝わり、能阿弥、一休宗純、村田珠光、武野紹鴎らの影響を受け、千利休が安土桃山時代に完成させたものです。そして、抹茶道は主に武家社会に浸透していきました。

それに対して煎茶道は、江戸時代中期以降に文人墨客(当時の文化人)たちの間に流行しました。当時は茶道の形骸化が進んでおり、それに異議を唱えた知識人たちが形にとらわれない茶道として見出したのが煎茶道です。そのため、煎茶道は茶室や道具に必要以上のこだわりを持たず、自由な精神や風流を重んじます。文人墨客たちが自然の中で嗜んだ煎茶道の精神は、堅苦しいものではなくより日常的な茶道として親しまれています。

抹茶道は禅の思想と密接に結び付いていましたが、時の権力者である織田信長や豊臣秀吉が重んじたことで、徐々に大名の権力を表す手段としての意味合いが強まり、茶会は自らが持つ高価な茶道具を見せびらかす場となりつつありました。

そして、天下泰平が果たされた江戸時代になると、抹茶道はすっかり形式的なものになってしまっていたのです。

こうした状況に一石を投じたのが、黄檗宗(おうばくしゅう)の僧であった高遊外(こうゆうがい)でした。高遊外は、長崎で習得した煎茶の知識を生かし、京の市中で煎茶を売り歩き始めたのです。やがて高遊外は売茶翁(ばいさおう)と呼ばれるようになりました。

売茶翁は「価格は客次第、無料でもOK」という独自のスタイルで煎茶を売り歩き、それまで上流階級に限られていたお茶と禅の世界を庶民にも広めていきました。また、精神世界と風流を重んじる売茶翁の思想は、形式化してしまった抹茶道を嫌う数々の文人墨客に広く受け入れられたのです。

このような背景から、煎茶道は形式を目的としない点が特徴となっています。当然のことながら煎茶道も「道」である以上、作法や型は存在するのですが、守ること自体が目的ではありません。

あくまでも、供する相手に煎茶を美味しく楽しくいただいてもらうことが目的であって、その目的を果たすための手段として形式が存在するということ。抹茶道は基準を満たす茶室で行われるのに対し、煎茶道は場所を選ばず外でも楽しめるというのも、形式を主目的としていないからなのです。

煎茶道はお茶を通じて精神世界に触れるものであり、形式を守ることばかりに捕われる必要はありません。日常の煎茶を淹れるひとときであっても、抽出を待つ間に自分と向き合うことで、煎茶道の精神に近づいていると言えます。

江戸文学の本格的な教養を背景にもつ曙覧は、以上のような煎茶道の思想を文字喧嘩に取り入れました。つまり、形骸化した「議論喧嘩」に対して、重要なのは言語表現に現れた言葉や議論の意味内容ではなく、喧嘩の背景に広がる精神性であるとしたのです。しかしそれは、かつてインターネットワイドショー掲示板で疫病のように拡がった「喧嘩神秘主義」などではなく、ごく日常的で常識的な精神性の世界です。

今度喧嘩を楽しむ際には、相手のレスの味わいに身を委ね、さまざまな制約から解放された「ありのままの悪意」を感じてみてはいかがでしょうか。

ただし、あまり填まり込みすぎると、喧嘩中毒になってしまいますよ。

97H.R.ギーギー
2022-02-01 17:19:46
ID:1./CeecM(sage)

「爆睡コンビ」「いち万個のまんこ」入りました。

98名無しさん
2022-02-02 15:20:08
ID:2JpSzgjI

ナンバーワンにならなくてもいい
もともと特別なボンビーガール

99曙覧
2022-02-02 15:22:50
ID:vrWrQ/Qw

あれれ!?😮

100名無しさん
2022-02-02 16:50:37
ID:ap9pUFjw

>>99
おまえきもいよ^^

101正義の反体制派
2022-02-02 17:37:41
ID:mvmwXlD6

102曙覧
2022-02-02 19:54:02
ID:sQ1O6gQc

>>100なんだいおまえは気持ち悪い人間ね😑

103佐久間
2022-02-02 20:43:20
ID:itT5ZlxM

キモッ

104名無しさん
2022-02-02 22:45:40
ID:ap9pUFjw

>>103
ワープア乙

105名無しさん
2022-02-03 18:36:44
ID:mvgykL5M

>>104
タヒね

106名無しさん
2022-02-03 18:52:33
ID:UharWWnw

タヒチでタヒね

107名無しさん
2022-02-03 22:52:12
ID:mlAE39DE

「へれき人」

108智美
2022-02-03 23:05:01
ID:39eBZhKc

ふーん面白いw

109正義の反体制派
2022-02-04 00:36:59
ID:nta2f4W.

💩

110H.R.ギーギー
2022-02-04 12:13:25
ID:5CNdwHkk(sage)

「へれき人」

トルコでは地方ごとに織物文化が発展してきた。なかでも、シルク絨毯の最高峰として扱われるのが「ヘレケ」。非常に目が細かく繊細な柄が特徴。1㎝四方に100ノットを超えるものが多く、中には900ノットを超えるものまである。

ヘレケとは、イスタンブールから南東へ60㎞ほどのところにある小さな港町の名前。絨毯の歴史は、1843年にオスマン朝の皇帝アブドゥルメジドによって繊維産業が招致されたことにより始まった。多くの作品がカーテンやベッドカバーなどとして宮廷へ献上され、美術品としての価値を高めていった。モチーフにテキスタイル柄を多く用いたことでも人気をはくす。1878年の大火災で工場のほとんどが消失してしまい、約10年後、トルコ絨毯の名産地であるラディックやクラの町から熟練した職人を集めた。現在、高い評価を受けているフローラルデザインは、この時期に生まれている。20世紀以降、欧米でも高く評価され世界に広まっていった。

この「ヘレケ」を昭和時代の日本では「ヘレキ」と表記していた。「ヘレキ人」とは「トルコのヘレキ村の人々」というほどの意味である。

しかし喧嘩用語としての「ヘレキ」は、最大級の賛辞として使われます。ヘレケの絨毯は、長い歴史の中で、オスマントルコ帝国のスルタン(トルコ皇帝)に称賛を受けたことがきっかけでシルク絨毯の最高峰ともいわれる現在の地位を得ました。従って、「面白いおまえ達へれき人」とは、「おまえ達はトルコ皇帝に賞賛されるくらい面白い(かかってきなさい)」という意味なのです。



111H.R.ギーギー
2022-02-04 13:02:35
ID:5CNdwHkk(sage)

「喧嘩実存主義」

喧嘩に対する考え方は人それぞれです。個人個人の違った考え方がぶつかり合うからこそ、喧嘩は面白い読み物となるのです。しかし、それでも喧嘩掲示板ごとに主流となる考え方があるのも事実です。それは掲示板管理人の方針や主導によるものであったり、自然発生的に出来上がったものであったり、また時期によっても様々ですが、とにかくある種の「まとまり」として認識できる「喧嘩思想」「喧嘩哲学」というものが存在するのです。

現在、喧嘩界を牽引している『round table』(元は『喧嘩界』)においては、「喧嘩実証主義」が主流です。「喧嘩実証主義」とは、喧嘩の本質を「議論」に求め、「議論」の勝敗を「根拠」に求める考え方です。となると、必然的に「実証可能な最終根拠」というものを(実際に実証が可能かどうかは別として)理念として要請せざるをえません。「喧嘩=議論喧嘩」という近代喧嘩が長くネットの世界を支配してきた関係上、これが現在でも最も支配的な喧嘩思想だと言えるでしょう。

これに対して、「実存は喧嘩に先立つ」として、喧嘩という言語行為の背景にある「人生」や「生き様」こそが喧嘩を“真に迫るもの”とする、としているのが「喧嘩実存主義」です。その舞台として最も有名なのは、「喧嘩界のガラパゴス」と呼ばれている『晒しの楽園』で間違いないでしょう。掲示板の代表的な喧嘩師はまた他にもいますが、「喧嘩実存主義」の代表者としては「よしおのしお(通称・よしお)」や最近見かけませんが「りなめろ」を挙げるのが常道のようです。

ここ『キャスフィ避難所』は、こうした両極端な喧嘩思想の間で、その時々の情勢によって喧嘩スタイルの流行り廃りがありました。ざっくり言えば、旧喧嘩板は喧嘩実証主義であり、それが喧嘩実存主義的な傾向を強め「殺伐板」になって、移転先の新喧嘩板が喧嘩実証主義を続行していましたが、やがて衰退し『round table』(『喧嘩界』)に移っていきました。その後、廃墟となった新喧嘩板で喧嘩実存主義のよしおが「殺す!」を広めたことにより、「喧嘩ミニマリズム」という新しい潮流が生まれてきたのです。


112H.R.ギーギー
2022-02-04 13:22:35
ID:5CNdwHkk(sage)

「投刃人形ベルメラン」

喧嘩ミニマリズムの代表的な喧嘩師「佐久間」の二つ名。彼の代名詞ともいえる決め台詞「キモい」がしばしば自身に還ってくることから、こう呼ばれるようになった。派生的な用法としては、感情を抑えられず顔を真っ赤にした佐久間を「投刃人形エルメラン」、ブーメランの軌道を自在に操り、無敵状態になった佐久間を「投刃人形ギルメラン」と呼ぶ。

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